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久遠警部の襲来
穏やかな昼下がり。
平日の午後である。
銀座の街は大きなスーツケースを両手に持った外国人観光客、せわしなく只ひたすら前だけを見て行きかうサラリーマンなど多くの人が今日もこの街を彩っている。
その真ん中にひっそりと佇むビルがある。
1階の入り口に小さな看板。
すっかり色あせて、遠くから見ればその文字さえよくよく見なければ読めなくなったその看板には『妖怪相談所』と書かれていた。
時折、日本語マニアの外国人が面白がって写メなど撮っていくものの、入っていく者はない。
それもそのはずである。
”妖怪相談所”などと言われたところで、「妖怪に困っているんです」などという悩みを抱えている人間が、果たしてどのくらいいるかというと・・・おそらくいないと言っても過言ではないだろう。
一方、2階は賑わっていた。
通りに面した階段を登ると、そこにあるのは美容室と占い館。
エントランスには平日だというのに、男女問わず多くの客がいた。
カットを終えた客に連れ添い、花魁姿の女が現れた。
完全に時代錯誤であるにも関わらず、その姿は一切浮くことなく女は有り余る艶やかさを咲きほこる花の香の如き辺りにまき散らしている。
「姐さん、ありがとうござりんした」
そう言って艶めかしく客に頭を下げた後で、妖艶な笑みを零す。
客の女ははにかむ様に笑った。
同性でもその瞳に絡めとられればおもわず頬を赤らめずにはいられない。
エントランスにいる客達に視線を滑らせたあとで、しなやかにその身をくねらせた。
「おきちゃ様方おいでんなし。待たせてしもうて堪忍なぁ」
この女。
何を隠そうその正体はお歯黒べったりである。志童から”葛葉”《くずのは》の名を受けている。
「葛葉さんだわ!」
ひとりが言うと、客達の視線は一気に葛葉に集まったかと思うと、あっという間に囲まれた。
「新しいアイメイク教えて欲しくって!」
「おすすめのファンデーション教えてください!」
男性客が、人気店の菓子の箱を葛葉に差し出した。
「葛葉さん、これ差し入れです!」
「おやおやこれは、ありがとなんし」
細い指先で菓子を受け取ると、さらりと男性客の頬を撫でる。
撫でられた男性客はぽーっとして葛葉を魅入った。
「ちょーっと!葛葉ちゃん、お客様がお待ちよーーーー!」
そう言って顔を出したのは、もっさいおっさんだった。とは言え、心は乙女よりも乙女なのである。鋏を持たせりゃその右に出る者はいない。もっさいおっさん、その正体は髪切りであった。志童から幾松の名を受けている。
話すにも、髪を切るにも常におかしなポーズをとっている。くたびれたスーツでも着せて公園のベンチにでも座らせれば、突然リストラにあい就活の日々に疲れ果てたおっさんの出来上がりなのだが、当の幾松は着流した着物の片腕を外し、足には二本刃の下駄を履いている。男女問わずに人生相談から恋愛相談まで幅広く持ち掛けられる頼れる兄貴・・・・いや姉貴なのであった。
「今行くでありんす」
葛葉は艶めかしく一礼をすると、店に戻っていった。
葛葉と入れ違いに向かいの占い館から客の見送りで出てきたのは、一見どこにでもいそうな女である。財布片手にこの銀座の街を歩けば、OLのランチタイムの出来上がりである。この女、覚りである。覚りは人の心を読む。そして時にその過去やトラウマまでも・・・。
「慶覚さん、いつもありがとうございます。勇気が出ました!」
そう言って客の女は覚りの手をきゅっと握った。
「うん。貴方はとっても素直な人よ。それはね、一見どこにでもあるようでないものなの。素直さは宝だわ。頑張って!」
「はい!」
客の女は咲きほこれんばかりの笑みを向けると、何度も何度も覚りに頭を下げて帰っていった。覚りはそんな彼女を見送りながら、満足そうにほほ笑んだ。志童から慶覚の名を受けている。
3人の妖たちが精を出してせっせと労働する最中、志童はといえば1階事務所ではソファーの上で横になりうつらうつらしていた。
その腹の上ではすねこすりのルドが気持ちよさそうに寝ている。志童の呼吸に合わせて、ルドの身体も上がったり下がったりしている。
机では琉がひとりパソコンと向き合って、忙しそうに指を動かしていた。
と、そこへ一区切りつけた慶覚が入ってきた。
「志童ちゃーん、私が頼んだガリガリ君夏限定チョコ買っておいてくれたー?って、まぁた寝てるの?呆れた・・・。一体どんだけ寝れば満足よ」
両手を腰に当てて、あきれ顔で志童を見下ろす。
その様子を見て、これでもかと言わんばかりに大きなため息をついたのは、飾り棚に飾られた青銅鏡の雲外鏡であった。魔物の正体を明らかにする・・・というのが雲外鏡の持つ力であるが、離れたところの様子なども映しだしてくれるので、実は妖怪相談所の縁の下の力持ち的役割でもある。自ら”雲外姉さん”と呼ばせているが、その年齢は不明。イケメンに目がなく、特に琉と志童の親友の善がお気に入りのようだ。大抵は寝ているが起きているとこうして、するりと会話に交じってくる。
「まったく、琉様がこんなにも仕事をしているのに私たちの主はどうしてこうも進歩がないのかしらね・・・・」
琉がクスリと笑った後で、その指を止め志童に視線を移す。
「それでも、志童様は私たちにとって大切なお方です。長い間封印されていた私たちに居場所と役割を与えてくださったのは志童様ですからね」
「そー言われるとその通りなんだけどぉ~、にしてもみこっちゃんや善ちゃんと比べるとどうしてもねぇ・・・・」
「この男には向上心ってもんがないんだよ!全く生まれはそこそこのお大臣だってのに、勿体ないことだよぉ~」
「まぁまぁ、雲外姉さんもその辺に・・・志童様が起きづらくなってしまいますよ」
笑いを堪えながら琉が言うと、志童がしかめっ面でむくりと起き上った。
「わわぁっ!」
志童の上で寝ていたルドが一回転して転がった。
「たっくよぉ~、人が寝てると思って言いたい放題だな・・・・」
「志童ちゃん、言われたくなきゃまずその寝ぐせ、どうにかしなさいよ」
「ん?あぁ・・・・」
手を頭に確認すると後頭部にぴょこんと立った毛があるが、軽く手櫛をいれただけで、志童は両手を伸ばして大きな欠伸をした、その時だった。
事務所のドアが開いた。
そこに現れた人物に志童は両手を伸ばした姿勢のまま固まった。
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