第二章 1、渡月は、認めたくない

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「いや。遠いのか」 「学校から徒歩で五分ほどです。ラッキーでした、とても近いので。通学に一時間かかる人もいるんですよ」 「そうか。無理はするなよ、つらいときは話くらい聞く。愚痴でも構わない」 「先生、優しくなりましたね」  しみじみと告げると、下がってきていた先生の眉がつり上がった。 「前からだ!」  まったく、と先生は封筒を執務机の引き出しに入れた。  自然と、私の目は封筒を追ってしまう。  私の年齢と、先生の年齢。そして、先生が高校生の頃いなくなったという須藤由紀子。それらを逆算すると、私が三歳か四歳のころに、須藤由紀子は失踪したことになる。 ――『あなた、見所があるわ』  あの声を聴いたのは、小学校へ入る前だ。  なぜならば、私には小学校入学以降の記憶が「ある」から、小学生のころには出会っていないと確信できる。  逆に言うと。  私は、小学校へ入学する以前の記憶が、まったくない。 それが当たり前で、お父さんも気にしなくていいと言っていた。今が大切だから、過去は覚えていなくてもいいよ、と。  それは、私が預けられていた親戚の家でも同じで、誰も私が過去を覚えていないことを責めなかった。むしろ、当たり前であるというように、接していた。  私は、そっと目を伏せる。  須藤由紀子、と心の中に、その名前を焼き付けた。
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