五.香田 かすみの夫、香田 彰

1/6
17人が本棚に入れています
本棚に追加
/48ページ

五.香田 かすみの夫、香田 彰

 どうしてこうなった。  俺にはさっぱりわからない。  かすみに、俺の大事なコレクションを売り払われた。  俺たち夫婦は二人とも自己主張が強い。あまり親しくない人からは、全然そんな風には見えないと言われることが多いけど、それは単に、関係の薄い人を相手にする時には猫をかぶって温和な人を演じているから、その人には俺たちの本当の内面が見えていないだけのことだ。  我々夫婦をよく知る人は誰もが、二人とも普段はおとなしいのに、スイッチが入ると急にめんどくさくなるとか、一度思い込むともう他人の意見が一切耳に入らなくなって、極端な方に一直線に走っちゃうなどと言う。  二人ともそんな性格であることはお互いに分かっていたから、仲良くやっていくためにはちゃんと気を遣って、めんどくさくなるスイッチが押されないようにしていかないといけない。お互いにだ。  そういう意味では、これまでの十八年弱の結婚生活は、それなりに上手にやってこれていたように思う。もちろん、長い結婚生活で相手の地雷のスイッチを一度も踏まないなんてことはできない。時々はうっかり踏んでしまう時もあるが、それでも完全には関係が破壊されないように、なんとか怒りを抑え、歩み寄って話し合って、お互いの落としどころを一緒に探してきた。  でも、今回は違う。  かすみは明確に、わざと狙って、夫婦のルールを破ってきた。不幸な偶然が重なったとか一時的にカッとなったとか、そういうのではない。計画的に俺のことを試して、それで勝手に俺のことを決めつけて、そして自分の意志でルールを破ったのだ。今までは何とかなってきたが、今回ばかりはもうダメかもしれない。  だいたい、アイツは察してくれが多すぎるんだ。俺は議論をしよう、お互いの意見をすり合わせようと言っているのに、アイツはいつも黙ってしまう。それじゃあ相手の考えていることなんていつまで経っても分からないじゃないか。俺は一体どうすればいいんだ。  かすみはおそらく「なんで私の気持ちを察してくれないの?こんなの普通分かって当然でしょ?」とでも思っているのだろう。そういうのがアイツの勘違いしているところで、「相手が分かってくれて当然」「こんな当たり前のことは普通なら気付いて、言われなくても気を遣うものだろう」という考え方がそもそも非常に傲慢なんだ。  以心伝心なんて、ほとんど奇跡のような確率でしか成立しない。ほとんど成立しないからこそ美しいんだ。それを、以心伝心でお互いに思いやるのが正しいやり方だとか思っているもんだから、「なんで察してくれないの」とか「あいつは私の気持ちが分かってない」とか、勝手に期待して勝手に裏切られて、勝手に怒る。  そんなのは、バカのすることだ。  言いたいことがあるなら、きちんと言葉で伝えなきゃいけない。  言葉で伝えなくても態度で察してくれるだろう、みたいに思って普段から他人の善意に甘えて、自分の意見をきちんと説明する努力をサボっているから、自分の言いたいことが十分に周囲に伝わらない。それを「察してくれない相手のほうが悪い」なんて怒るのはただの責任転嫁ではないのか。  自分の考えていることを相手に理解させたいのなら、黙ってちゃダメなんだ。  それにしても、かすみとの会話がギクシャクし始めたのはいつ頃からだろうか?去年、大洋が高校受験で第一志望の公立に落ちて、滑り止めの私立に進学したあたりが大きな転換点だったような気がする。  高校が私立になったことで、何となく生活に余裕が無くなって、かすみはパートを週四に増やすとか言い出した。大洋はバレー部の仲間と部活の後に遊びにでも行っているのか、最近はやけに帰りが遅い日が多い。  子供が中学生の頃まで、俺たちは全員、自分の中心は家族の中にあった。けれども、子供は成長と共に徐々に自分の世界を作り、家から離れていく。妻も母親という責任から少しずつ解放され、一人の女性に戻っていく。俺だって、家庭内における父親としての役目はそろそろ終盤戦だ。  そういう、各自の「家庭からの卒業」が始まっているのかな……なんてことを最近よく考える。
/48ページ

最初のコメントを投稿しよう!