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三.香田 かすみと香田 彰の一人息子 香田 大洋
「あー。家帰りたくねえ」
大洋が不機嫌そうに大声でぼやくと、大洋の横でブランコに腰かけていた十和子は「私も帰りたくない」と大洋に聞こえないような小声でボソッとつぶやいた。
「どしたの?」
心配そうに十和子が大洋に尋ねると、大洋は「親父と母親がケンカしてんだよ」と遠くの空をぼんやりと眺めながら、ぶっきらぼうに言った。ニキビが少し浮いた大洋の横顔を、十和子は若干の憧れとあふれんばかりの好意と、それと同じくらいの不安が混ざり合った、自分でもよく分からない、ごちゃまぜの感情を抱きながら眺めていた。
二人は誰もいない夕方の公園で、並んでブランコに腰かけている。錆びた古いブランコとすべり台と小さな砂場しかない、さびれた狭い公園だ。
すぐ近くに新しい遊具がたくさんそろった広い公園があるので、たまたま空いた土地に片手間で作ったようなこの公園で遊ぶ物好きな子供はほとんどいない。でも、それが高校二年生の二人にとっては逆に好都合だった。
「へー。けっこう深刻な感じ?」
「離婚しそう」
「え⁉」
十和子が顔色を変えて大洋の顔を心配そうに眺めると、大洋は力のない微笑みを浮かびながら十和子の方を振り向いた。
「いや、まあ大丈夫だとは思うけどさ。それくらい大きなケンカってこと」
「そうなの……」
十和子はどう会話を続けていいのか分からなかった。ここで変な感想を言ってしまったら、バカな女だと大洋に軽蔑されてしまうかもしれない。でも、かといって黙りこくっちゃうのもなんか深刻な感じになっちゃって、それはそれで非常に気まずい。
鉛のように重く鈍い数秒間の沈黙のあと、耐えられなくなった十和子は破れかぶれのような気持ちで、とりあえず会話をつなげるという目的のためだけに大洋に尋ねた。
「それで、ケンカの理由は何なの?」
すると大洋は、下を向いてむっつりと黙りこくってしまった。足を延ばして、腰かけているブランコを所在なげに静かに揺らす。油の切れた古いブランコがキイと音を立てた。
――えっ?そこで黙っちゃうの⁉しまったぁ!
十和子は思わず冷や汗をかいた。両親がケンカしてるなんて話を、わざわざ自分から私に言ってくるってことは、それは当然、私にそのケンカの話を聞いてほしいって意味なんじゃないの?
それで、ケンカの話を聞いてほしいんだとしたらさ、そりゃ、まず最初に話題になるのは両親がケンカした理由だよね。誰だってまず真っ先に気になるのはそこだよね?
そう思って、これが一番自然な流れの無難な質問かなー、と思って「ケンカの理由は何なの?」って聞いてみただけなのに、それがなんだか大洋くんの地雷だったみたい。やば……
十和子はそこで、大洋の両親の夫婦ゲンカの理由がピンときた。
――あ。どっちかの親の浮気とか不倫とか、そういうのか。夫婦ゲンカの理由。
そうか、そういうやつか。それだったら理由あんまり言いたくないわよね。
しまったなぁ……ここは何も質問しないで優しく「大変ね」とだけ言って、話を広げないで終わらせるのが正解だったんだ。やっちまった私……
そう思い込んだ十和子が、必死の思いで脳をフル回転させて、自分の失言をなんとかして挽回する気の利いた一言を考えていたら、大洋の口から意外な言葉が出てきた。
「……これ、恥ずかしくてあんま言いたくないんだけどさ。ゲームなんだよ」
「は?」
「ゲーム」
「は……?……何?」
「ゲームが原因で、親父と母親がケンカしてんだよ」
「……なにそれ?」
大好きな大洋の前では、十和子は常にベストの自分を見せたくて、いつも緊張して自分の表情、行動、言動を慎重にコントロールしようと全力を尽くしている。それなのに、そんな十和子から、間の抜けた声で本音の質問が思わずポロリと口を突いて漏れてしまった。
……でもホント、なにそれ?
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