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「やはり普通の人間には理解できませんか?」  久遠警部が抑揚のない声で言う。 「では、ご本人に姿を現していただくのはいかがでしょうか。ねぇ?そろそろ出てきてもいいのではないですか?」  そう言って久遠警部は香澄の隣の誰も座ってない席に視線を向けた。  庄吾も杏子も思わず、久遠警部の視線に誘われるように香澄の隣のなにもない空間に視線を向けた時だった。  それは現れた。 「ひぃぃぃぃっ」 「っ!」  杏子は声にならない声を上げ、庄吾は絶句した。  香澄だけが驚くことなく、ゆっくりと隣に現れたそれに目を向けた。  そこにいたのは、希世乃だった。  当然希世乃本人ではない。正確には希世乃に化けた肉吸いだ。  肉吸いは希世乃の顔で口を耳まで裂けさせて笑った。  まるで地のそこから湧き上がる様なその笑い声は、事情を知っている志童でさえも、全身に鳥肌がたった。  そして目をギョロつかせ笑うのをやめると、恨みがましい低い声で飯野家の三人を見て言った。 「おのれぇ・・・・おのれぇ・・・・せっかく良き狩場を見つけたというに・・・邪魔しおって・・・・」 「お母様っ」  香澄が肉吸いに取りすがった。 「大丈夫よ、お母様っ。お母様は私が守るわ。お父様はきっと私がとりもどして差し上げますからっ」  そう言った香澄は、とても正気とは言い難く、肉吸いが化けた姿を本当の希世乃だと思っているようだった。 「あの梅澤って女も死んだわ。杏子だってもうすぐ追い出せるはずだから!だから、お母様お願いっ、どこにも行かないで」  肉吸いは自らに取りすがる香澄を忌々しそうに見ると、その手を払いのけ突き飛ばした。  部屋の中を椅子が倒れる音が響き渡り、香澄は床に転がっていた。 「うる・・・さい・・・うる・・さい・・煩い煩い煩い煩い」 「お・・母様・・・どうして・・・」  言うが早いか、肉吸いは香澄の顔に喰らいつくように飛び掛かった。耳まで裂けた大きな口が、香澄の顔全体を覆う。 「ひいぃぃぃぃっ」  肉吸いの口の中で香澄の悲鳴が聞こえた気がした。  そして香澄の顔から肉吸いが離れると、その顔はのっぺりとしていて目も鼻も口もなかった。 「か・・・・香澄・・・っ」  庄吾がよろよろと立ち上がり、香澄の元へと歩み寄った。  香澄は震える手を伸ばして差し出された庄吾の手にすがった。泣いているのかもしれない。発狂しているのかもしれない。けれども口のない香澄から声があがることはない。 「おやまぁ・・・」  久遠警部が抑揚のない声で言う。 「困りましたね・・・・今回の犯行の重要人物だったのですが、口を取られてしまっては話の聞きようもない・・・・」 「あ、あの・・・久遠警部」  志童が苦笑いで話しかけた。 「えっと・・・あそこの肉吸いは・・・ほっといていいのかなぁ・・・・」 「ぁあ~、そうでしたね。祇園寺」 「はいはい」  緩い返事を返した祇園寺刑事は懐から何かを取り出した。 ___え?お札?  右手の人差し指と中指の間に挟んだ呪符を額にかざし、左手の人差し指と中指を立てて口元に添えた。そして口の中で何やら唱えた後で、突然肉吸いに向かって呪符を飛ばした。呪符はまるで自らの意思がかるかのように、真っすぐ肉吸いに向かってその額に張り付いた。  祇園寺刑事が素早く印を結び叫ぶ。 「縛!」  志童はまるでCG加工された映画でも見ているきぶんだった。呪符から幾重にも光の線がするすると伸びて、肉吸いを完全に捉えた。 「ぅううううっ・・・・おのれ・・・許すまじ・・・許すまじ・・・・」  避けた口から涎を垂れ流し、顔を歪めていた肉吸いの身体が光の線によって、みるみる間に小さくなっていく。  最後にはビー玉よりも少し大きいくらいのたまになって、祇園寺警部の掌にすとんと落ちた。 「なるほど、陰陽師ですか・・・」  琉の呟きに、志童は思わず声を上げた。 「おっ陰陽師?陰陽師って、あの阿部清明みたいな・・・・?まじかよ・・・現代にもいたのかよ・・・陰陽師なんて・・・・」  驚く志童を見て、祇園寺刑事はどや顔で言った。 「あ、陰陽師珍しかったどすかぁ?まぁそうは言うても、うちは蘆屋道満の家系やから、神や仏ってよりも地獄よりですわぁ」 ___いやいやいや・・・全然意味がわからないんですけどっ!地獄よりって何っ! 「あぁ、因みに志童さん」  久遠警部が言う。 「最初に言い忘れましたが、私たちは警視庁刑事課零係つまり、表向きには存在しない機関なのです」 「表向きには存在しない機関?」 「えぇ。妖などこの世の人ならざる者が関わる事件専門ってことですよ」 「そ・・・そうですか・・・・」 ___絶対わざと言ってなかったんだ・・・・やっぱり悪意を感じる・・・  こともなげにそう言った久遠警部は、未だ悪夢の真っただ中にいる飯野家の面々に向けて小さく笑みを浮かべた。 「さて、ホシの確保も済みましたし私たちはこれにて失礼いたします。祇園寺、いきましょう」 「はい」 「あぁ、そうそう。琉さんに志童さん。今回はご協力ありがとうございます。このお礼はまた改めて」  そう言うと、さっさと部屋を出て行こうとした。 「まっ待て!」  久遠が部屋を出る直前、庄吾が声を上げた。 「お前は一体なんなんだ!私家族をめちゃくちゃにしてっ!それに娘はっ!娘はどうなるんだ!」  振り返ったのは祇園寺警部だった。 「あないなってしもたら、もうあきまへんわ。堪忍な。ほなさいなら」  そう言って小さく頭を下げると、久遠警部と共に部屋を出ていった。 「志童様、私たちも行きましょうか」 「・・・・・・・」  志童は飯野家の3人をじっと見ていた。  香澄は肉吸いに顔を吸われ、杏子は焦点の合わない目で何かを見ているようだった。ぶつぶつと何かを呟いている。庄吾は、死人のような顔色でそんな二人を見て呆然としていた。 「なぁ・・・琉・・・、この人たちこれから一体・・・」 「そうですね・・・心配ではありますが、私たちにできることは恐らくないかと」 「そう・・・だよな・・・・・」  志童は懐から名刺入れを取り出すと、庄吾に歩み寄った。 「もしも香澄さんと話がしたければ、うちにいらしてください。お役に立てると思いますから」  庄吾は言葉もなく、ただ志童の名刺を受け取った。
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