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「本当に、なんで俺、あの女の人の連絡先を聞き出そうとしなかったんだろう……」
携帯の電話帳に保存された近所のレトロゲーム店の電話番号を探しながら、植木はずっとぼやいている。それさえ聞けていれば、こんな面倒なことにはならずに済んだのに、とブツクサ文句を言っているのを見て、多治見くんは少しでも植木の役に立ちたいと思って、何か少しでもヒントがなかったかと、必死にあの女性のことを思い出していた。
そこで突然、多治見くんがアッと大きな声を上げた。
「……あ‼ 待ってください店長。そうだ、あの女の人、カバンに名札みたいなの下げてましたよ!」
「え⁉本当に?」
植木が携帯から顔を上げて、目を丸くして多治見くんの方を向く。
「ええ。あのプラダのカバンに、なんか革のネームタグだかキーホルダーだかみたいなのがぶら下がってて、そこにアルファベットで『CODA』って刻印されてました」
「それ『CODA』って名前のプラダのカバンじゃなくて?」
「違いますよ。黒の布のカバンなのに明るい茶色の革のタグで、何だかそれだけ浮いてて違和感があったから、あぁこれはこのカバンの付属品じゃなくて、この人が自分でつけ足した物なんだなって思ったんですよ俺。わざわざこんな名札を付けるなんて、よっぽどこのカバンを無くしたくないんだろうなって。それで印象に残ってたんです。
ホラ、『プラダ CODA』で検索しても全然ヒットしませんもん。カバンの名前じゃなくて、あれはあの人の名札ですよ」
さらに多治見くんは、先ほどスマホで隠し撮りした写真を探した。それで女性の手元にあるカバンの部分を拡大すると、確かにカバンの持ち手部分の付け根に、いかにも名札ですといった感じの形をした、明るい茶色の革製の札がぶら下がっているのが見える。ただ、文字までは判別できない。
「でもさ、それ本当に名前?『CODA』って、曲の最後の部分って意味だよな、確か」
「そうなんですか?」
「そうだよ。楽譜の記号。学校で習わなかった?」
「え?それじゃ『CODA』って名前のどこかのブランドのキーホルダーみたいなものですかね。でもこの形、どう見てもネームタグだと思うんだけどなぁ」
「分からん。あるいはニックネームとかか。CODA……CODA……コーダ……」
そこで二人とも、顔を見合わせて同時に叫んだ。
「香田‼」
香田さんという客なら、二人とも何となく知っている。この「レトロゲーム ダンジョン」に時々顔を見せる客の一人だ。
香田さんは、それほど頻繁にこの店に来るわけではないし、他の常連客のように、植木を相手に楽しいレトロゲーム談義に花を咲かせるようなこともなく、売り買いを済ませるといつも無言で帰ってしまう。
それでも二人がこの客のことをよく覚えているのは、香田さんが筋金入りのレトロゲームマニアだからである。
植木と多治見くんの手にかかれば、客が売り買いするソフトの構成を見るだけで、その客のマニア度がどの程度であるか簡単に推察できてしまう。
香田さんが買うソフト、売るソフトのチョイスは、明らかに「分かっている人」のものだ。その品物のチョイスを見ただけでもう、香田さんがかなりの筋金入りのレトロゲームマニアであることは一目瞭然だった。こういう客は珍しいので、時々しか来店しなくてもどうしても記憶に残る。
そして、中古ゲームを店に売る時には、免許証などの身分証明書を出して、身元を明らかにしなければならない。だから自然と二人とも香田さんの名前を覚えていたのだ。
植木は店のパソコン端末を叩いて顧客名簿を開いた。そこにはゲームを買い取った時に記録した、客の氏名、年齢、住所、職業、電話番号といった個人情報が残されている。
香田 彰さん、四十歳。会社員。
あの謎の女性も見た目は四十歳程度だったので、香田 彰さんと夫婦であっても全く違和感はない。女性によって今まさに売り飛ばされられようとしている哀れなゲームソフトたちは、香田彰さんが心血注いで収集した愛蔵の品である可能性は十分考えられた。
でも、果たしてこの後どうすればいいのか。
「ちょっと、この情報だけで香田さんに連絡するのは、やりすぎかなぁ……」
「個人情報の濫用になっちゃいますかね……」
客の個人情報は、店として一番取り扱いを注意しなければならないものだ。知っているからといって、そうそう気軽に使っていいものではない。
「せめてもう少し、普段から立ち話してイベントとかで連絡取ってる人だったら、悩まずにすぐ電話かけてるんだけどなぁ……。手掛かりが『CODA』って書かれたネームタグだけじゃ、ちょっとね……。来店してくれたらまだ話はしやすいんだけど……」
結局植木は、香田さんに電話をすることは諦めることにした。たった電話一本で様々なモヤモヤが一発で解決できるのだが、それよりも店としての信用の方がずっと大事だ。
そして多治見くんの助言に従って、秋葉原中のレトロゲームの店に次々と電話をかけて事情を説明し、こんな女性客が来たら黙ってソフトを買い取り、そして様子を知らせてほしいと頼んで回った。
だが、結局その女性客はその後、秋葉原のどのレトロゲームの店にも現れる事はなかった。
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