四.香田 かすみの大学時代からの友人、織野 文

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四.香田 かすみの大学時代からの友人、織野 文

 かすみーるはホント、昔から変わらないわね。 織野 文はそう言って笑った。 「これはこうだ、って一度自分の中で固まっちゃうとさ、もう何も見えないって感じじゃん。そうなっちゃうと、ホント一切空気読まなくなるよね」  香田 かすみは、だってしょうがないじゃん性格なんだからと言うと、 「私だってさぁ一応、あぁ今の自分は周囲見えなくなってるなーって、ちゃんと分かってはいるのよ」 とウンザリしたような顔で笑い返した。二人は喫茶店のコーヒーセット一つでもう二時間は粘っている。大学時代からの唯一無二の親友同士で、話せど話せど、まだまだ話したいことはいくらでもある。  周囲が見えてないって自分でも分かってるんならさ、その時点で修正しなさいよ。  一瞬だけ文はそう思ったが、でも友人の少々めんどくさい性格を思い出して、まあ、そんなんで簡単に修正できるんだったら誰も苦労しないか、と思い直して言った。 「そうなっちゃった時のかすみーるって、なんか鮭が川を昇ってくみたいなのよね」  変な例えを言い出した文に、かすみは「何それ」と笑った。 「なんか意味もなく人の流れに逆流しちゃう感じ。みんなこっち行くよね、って当然思ってるのに、一人だけなんか逆の方向行っちゃうの。出口の方の自動改札を無理矢理通って中に入ろうとするみたいな。わざわざ一番面倒で難しい方向に行っちゃうみたいな」  自分のことを誰よりも理解してくれている友人の的確な比喩に、かすみは大笑いしながら手を叩いて「すごいなフミちゃん。よく見てるわね私のこと」と言い、「確かに私、鮭かもしんない」とその指摘を素直に受け入れた。  香田 かすみと織野 文は大学時代からの友人だ。 それぞれが自分の家庭を持ち仕事もしていると、学生時代の友人とは自然と疎遠になってしまうものだが、そんな中で文は、かすみにとって今でも定期的に連絡を取り合っている唯一の友人だ。  二人とも今年で四十歳だけど、話す時は未だに、「かすみーる」「フミちゃん」という大学のバトミントンサークル時代のあだ名で互いのことを呼び合っている。  かすみと夫の彰は、このバトミントンサークルで知り合い、そして卒業して八か月後の十一月には早々と結婚してしまった。サークルの同級生の中でも一番早い結婚だった。だから文は彰のこともよく知っていて、結婚生活については話が早い最高の相談相手だ。    文はいつもおとなしい。他人から自分の意見を求められるのが何よりも苦手だ。そんな文からすると、揺るがない自分の意見をいつもハッキリと持っているかすみは、自分の中にブレないしっかりした芯を持つ強い人のようにまぶしく見える。  でも、かすみはせっかく自分の中で色々と強い思いを抱えているのに、不器用で口下手なせいで、いつもそれをうまく周囲に出すことができない。 それで悶々とした挙句、結局は自分の考えを自分の中に押し込めて、外見は兎のようにおとなしくしている。  それがまた文にとっては、せっかく自分には無い素敵なものを持っているのに本当にもったいないと、ついフォローしてあげたくなるらしい。  一方でかすみにとっての文は、いつも感情だけが先行して言葉が付いてこなくて失敗ばかりしている自分の話を、辛抱強く最後までちゃんと聞いてくれる貴重な理解者だ。  文の前で話す時だけ、かすみは自分の抱えているものを全て説明することができる。それは文が聞き上手なのと、かすみの思考のペースと文の思考のペースが偶然同じくらいだったからなのだが、文と会話していると、ただそれだけで自然と自分の考えがまとまってくるので、かすみにとっては大変気分がよかった。  黙ってウンウンと話を聞き、他人の自己主張を一旦すべて受け止めてくれる控えめな文と、一見温和そうに見えて内面では実はかなり自己主張が強いかすみは、どういう訳か初対面の頃から不思議とウマが合った。お互いがお互いに無いものをうらやましがり、欠けたものを補い合うような形で、二人は性格が偶然ピッタリと噛み合ったようだ。  そんなわけで、文とかすみは今でも時々こうして時間を作って会っては、最近の出来事や悩みについて、とりとめのない雑談をしている。別にどこかに遊びに行ったりする必要はなかった。大学生だった頃と同じように、喫茶店でただダラダラと話をするだけで十分楽しくて、それ以外のことはむしろ邪魔だった。 「で、彰くんのゲームの件はどうなの?」 文が尋ねると、かすみは「全然ダメ」と不機嫌そうに言い捨てた。最近、かすみの話題は夫のゲームコレクションに対する愚痴が多い。  愚痴りながら、かすみが悲しそうにつぶやいた。 「やっぱり私たち、『鉛の飛行船』だったのかしら……」
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