石と額の紋章

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石と額の紋章

美彩都はまた夢の中にいた。色とりどりの花畑を流れるように下に見ながら、空を飛んでいる。    しかし、すぐその景色は色を無くした。    どこまでも続く殺伐とした砂漠色の山々。谷を縫うように山際ギリギリを飛んでいく。遠くに暗く映る建物に向かっているようだ。進むにつれ、深紫の中に月あかりが作り出した影の存在を認識できるようになってきた。その影は下に広がる湖面にも揺らめいている。湖を背に大きな翼をたたむように静かに降りたった。    見上げたその姿はヨーロッパによくある古城のようだ。塔のような建物を右手に見ながら、石段を三段ほど上がった。重厚な緑色の扉を押し開け中に入ると、大きく抜けた天井から漏れた月の光が射し込んでいる。崩れた石積みの壁を隔てて、広々とした空間。床は所どころ埃と崩れた石などで埋もれていた。壁一面に大きく飾られた絵画が、朽ち破れ果てた姿で、かろうじて、その存在を伝えていた。    遠く水の滴る音が聴こえる。静寂の中を当てもなく歩き始めると、無秩序に積み重なった石の隙間の奥から、何かが鈍い光を放っていた。石を崩し、探り当てた光は、手に取ったとたんに鉄色の金属の破片に変わった。    鳥の羽ばたく音で振り返ると、1羽の青い鳥が微かに見えたような…気がした。   「美彩都、美彩都。」    意識が薄れゆく中で声が聞こえる。優しい男性の声。誰?   「美彩都、美彩都。」    また声が。今度は聞き慣れた声で、底に沈んでいた意識が浮かんできた。   「ママ。」 「大丈夫?時間になっても起きてこないから。」 「ごめん、夢見てた。最近、変な夢ばかりでなんかしんどい。」    美彩都は額の汗をぬぐった。「いたっ。」    前髪の生え際あたりに痛みが走った。生まれた時からあるホクロが最近痛む。   「ちょっと見せて」    美彩都は、赤味を帯びた、ちょっとクセのある前髪を上げ、母に見せた。   「大きくなった?ホクロというより、痣のような感じね…。急に大きくなったら要注意ね。いつも髪に隠れていたから分らなかったけど、こんなだっけ。何だろうね。」   「そう?痣?あんまり意識してなかったからよくわかんない。今まで痛くはなかったんだけどな。なんかヤダなぁ。」    ママ、なんか素っ気ない。美彩都は、母の様子の変化に気付かないふりをして、鏡の前で髪を整えながら違う話題に変えた。   「ねぇママ、昨日食べたつくしみたいな野菜、なんていうの?気のせいかのしれないんだけど、あれ食べた夜に変な夢を見るような気がする。」   「えぇっ、そんなわけないでしょ。あれね、アスパラソバージュっていう野菜で、ヨーロッパで、昔から食べられている野菜みたいよ。」   「ふーん、今って外国の野菜流行っているけど、売ってるの見たことないよ。」   「そりゃそうよ。実はね、あなたのお父さんからフランスのお土産だと言って種をもらったのよ。元々自生してるもので、栽培は難しいって。だから、ずっとしまっておいたんだけど、菜園にハマってから思い出したのよ。頑張ってあれこれやったら、大成功!というわけ。黒い小さな種で、植えてから4年もかかるの。日本でも最近、栽培している所があるみたいだけど、そんなに出回ってないわね。」   「へぇ、そんな珍しいものなんだ。」   「じゃあ、美彩都のお弁当には入れないでおく?」   「いいよ、気にしないで。気のせい、気のせい。大丈夫。大丈夫。」    と美彩都はそう言ったものの、自分の気持ちと違う事をはっきりと感じていた。   「それで、夢ってどんな夢?」    美彩都は視線を合わさないで、聞いてくる母に違和感を抱いた。   「ん~、話すと長くなるから今度ね。」    その日の午後、美彩都は授業中、教室で気分が悪くなり保健室のベッドで休んでいたが、いろんな事が頭の中を巡り、落ち着かずにいた。    「先生、もう大丈夫。」    美彩都は、机に向かっていた養護教諭の石見るり子の背中に声をかけた。   「まだ、顔色良くないわよ。もう少し休んだほうがいいわね。あ、そうだ、これ白石さんの?制服の上着かけた時に落ちてきたんだけど。石のペンダントヘッドかなんか?変わった形ね。」   「こんなの持ってなかったけど…。」    ベッドから起き上がり、掌にのせた小さな石を見つめていた。    ん?あ、夢で拾ったものと似ている…    自分の物であるという確証を探そうと、自分の頭の中のありったけの記憶の引き出しを引っ張り出しても、何の根拠も見つからなかったが、「私の…かも…しれません。」と思わず言葉が出てしまった。    