Chapter1: Bottom layer

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 恵里菜が職員室で紅茶(アールグレイ)を飲んでいると、二人の生徒が取り乱した様子で駆け込んで来た。 「先生、大変です! 柿内さんが、階段から落ちてケガを!」 「何やて? 柿内は今どこにおる?」 「保健室です!」 「わかった、すぐ行く!」  柿内有紗(ありさ)は恵里菜が受け持つ二年B組の生徒だが、卓球部のエースで翌週には全国大会を控えていた。その上、次期オリンピック出場候補とも目されており、怪我をしたとなると学校だけでなく国民的な一大事である。そのため船越と風見教頭も急いで保健室に向かった。 「柿内ーッ! 大丈夫か?」  恵里菜は保健室に入ると開口一番そう叫んだ。中では柿内がベッドに横たわっていたが、その側には養護教諭の鬼崎千鶴、そして学級委員の宍戸和一が立っていた。 「何で宍戸がここに?」  すると鬼崎が宍戸に代わって答えた。 「柿内さんが転落した時、駆けつけた宍戸君が応急手当てをした後、ここまで背負って来てくれたんです。その処置が完璧だったおかげで大事に至らずにすみました」  そこで風見教頭があからさまに一番気になることを尋ねた。 「それで、大会出場には支障はないのかな?」 「ええ、幸い打ち所も悪くありませんし、今日ゆっくり休養すれば明日には復帰できるでしょう」 「そうか、それはよかった」  風見教頭はホッと胸を撫で下ろし、宍戸の方を向いて言った。「宍戸君、良くやった。おかげで柿内さんも無事大会に出場できる。本当に君は我が校の恩人、救世主だよ」 「教頭先生、もったいないお言葉です。僕はクラスメイトとして当たり前のことをしただけですから」  その後も教頭は宍戸に賛辞を送った。恵里菜はとりあえず問題なさそうだと思い、保健室を出た。すると、B組の生徒の一人である伊吹陽子が声をかけてきた。 「藍衣先生、ちょっとお話したいことが……」 「お話したいことって?」 「宍戸君の仕業やと思うんです。柿内さんが階段で()けたん……」  それを聞いて恵里菜は唇に人差し指を当てて言った。 「ちょっと、向こうで話そか」  恵里菜は体育館屋上テニスコートへ連れて言った。ぽっちゃり体型の伊吹には長い階段を登るのはきつかったようで、テニスコートに着く頃には肩で息をしていた。 「宍戸の仕業ってどういうこと?」 「私、三階で柿内さんと話してたんですけど、その後柿内さんは階段を降りて行ったんです。その様子を私は上から見ていました。すると宍戸君が下から上がって来たんですけど、すれ違いざまに宍戸君は屈んで自分の靴紐を直し出したんです。柿内さんはそのまま横を通り過ぎましたけど、彼女が踊り場に着いた時、靴紐が解けていることに私は気がつきました。  それで注意しようと思った矢先、宍戸君から声をかけられて『伊吹、明日日直だったよね。僕が日直の日、用事があってさ、悪いけど替わってくれない?』と訊かれました。私は即座に承諾したのですが、その時階下から『キャーッ!』って悲鳴が聞こえて来たんです。  私たちが慌てて下に降りてみると、柿内さんが階段の下で倒れていて……。どうしようかと思っていると宍戸君が駆け寄って出血箇所を消毒して絆創膏を貼り、打撲箇所には冷却スプレーでアイシングをしたんです。それは全てあっという間の出来事でした。一通り応急手当てが済むと、宍戸君は柿内さんを背負って保健室に駆け込んだんです」 「ん? ちょっと待って。それで何で宍戸の仕業になるのん?」 「……柿内さんの靴紐解いたん、宍戸君やと思う」 「ちょ、ちょっと、伊吹さんがはっきりそれを見たわけちゃうんやろ?」 「ええ、確かにはっきりとは見えませんでした。