4、須藤先生は、たまに良いことを言う

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「それは赤子じゃないです」  先日の掃除で、まだ使えると思って残しておいた茶筒を引っ張り出した。ちゃぶ台の真ん中に置いて、かざぐるまを飾る。どうも殺風景だ。かざぐるまに色をつけてみようか。 「――では、何に見えた?」  また、いつの間にか先生は、すぐ近くにいた。この人はなぜ、足音を消して移動するのか。忍者の末裔なのかもしれない。  先生の表情は、極上のスイーツを食べた女子高生のように輝いており、何かを私に期待しているらしい。無駄に整った顔が、早く答えろとでもいうように、じりじり近づいてきて、さっと視線をそらした。 「人間ですよ。面白くない答えでしょう?」 「赤子、ではないのか。出来立てなのに」 「どちらかといえば、もっと成熟した……うーん、なんて言えばいいのかわからないんですが、こう、犯罪を犯す前の人、みたいな」 「このレジンが?」 「はい。研磨の仕方で輝きを増していくところとか、やり方を間違えると販売できずに捨てるしかないところとか。研磨する前のレジンは、とてもつらい境遇にいる子たちだな、って思いました。ほかの子が磨かれているのを見て、自分もああやって綺麗になるんだ、って思ったり。あの子みたいに失敗してしまうんだ、って恐れたり」  結局、かざぐるまをちゃぶ台のうえの缶に差したまま、カスタマイズは辞めた。このままでも生活に支障はないだろうし、いい加減帰らなければ。 「鏑木くん」 「なんですか?」  あ。初めて、名前を呼ばれた。名字だけど。  振り向いた私に、先生は手の中にあった、私が二時間半かけて磨いた球体を差し出した。 「いるか?」  差し出された球体を見て、首をかしげて、そして少し笑う。  先生はおかしなことを言う。 「いりません。持って帰っても、捨てるしか使い道がないですし」 「それは、きみが納得できない仕上がりだからか」 「はい。綺麗に出来たら、そのときは、購入しますね」 「『失敗作はいらない、美しければ金を出しても手に入れる』」  ぽつり、と先生が呟いた言葉は、しっかりと私の耳に届いた。  嫌悪。その言葉がぴったりなほどに、顔をゆがませた先生がそこにいる。  甘えすぎたのかもしれない、と思った。先生は、口が悪くて人使いも荒いが、私の話を聞いてくれる。だから、思っていることを素直に言えた。それ自体が甘えであるとわかっていたはずなのに。 「あの、ごめんなさい」 「謝る意味がわからん、馬鹿め。以前に、そんなことを言ったやつがいたんだ。それを思い出した」  先生は吐き捨てるように言うと、犬を追い払うみたいに私に手を振った。 「今日は帰れ。明日も放課後こい。明日は、息抜きに付き合ってもらう。動きやすい服でこい」 「わかりました」  言われるまま帰路についた私は、何度も深いため息をついた。  先生の気分を損ねてしまったらしい。何がいけなかったんだろう。先生の作品だから、コンセプトがあったのかもしれない。私が受けたインスピレーションは、その正反対だった可能性がある。  少しだけ、心がもやっとした。  高校時代に感じたものと似ているが、もっと弱くて、少し違う。  この感情は一体なんなのだろうか。  私は、私自身のこともよくわからないようだ。
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