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Chapter2: Middle layer
某自動車メーカーで有名な愛知県豊田市。今から十年ほど前、豊田市の新しいシンボルとしてスカイホール豊田というスポーツ施設が誕生した。地上を走る車の町なのにどうして〝スカイ〟なのか。それは、ス(スポーツ)カ(カー)イ(衣の町)に由来した名称なのだそうである。建てられてから十年以上たった今でも、そのブランニューさは保たれたままだ。
さて、この日スカイホール豊田において、全国高等学校卓球選手権大会が開催され、日本中から集まった少年少女たちが頂点を目指してしのぎを削っていた。中でも注目を集めていたのは女子シングルス決勝で、対戦するのは茨城県・聖栄女学院二年生の呉雪麗と大阪府・長興寺学園二年生の柿内有紗であった。
呉は聖栄女学院が特待生として中国から招いた留学生で、来日時、「日本の卓球をどう思いますか」とのインタビューに対し「ボールが止まって見えた」とコメントし大波乱を呼んだ。
それに触発されたのか、多くの挑戦者が呉に挑んできたがことごとくなぎ倒され、呉は日本の高校卓球界で向かうところ敵なしの快進撃を続けてきた。
一方、柿内はジュニアの頃から天才卓球少女と注目され、二〇二十年東京オリンピック出場候補選手に数えられていた。しかし柿内はこれまで何度か呉に挑んだものの、一度も勝ったことがなく、オリンピック出場は呉を破ることが必須条件だと言われている。逆に呉に勝てばオリンピック出場の切符はほぼ手に入れたものだとも言われ、この試合は柿内にとってどうしても白星を挙げたい関門であった。
このように白熱化が予想される決勝戦であったが、戦いの火蓋が切られると、両者ともに引けを取らぬ接戦で、互いに二セットずつ取ってタイとなり、いよいよ最終セットを迎えた。
だが柿内は思った。呉はまだ牙を剥いていない。いつもここぞというところで伝家の宝刀を抜き、とどめを刺されるのだ。その瞬間が勝負、それまで体力を温存しておかなければ。
それから互いに探り合うようにゲームは進み、マッチポイントを賭けたデュースへと突入。それから何度もデュースを繰り返す。アドバンテージは常に呉が取っているが、それは柿内の作戦でもあった。危険な賭けではあるが、こうして何度もマッチポイントを逃すことによる心理的ダメージを蓄積させる。そうなると呉はいよいよ牙を剥かざるを得ない。呉の焦りが目に見えてきた。
(潮時や!)
15-15となった時、初めて柿内はアドバンテージを取りに行った。相手のカットサーブを強烈なバックハンドスマッシュでレシーブし、相手コートのエッジに叩きつけた。呉は俊敏に対応しようとしたが間に合わず、ボールは床に転がった。
初めて柿内がマッチポイントを迎えたことで会場は盛り上がった。柿内はここで呉が伝家の宝刀を抜くと確信した。それを誘うかのようにかに柿内がロングサーブを放つと、それを目掛けて呉が前進して来た。
「よっしゃ、来い!」
ボールは台の奥へと突き進んだ。前進している呉との距離はほんの僅か。呉のような前陣速攻型の試合でよく遭遇するシチュエーションだが、呉は独特のフォームでバックハンドに構え、ラケットを表ソフトラバーの面に向けた。
呉の伝家の宝刀とは、このバウンド直後の限られた作動範囲から放たれる強烈なトップスピンドライブであった。ボクシングのフリッカージャブにフォームが似ていることから、人々からフリッカードライブと呼ばれていた。
コンパクトな動きもさることながら、本来スピードのために回転力を犠牲にしている表ソフトラバーで強烈なトップスピンがかけられるため、相手は球筋が読めず取り逃がしてしまう。当然今大会でもフリッカードライブ対策を練ってきた選手は少なからずいたが、ことごとく倒された。
「来た! フリッカードライブ!」
呉のフリッカードライブが柿内の左サイドに突き進んで来た。柿内はそれに合わせてバックに大きくテークバックした。その反動でラケットはしなやかにボールに向かって行く。そしてラケットがボールを捉える寸前──。
呉の顔が驚きで歪んだ。柿内がヒットする寸前でラケットを回転させたのである。その面にはアンチラバーが貼ってあり、巧みな操作でプッシュすると相手には自分がかけたトップスピンの逆、すなわちバックスピンのボールが返って行く。
呉は頭でそれがわかっていたが、咄嗟のことで身体が反応しない。呉の返したボールは勢いよくネットにかかり、やがて台上を転がった。
その瞬間、柿内がガッツポーズを決めると同時に大歓声が会場中に沸き起こった。日本の女子卓球界を担う新星の誕生にみな興奮冷めやらぬ思いだった。
†
「……と言うことで、我がクラスの柿内有紗さんが見事全国優勝を果たしました。おめでとう!」
船越が言うと、教室中拍手喝采となった。恵里菜も短期間とは言え受け持った生徒の快挙に誇らしい気持ちで惜しみない拍手を送った。そんな中、九部は我関せずとばかりにルービックキューブをカシャカシャいわせていたが、教室中は冷めやらぬ熱気でいっぱいになり、「おめでとう」という黄色い声がいくつも飛び交った。先日の事件で少なからず心に傷を負った二年B組の生徒たちにとって一人のクラスメイトのこの快挙は希望に満ちた明るいニュースだった。
「では全員で……万歳三唱!」
それを聞いて柿内本人はさすがに恥ずかしくなり手をかざしてやめさせようとしたが、船越はかまわずに号令をかけた。
「柿内有紗選手、万歳!」
「万歳!」
「万歳!」
こうして二年B組の教室内ではしばらく万歳の嵐がやまなかった。
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