四.香田 かすみの大学時代からの友人、織野 文

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 確かに、かすみの言い分を聞いている限りでは、彰の日頃の態度はかなり問題がある気がする。でも、それはちゃんと彰に不満を伝えて、話し合って解決すべきことだ。自分の物を勝手に売られたら誰だって悲しいし、そんなことされたらもう、夫婦の信頼はズタズタだろう。 でも、かすみは自分が悪いとは全く思っていないように見える。 「なんで?だって私もう何回も何回も夫に警告してるのよ。何度も何度もケンカもしてるし。それで私の気持ちに気付けないって、バカすぎるにも程があるわ。ここまできたらもうそれは夫の落ち度でしょ」 「いや……だけどさ。こっそり売るのはやっぱマズいと思うよ、かすみーる」  文が珍しく食い下がるので、かすみは 「じゃあ聞いてよフミちゃん。私だって、人の物を勝手に売るなんて最低だってことはちゃんと分かってるのよ。でも、もうそうでもしないと気持ちが収まらないのよ」 と不満げな顔をした。文は「聞きたい。聞かせて」と、テーブルに両肘を突いて身を乗り出した。  ストレスが溜まりまくって正常な判断力を無くしかけている友人に、不満の原因を話させることでストレスを発散させたかった。それに、それ以前に純粋な好奇心として、かすみと彰の間に一体何があったのかが気になって仕方がない。 「きっかけは、私のパートの仕事よね。去年からなんだけどさ」  かすみはそれまで週二回、パートで仕事をしていたが、昨年六月から勤務日を週四回に増やした。その話は文も以前に聞いて知っていた。  勤め先の人手が足らず、もし余裕があるならシフトを増やしてもらえないかと上司に相談されたのがきっかけだった。高校受験が終わり、もう息子にもすっかり手が掛からなくなってきたし、勤務日数が倍になっても何とかなるだろうと、かすみはこの依頼を受けることにした。  かすみはもともと一生フルタイムで働き続けることを希望していたから、バイトのシフトを増やす事自体には全く抵抗がない。むしろ彼女にとっては大歓迎である。それは暮らしに余裕が欲しいとかそういう理由ではなく、夫の収入に完全に依存して暮らすということが心理的にどうしても嫌だったからだ。  別に夫との絆を信じていないわけではない。ただ、万が一将来、離婚などの話になってしまった場合、自分に収入の手立てがないことで様々な選択肢を奪われるのは絶対に耐えられなかった。  だが、それなのに夫の彰は、かすみが大洋を妊娠した時、かすみが仕事を辞めて子育てに専念する事にやたらと執着した。  そうは言っても、二人は大学を卒業して半年で結婚し、そして結婚後すぐに子供ができたので、当時のかすみはまだ入社して一年も満たない新入社員である。  まだ全然会社員として使い物になっていないのにもう退職したいなどという、あまりにも申し訳なさすぎる話を、一体どんな顔して会社に言えばいいのか。そもそも自分自身も到底納得できない、とかすみは必死に抵抗した。  それで新婚早々大ゲンカになったのだが、彰も、せめてこの子が小学校を卒業するまでは、と食い下がって絶対に譲らない。さんざん議論したが彰の決意は固く、理路整然と冷静にその理由を挙げてかすみを説得していったので、最終的には彰の言い分の方が理にかなっているという結論になった。  それで、かすみは非常に肩身の狭い思いをしながら、入社したばかりの会社を早々に辞めて、仕方なく専業主婦の道を選んだのだった。  香田家は夫婦共に小遣い制にしていて、かすみにも多少は自分の自由にできるお金がある。でも、それでもかすみの心の中にはどこか、夫の稼いだ金を使わせてもらっているという変な負い目のようなものがあった。  そのため、フルタイムでの仕事復帰は彰が許してくれないにしても、せめて自分の小遣いくらいは自分で稼ぎたかった。それで、大洋が小学校を卒業して中学生になったのを機に、かすみはパートで働き始めている。 「ただ、仕事のことは自分の一存じゃ決められないから、夫に相談したのよ私。  もともと夫は昔から、私がパートで働くって時点でもうあまり賛成じゃなかったしね。自分の収入が低いって言われてるようで生理的に嫌なんだって」  「うわぁ……昭和ね……」「まんま昭和よね」「今時そういう人、まだいるのね」「若い人でも結構いるみたいよ、まだ」と主婦二人は生き生きとした口調で夫の考え方の古臭さを笑った。 「で、まあ当然覚悟はしてたけど、私がパート週四にしたいと言っても『別にそこまで生活苦しくないと思うけど』とか、『それ、断ったら職場に居づらくなる?』とか、とにかくもうハッキリと嫌そうな顔して、グチャグチャと反論してくんの。  でもさ、そんなんで負けてたらダメじゃん? 正直、お金の面だけ見たら確かに夫の言う通りではあるのよ。カツカツだけど一応、今の二人の給料でも生活は何とかギリギリ回せてるわけだからね」  うんうん、と文はうなずく。文の家も似たような年代の子供が一人いて、境遇がだいたい似ているので、かすみの置かれている状況はよく分かる。
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