四.香田 かすみの大学時代からの友人、織野 文

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「そう。夫もそこんとこを完全に勘違いしてんのよね。テレビゲームに私が腹を立ててるとか、ゲームの数が多すぎて腹を立ててるとか、そんな風に思ってんだから。私が不満なのはそこじゃないっつーのよ。こんなに長い間一緒に暮らしてて、どうしてそこがわかんないのかなぁ……」  かすみはまるで、自分の掌の上で暴れまわる孫悟空を眺めている巨大な仏様のように、どこか悟ったような、どこかうんざりしたような顔でため息交じりに言った。  文は冗談めかして笑いながら率直に言った。ここは率直に言った方がよさそうだ。 「ゴメンかすみーる、私もわかんないわ」 「フミちゃんはわからなくても別にいいのよ。一緒に暮らしてるわけじゃないから。夫とはさぁ、付き合ってる時から数えたらもう二十年くらいの時間を一緒に過ごしてるわけでしょ?それでもわからないもんなのかなぁ、私が怒ってる理由」 「そこはさすがに、言わなきゃわからないんじゃない? それで結局、かすみーるは彰くんのどこに腹を立ててるわけ?」  かすみは、ごく当然のことのように言った。 「私は、物が多くて部屋が狭いのは一向に構わないのよ。部屋が散らかってなきゃ別に。だって、真っすぐ歩けるじゃん。私はね、部屋を歩く時に、いちいち物を避けて曲がって歩かなきゃいけないのがストレスなの」  真っすぐ歩ければいいのか。不愉快で我慢できないポイントって、人それぞれ全然違うんだなぁと文は思った。  普通、3LDKのマンションの一部屋をまるまる夫の趣味の私物で占拠されていたら、当然文句のひとつも出そうなものだ。そこは別に気にならないのに、でも散らかった物を避けながら曲がって歩かなきゃならないのが耐えられないという。かすみの許容範囲は広いのか狭いのか、よくわからない。 「置き場所が決めてあってちゃんと管理されていれば、正直言って私は、いくら物が増えても全く問題ないの。逆に、使った後にそのまま出しっぱなしで放置されてたら、物がどんなに少なくても私は耐えられない。  だってさ、全部の物がいつも同じ置き場所にあれば、いくら物が多かろうが探すのは簡単でしょ? 物の多さ少なさは、生活のしやすさとは実はあんまり関係ないのよ。  私は、どこに置いたか見つからなくて探し回って時間を無駄にすることと、乱雑に散らかった物をよけながら歩く時の無駄なストレスが嫌なだけなんだわ」 と、かすみはごく当たり前の真理を説明するような口調できっぱりと言い切った。  文は思った。これはいかにも、片付けが得意なほうの人間の言い分だなぁと。  もちろん、かすみの言いたい事は分かるし、かすみの言う事は正しいと思う。でも、かすみには信じられないことかもしれないけど、世界には片付けという作業が苦痛で苦痛でたまらないという人間もいるのだ。  そういう片付け嫌いな人間にとっては逆に、真っすぐに歩けないなんてのは別にどうってことないのだ。それよりも、頻繁に片付けをしなきゃいけないことの方がよっぽどストレスなのである。  どちらかというと文は片付けが苦手な方なので、むしろ、かすみの夫である彰の気持ちの方がよく分かる気がした。 「なんで、物を散らかすと暮らしが面倒になるって結末は分かりきってるのに、面倒くさい方が勝っちゃって元に戻さないんだろう?っていつも思うのよね」  そう憤慨するかすみを見て文は、頭では分かってても面倒だから、つい散らかしたままほったらかしちゃうんじゃない、と思ったが口に出すのは止めた。  かすみは基本的にはいいやつだけど、敵と味方をはっきりと白黒つけたがるところがある。大親友の文だから、多少意見が食い違う時があってもまだ仲良くやっていけているが、それでも文がうっかり致命的な失言をして、かすみの中で敵として認定されてしまったら、かすみは躊躇なく文との関係を斬り捨てるだろう。かすみはそういうやつだ。 「まあ、わたしも怠け者でぐうたらだから、つい散らかしちゃう時はあるよ」  自分も弱い人間だし、弱い人間なんてそんなもんだよ、という言い方で文はやんわりとかすみをたしなめた。  かすみは不機嫌そうに言った。 「私はね、夫がコレクションを増やすことが嫌なんじゃないのよ。増やし方が嫌なの」 「どういうこと?」 「だってさ、本来コレクションって大切なものでしょ?欲しいから集めてるんだよね?」 「そりゃそうでしょ」 「でもさ、うちの夫ってさ、なんか買うだけで満足しちゃうっぽいのよ。まあ、しょせんファミコンとかだし、一個一個の値段なんてたかが知れてるからいいんだけどさ。せっかく買ったのに、袋からも出さずに何日も床にほっぽってあったりすんのよ」  文は耳が痛かった。程度の差はあるかもしれないが、文も時々それをやってしまう。 「あと、私が全部片づけて整理してるから分かるんだけど、結構ダブって買ってる。持ってる本数が多すぎて、自分が今まで何を買ったか、もう忘れちゃってんだわ。  いやさ、コレクションするのは別にいいのよ。だってそれが好きなんだもんね。私だって、カバン集めの趣味を金の無駄だからやめろって言われたら苦痛だし」  文はかすみの膝の上に置かれた黒のプラダのカバンに目をやった。カナパのトートバッグ。プラダの中では比較的安い部類のカバンだが、それでも新品の定価は平気で十万円くらいはする。  そのトートバッグを見ると、取っ手の一部分に、何やら刃物でえぐったような小さな傷がいくつも付いているのが文は少し気になった。
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