手にしたものは、夢に見たような金属ではなく、勾玉のような形をした石らしきものであった。    千草が美彩都のカバンを持って、担任の中新(だい)とともに、心配そうな表情で、保健室に入ってきた。   「美彩都、大丈夫?」    美彩都は石を小銭入れに入れ、取り出した鏡に自分を映し、丸まった前髪を手櫛で伸ばしながら言った。   「ありがとう、心配かけてごめんね、千草。もう大丈夫だから。」   「白石、無理するなよ。」と中新は美彩都の頭を撫でながら、額の痣をそれとなく確認した。   「やだ、先生、それセクハラ。」   「なんだよ、なんでもかんでもセクハラって言って、この教師の愛がわからないのか。」   「それはパワハラ。」と千草がすかさず、美彩都の援護をした。   「ありがと、千草。先生、私、やっぱり帰ります。」    美彩都は石の事が気になって仕方がなかった。すばやく、制服の上着を着て、カバンを持った。    石見るり子は、美彩都の肩に手を置き、   「それがいいわね。今日はゆっくり休んで」と耳元で声をかけた。    美彩都の下校後、中新は千草にそれとなく合図をし、階段の踊り場で小声で話をした。 「あの額の痣、もしかしてミドワル界の記しかもしれない。さっき、白石が鏡を見て前髪触ってた時、ちょっと見えてたから、気になって。確かめた。」 「それで、頭撫でたんだ。もう少しやり方あったんじゃない?それで、ミドワル界の記しって、即位がどのうこうのってやつ?」 「まあ、そうなんだけど、詳しく調べてくるよ。千草は、額の痣の形の確認と、あと、さっき保健室に行った時、何かカバンにしまってただろ、それとなく聞いてみてくれ。」 「わかった。そう言えば、美彩都がね、誰かに追いかけられる怖い夢を最近よく見るって言ったり、なんか疲れてるように見えるのよ。」   「そうか、何やら騒がしくなりそうだ。」    美彩都が帰ると、今日子がすでに帰宅していた。   「ママ、帰ってたの?やっぱ学校から連絡あったんだ。大した事ないから、いいって言ったのに。」    美彩都は、重い足音をたてながら2階の自分の部屋へ向かった。その背中を追い、今日子が美彩都に話しかけた。   「何言ってんの、学校だって連絡しないわけにはいかないでしょ。食欲はあるの?どこか痛いとか?眠れている?」   「立て続けに言わないでよ。どれも無い。ただだるくて身体が重いくらいっ。」  美彩都はカバンを机に放り置くと、制服のままベッドに大の字になり、母の質問にそう返した。   「明日、病院行くわよ。検査してもらうから。」   「え~っ、イヤだぁ。」   「いっつも、そんなこと言って、幼稚園児じゃないんだし。ほら、ベッドの上でバタバタしないの。制服しわくちゃになっちゃうでしょ。早く着替えなさい。」   「腕組、仁王立ち、ママ、怖っ。わっかりました!」    今日子が部屋を出るのを待って、すぐ、カバンの中の石を確認した。  勾玉の形の丸まった背と内側の部分の同じ位置に石を貫くように突起があり、背の方の先端は途中から切れているような形状である。   「あれ、照明の加減かな、学校で見た時より赤いような。よく見たら、小学生の工作みたいで、なんか中途半端な形ね。」    美彩都はそうつぶやきながら、石をフエルトで包んで、机の引き出しの奥から探し出した、ちりめん生地の小巾着をに入れた。  母にも聞きたかったが、何かと話が長くなりそうで、今日は身体を休めることを優先した。    検査の結果は軽い貧血のみ。医師からは心拍数がやや早く。よく汗をかくが、甲状腺は問題ない。思春期によくある自律神経の問題とのことで、内服薬を処方され、しばらく様子を見ることになった。  今日子は、この都合良く使われる自律神経という言葉は、あまり好きではないが、今のところ、他に考えられるものも無く、医師の指示に従った。    中新は、珈蘭にいた。   「橙さん、珍しいですね。」    珈琲を運んできた河合が声をかけた。    中新は緋色に焦げの差し色が味わい深い珈琲カップで、早速、淹れたての珈琲を味わった。   「マスター、これ、もしかして信楽焼か。いいなぁ。こんなのあったか?」   「いいでしょ。先月、滋賀行った時、気に入ってね。それで、橙さんが来たってことは、シャイルへ行くんですか?」   「そうだ。何やらあのミドワル界が騒がしくなりそうで。まだ何とも言えないが、うちの生徒がとなんか関わりがありそうなんだ。」   「もしかして、美彩都ちゃん?」    河合は丸トレーをテーブルに置き、中新の向かいの椅子に腰掛けた。    河合の予想もしない言葉に、ひどく咽てしまった中新は、咳き込みで言葉を切らしながら「なんで分かったんだ。びっくりさせるなよ。」