多分屈んだ時に手品みたいに手際よくやったんだと思います」 「何で? だって柿内の手当てしたんは宍戸自身やで」 「おかしくないですか? どうして普通の高校生が救急用具を懐に携帯しているんです? まるで怪我するのがわかっていて準備していたみたいやないですか」 「うーん、言われてみれば」 「前々から私、あの宍戸って子、何か気持ち悪うて……彼の自宅の最寄り駅、蛍池なんですけど、わざわざ石橋まで行ってそこから折り返し乗ってくるんです」 「そらまたどうして?」 「蛍池からやと梅田行きの電車に座られへんけど、石橋からやったら空いてるんで大体座れるんです」 「それは単に座って通学したいだけちゃうの?」 「いえ。その電車、豊中駅でけっこうお年寄りが乗ってくるんですよ。宍戸君はそのお年寄りに席を譲るんです。そんなこと毎日のようにやってると、『あの子は感心な高校生や』って評判になります。宍戸君はそれを狙ろてるんです」 「そんな面倒なことをしてまで?」 「はい。だから今回のことも宍戸君があらかじめ計画を立てて実行したんやないかと。現に教頭先生、宍戸君のことベタ褒めやないですか」 「そやな。とにかく、このことは私たちだけの話にしよ。私も黙っとくし、伊吹もそうしてくれるかな」 「わかりました」  しかし、二人が階段を一階分降りたところで九部と鉢合わせになった。明らかに立ち聞きしていた様子で、伊吹はギョッとなり、「失礼します」と言って立ち去った。恵里菜は釘を刺すように九部に言った。 「今の話、聞いとったんか。頼むから黙っててな」 「別に言いませんよ、話し相手もいないし。それにしても宍戸、〝良い子症候群〟みたいですね」 「良い子症候群?」 「正式にそういう病名があるわけではないですけど、褒められるために不本意な善行を行なったり、極端な場合は隠れて反社会的行動を起こしてまで自分が善行を披露できる舞台を作るなど、とにかく人の賞賛を受けるために手段を選ばないんです」 「宍戸がねえ……」  その時恵里菜は宍戸の名前を口にしてハッとなった。 「ししど……()×()ど?、九九の名前やん!」 「え? 何ですか、それ」  恵里菜は近藤美紅が唱えた「イジメっ子の名前九九説」について説明した。 「せやけど4×4=16(ししじゅうろく)やから十五ではないかぁ」 「いや、十六でいいんじゃないですか。前にも言いましたが、十五は十六進法の一桁の数字の中で最も高い数。宍戸のフルネームは()戸和()で、すなわち()()進法の()桁だということを示したかったのかもしれません」 「なるほどな。そやけど、宍戸がイジメっ子言うのもピンとけぇへんな。だって日向が山口にイジメられているところを助けたってんねんで」 「例えばですよ、山口が日向をイジメるように宍戸が仕向けたとは考えられませんかね」 「ええ? まさか」 「さっき伊吹の言ったことが本当だとすると、宍戸はお年寄りに席を譲るためにわざわざ席の取りやすい駅から電車に乗ったり、手当てをするためにわざと突き落としたりする奴です。イジメられっ子を助ける感心な少年……その称号を得るために山口と日向を利用した。相手が近藤みたいに強い奴だと自分もやられてしまうので、イキがっている割にそれほど強くない山口に白羽の矢を立てたのでしょうね」 「そう考えるとせこいやっちゃなあ、宍戸も。そやけどそれをどうやって確かめるかや」 「この前、山口が日向を吊るし上げてたのは、ネットの書き込みが原因でしたよね。そもそもどうやって山口がその書き込みのことを知ったのか疑問なんですよ。その辺のこと、山口に聞いてみたらどうでしょうね」 「そやな……近藤も呼んで山口の話聞いてみよか」  九部は頷き、教室へ戻った。
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