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「あなたは……近藤君のお母様!」
「お察しの通り、私が昌弘の母親です。愚息がいつもお世話になっているそうで」
そこにいるのはまさしく近藤の母親・近藤美紅であった。恵里菜は事前の調査で、近藤美紅がシングルマザーで警備会社に勤めており、警護術の達人で会社ではそれを指導する立場にあるとの情報を得ていた。しかし実際に手を合わせてみると、その強さは恵里菜の予想をはるかに上回っていた。
その時、再び玄関のチャイムが鳴った。出てみると、制服姿の警官だった。
「あのー、こちらで激しく争っているような音が聞こえると、近所の方から通報があったんですけど、いかがなされましたか?」
「あ、すみませーん! 友達と一緒にダンスの練習してたんです、ほら、あの、ズンバってヤツ」
恵里菜は両手を交互に押し出す動作をし、美紅に目配せした。すると美紅は話を合わせるように作り笑いを浮かべ、何度も頷いてみせた。警官は少しポカンとして二人を交互に見やって言った。
「ああ、ズンバですか、何か流行ってるみたいですね。ウチの家内も夢中になっています」
「そうでしたか、奇遇ですねぇ。それで私たちも熱中しすぎて、つい……」
「まあ、程々になさって下さいね。あまり騒がれると近所迷惑になりますから」
「はい、気をつけます!」
恵里菜は思わず敬礼してドアを閉めると、愛想笑いから真顔に戻った。美紅も恵里菜に合わせて同じように真顔になった。
「……それで、近藤君のお母様がどのようなご用件で? そもそもどうやってここが?」
「……あなたと同じ手口を使ったのよ」
美紅は恵里菜が近藤に仕込んだ小型発信機を取り出し、恵里菜の前に投げ捨てた。「それで、うちの子を随分可愛がっていただいたようなので、挨拶に来たのです」
「ご挨拶にしては、少し手荒やないですか?」
すると美紅は急激に表情を険しくし、声を荒げた。
「あなた、自分が何ばしたかわかっとぉと?」
美紅が急に博多弁になったので恵里菜がたじろぐと、美紅は落ち着きを取り戻した口調で言葉を繋いだ。
「教師たるものが生徒を使ってトイレの盗撮など言語道断。しかもターゲットが薄汚いオヤジだなんて……」
「すみません、その点については深く反省しております。ただ誤解なきよう申し上げますが、私は変態趣味であのようなことをしたわけではありません」
「では、どういうことだと仰るの?」
そこで恵里菜は一通り話した。怪文書のこと、クラスでイジメは二件発生しているようだが、文書とは無関係と思われること、そして十五はイジメっ子を表しているのではないかと思い、船越の盗撮を近藤に頼んだことなど……。
「なるほど。でも、十五の意味するのはFとは限らないのでは?」
「たとえば?」
「たとえば……不良少年を象徴する言葉じゃないかしら。ほら、不良って、ちっちゃな頃からの悪ガキで十五で不良と呼ばれたり、十五の夜に盗んだバイクで走り出したり……」
「いやいや、今時の高校生の発想にしてはネタが昭和過ぎますよ。それに不良少年に該当するような生徒は一個人に絞り込むにはあまりに大勢います」
おたくのご子息も含めて、と言いそうになって恵里菜は慌てて口を噤んだ。美紅は少し照れるように言った。
「まあ、つまらない冗談はさておき、一つ思い当たることがあるの……実は小学生の頃、私のあだ名はニーナだったのよ」
「ふうん、ニーナってあだ名やったんですか。で、それがこの話と何の関係があるんです?」
「私の名前は美紅、語呂合わせで数字で表すと3と9。掛け算すると3×9=27やけん。それでニーナというわけ」
「まあ、子供のあだ名の付け方ってホンマ色々やな」
「だから思うんだけど、そのイジメっ子の名前も語呂合わせで掛け算九九になっていて、答えが十五になるんじゃないかと……」
「仮にそうやったとして……九九の中で答えが十五がなるんは3×5か5×3しかない。これに当てはまる人名っていうと、みこ、いつみ、さんご、それから絵本作家の五味太郎なんか当てはまるなあ。ちょっと待って下さいね」
恵里菜はパソコンを起動させ、クラスの名簿を開いてみた。しばらく画面とにらめっこしていたが、やがて諦め顔になって言った。
「……あかん。クラスの中には三五にも五三にも当てはまる名前の生徒がおりませんわ。明日、他のクラスの名簿も確認してみます」
「そうね。では私はそろそろお暇します。今更ながら、数々のご無礼お許し下さい」
「いえ、気にせんといて下さい」
「それから……昌弘はヤンチャなところがあるけど、根は優しい子やけん、よろしく頼みます」
「……わかりました」
美紅が去ると、恵里菜は笑いが込み上げてきた。親バカにマザコン……しかも親子共々ケンカの達人というアンバランスさが何とも可笑しい。
(気にせんとこって思たけど、やっぱ親がおるって羨ましいわ。そやけどシングルマザーやねんな。苦労して育てはったんやろな……)
などと悠長なことを考えていた矢先、格闘中に蓄積していたダメージが一気に引火し、身体のあちこちに激痛が走った。
「痛たたっ! 死ぬーっ!」
恵里菜は深夜になっても痛みでなかなか寝付けなかった。
†
──パシッ!
痛い! 何すんのや!
アホー! こんなモンで手首なんか切ったらもっと痛いで。
それ返してよ!
あかん、没取や。
とにかく離して!
今離したら何をするかわからんやろ。あんたが落ち着くまでこの手は離せへん。
もう、ほっといてや! 私なんか生きてても意味ないねん!
ほっとかれへんわ! ええか、よう聞き。あんたは宝や。この世の宝や。あんたのおかげで救われる人間がぎょうさんおるんやで。
ええ加減なこと言わんとって!
ええ加減やない。あんたは頭ええ。私なんかよりずっとな。そやから分かるねん。あんたはこの世の困った人たちを救う人になるんや。今の辛い境遇はな、そのための肥やしと思たらええ。いつか笑える時が来る、その時までの辛抱や……。
──ピピピッ!
目覚ましの音で恵里菜は目を覚ました。それまで無意識に何度もスヌーズボタンを押していたようで、セットしていた起床時間からかなりの時間が経過していた。
「……あかん、こんな時間や、早よ行かな!」
恵里菜は急いて身仕度し、慌ててアパートを出た。
駅で電車を待っている最中に携帯がブルブルと震えた。恵里菜は通話ボタンを押し、携帯を耳に当てた。
「もしもし、恵里菜です……今朝、あなたの夢を見ましたよ」
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