と、中新は河合の次の言葉を待った。    河合はしぶきの飛んだテーブルを拭きながら言った。   「えっ、当たってしまいましたね。実は、その子の本当の父親と同級生なんです。知っていると言っても、娘の事は赤ん坊の頃しかあった事ありませんが、この前、その子の今の父親が来て、美彩都ちゃんの事も話していたので。」   「なんだか複雑だな。」    河合は、先日の珈蘭での話をした。   「その手帳のコピーはまだもらってないから、詳しくはわからないんですがね。」   「なるほど、でも、その話から、美彩都によく飛んだな。ちょっと強引すぎやしないか。」   「自分もびっくりです。単純に橙さんと共通してるのは、美彩都ちゃんだったからと思って言ってみたんですが。」   「まぁ、まだまだ、これだけの情報ではどうしようもないな。ミドワル界で、何が起きているのか、確かめてくるよ。」   「薬頼む。3錠だな。歳取ると2錠は厳しい。」      美彩都は、石の謎を聞こうと、ソファでクスクス笑いながらテレビを見ている母の横に座った。   「ねぇ、ママ、聞いていい?勾玉みたいな形の石って、私の部屋に置いたりした?制服に入れたりしたとか。」   「勾玉?置かないわよ、でもなんで?」   「この前、具合悪くて保健室にいた時、石見先生から、私の脱いだ制服の上着から落ちたって。これなんだけど。」とフエルトに包んだあの石を母に見せた。   「えっ、あ、これ、臍の緒と一緒に入れておいたはず…。」    今日子は、リビングのローチェストの引き出しから、白い布に包んであった桐の箱の蓋をとった。   「無い、えっ、なんで?しまったはずなのに。嘘でしょ〜、私、とうとう記憶障害?」    あとを付いてきた美彩都が、肩越しに声をかけた。   「違う、違う、ママのせいではないよ。この石、私の夢の中のお城で、拾ったものと似ているの。その日にこの石が出てきたってことは、夢の中からテレポーテーションしたのよ。ねっ、ミステリーだと思わない?」    美彩都は、この怪奇現象を楽しむかのように、嬉しそうに言った。   「本気でそんなこと思ってるの?アスパラソバージュの事もそうだけど、夢と関係あるわけないでしょ!もう変な事わないで。」    今日子は語気を強めた。    俊樹が髪を拭きながら、風呂からあがってきた。   「なんだ、二人してお笑い番組に失礼だぞ。」    美彩都は、俊樹にその石を見せた。   「これって、この前見せてもらったやつじゃないか。蒼真にもらったって石。」   「そうなの。これ、しまったはずなのに、美彩都の制服から出てきたのよ。私の物忘れもとうとうここまで来たかって感じ。」   「この石がどうした。」   「私が夢の中で拾ったものに似てるのよ。それ、ママに言ったら怒っちゃって。」   「しまい忘れても、制服から出てはこないだろう。座敷童でもいるのか?」   「座敷童なら、出世するっていうから。いいじゃない。歓迎するわ。でも、この石ってなんで臍の緒と一緒に入ってたの?」    俊樹は、珈蘭で真田から受け取った手帳の経緯を伝え、美沙都にその手帳を手渡した。   「うそっ、洋一郎おじさんから、そんな連絡あったんだ。へぇ、これ、お父さんの手帳ななの?字、あまり上手くないね。」   「そうか?美彩都も似たようなもんだよ。それはそうと、実はその手帳をママに見せた時、この石を思い出したママが、手帳の中のマークの一部と似てると思って、比べてみたんだ。この石はね、蒼真がママにフランスのお土産でお守りとしてくれた物だから、臍の緒の桐の箱に大事にしまっておいたものなんだよ。」   「え~、私のお守りなのに、私知らなかったよ。」   「ごめんね。もう、すっかり忘れてたわ。だって、臍の緒なんて、しまったら見る機会ないもの。」   「じゃあ、これ、持ってていいの?」   「いいけど、無くさないようにね。」   「ありがと。ママ。大事にする。その白い布ももらっていい?なんか可愛いね。」   「この布も石と一緒にもらった物だから、いいわよ。フランスのキルトなんだって。」   「ねぇ、パパ、お父さんも痣があったの?私も、おでこにあるよ。これ、この痣、マークと同じ?」   「それは何とも言えないな。似てはいるけど。」   「それと、さっきも言ったけど、この石を夢の中のお城で拾ったっていう話なんだけど。」    今日子はムっとした表情を隠さなかった。    不穏な空気を感じた俊樹は、母と子の戦が始まる前に、この緊急会議を閉めた。   「はい、終わり。また今度、この話をしよう。もう遅いから、さっさと寝る!」 「はぁい、おやすみ。」
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