三.香田 かすみと香田 彰の一人息子 香田 大洋

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 大洋は答えた。十和子の目が鋭く光った事には全く気づいてない。 「そう。ブランド物が好きなんだよ。でも不思議とカバンだけなんだよね。服とか靴とかアクセサリーは特にブランド物にはこだわってない。特にプラダが好きみたい」 「プラダのバックで一部屋は占拠できないなぁ……」 「だよね。そんな一個何万もするカバン何個も買えないじゃん。石油王じゃあるまいし。母親のカバンだって全部『ブックセカンド』で買う安い中古だよ。新品なんて一個もない。中古で安く買って、飽きたらまた『ブックセカンド』に売って、その下取り価格にいくらか足して次を買うの。そうやってぐるぐる回してるから、家にあるのはいつも二、三個くらい」 「へー。上手くやってるのね」  十和子は、大洋の母親がブランド物のバッグが好きだと聞いて、浪費家なのかと一瞬ドキリとしたが、中古品でつつましく楽しんでいると聞いて少しだけホッとした。  まだ付き合ってもいないのにずいぶん気の早い話だが、最近の十和子は時々、もしこのまま大洋と交際がスタートして、それで結婚なんてことになっちゃったらどうしよう、なんて甘美な妄想を働かせては一人で身悶えしている。  そんな十和子にとって、大洋の母親がどんな人なのかは極めて重要な問題なのだ。 「『ブックセカンド』を何件も回って、状態の割に激安の掘り出し物を探すのが面白いんだって。宝探しみたいで」 「そういう楽しみ方だったらいいんじゃない?お父さんも納得でしょ?」 「まあね。親父の中古ゲーム集めはさ、一本の値段は安いけど本数がバカみたいに多いからね。  母親のカバン集めは一個買うだけで数万円しちゃうけど、下取りでいくらか戻ってくるし、そんな年がら年中買ってるわけじゃないから。トータルでいったら、たぶんそんなに使ってる額は変わんないんじゃないかな。若干母親の方が多い程度? まぁ、よくわかんないけどさ」  大洋はハァーと大きなため息をついて下を向いた。 「まあ、それはそうとしてさ。とにかくそんなわけで、我が家、今もう最悪なの」 「香田くんも大変ね……」 「親父も母親も、どっちもどっちなんだよ。親父のゲームを無断で売っちゃった母親は論外だけど、そこまで母親を追い詰めたのは親父がどう見ても悪い。  でもさ、親父だって別に悪意があって追い詰めたわけじゃなくて、親父なりに一番筋の通っているやり方をやったら、それで勝手に母親が参っちゃったってだけなんだよ。それに母親は母親で、言いたいことをきちんと親父に説明しないで、すぐ感情的になっちゃうとこは良くない。まあそれだって、母親なりに全力でやってもその結果なんだから、直しようがないよね。  もう、そんなだからさ。どうすりゃこれ解決できるのか、さっぱりわかんねえんだよ。どっちかが一方的に悪いって方がずっと気が楽だわ」  訥々と説明する大洋の横顔を心配そうに見ながら、十和子は 「でも、そこまで冷静に観察してるなんて、すごいと思うな。私じゃ絶対無理」 とフォローしたが、大洋は「観察してても、どうせ何もできないし結局意味無いって」と悲しそうな顔でそれを否定した。 「最近じゃうちの母親、ジョンだけが相談相手だよ」 「ジョンくんいいなー。一度でいいから私も見てみたいな」  ジョンは黒のラブラドール・レトリバーだ。大洋の話の中に本当によく出てくるので、まだ一度も直接見た事のない他人の家の犬なのに、十和子にとってはもはや自分の家で飼っているような親近感がある。  大洋はジョンのことが可愛くて仕方ないみたいで、ジョンの話をする時の大洋の、柔和な笑顔と慈しみに満ちた優しい眼が十和子は大好きだった。  十和子は、いつか大洋が「だったら今度、ジョンを見にうちの家に来なよ」なんて誘ってくれたらいいのにな、などと淡い期待を抱いては、そんな展開になってくれたら天国だよなぁと、妄想の中でその情景を何度も再現している。  でも、そんな都合のよい展開が、何の努力もなく相手のほうから勝手に転がってきてくれるはずもなく、会話は淡々と続いていく。天国への階段は、どうしても自分の力で切り開いていかなければならないものらしい。 「家族全員がジョンには心を開いてるからね。あいつが今の香田家の真の大黒柱だよ」 「大黒柱なんだ、ジョン」  一匹の黒い犬の周りを香田家全員が取り囲んで、みんなが犬の下にぶら下がっているという相関図を想像して、十和子は笑ってしまった。
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