Chapter2: Middle layer

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 柿内は学校が終わり一旦帰って着替えた後に、ラケットのラバー張替のために梅田にある〝ロビング〟という卓球専門店を訪れた。ロビングの藤井店長はラバーの張替がとても上手く、柿内は全国規模の試合に出場するようになってからずっと藤井店長に張替を依頼している。 「はい、出来ましたよ」  柿内はラケットを受け取ると貼りたてのラバー面で軽くリフティングしてみた。 「わあ、やはりいい感触ですね」 「柿内さん、今回もタキネスでしたが、もうタキファイアは使わないんですか?」 「はい。あれ、ちょっと引っかかりすぎて。使ってるうちに丁度良くなってくるんですけど、それなら初めからタキネスが良いなと思いまして」 「そうですか、またご意見お聞かせ下さい。参考にします」 「ありがとうございます。またよろしくお願いします」  柿内がラケットをしまい、店を出ようとすると、一人の男性が入店してきた。それは柿内の良く知った顔だった。 「あら、健史君? ひさしぶりやん!」 「おお、有紗! 全国大会優勝やってな。おめでとう!」 「ありがとう、健史君。あの、……部活、写真部に変わったって聞いたんやけど、まだ卓球も続けてんの?」 「ああ、今は写真のほうがメインやけど、卓球も細々と続けてるで。まあ有紗や姉貴とは違って、俺は才能ないから地道なもんやけどな」  この男、牧野健史の姉である牧野沙江子も次期オリンピック候補の一人であり、柿内のライバルとなっているが、もともと牧野姉弟と柿内は同じ卓球スクールに通っていた仲間であった。  これまで日本の女子卓球界は井上希、中森聖子、小泉ちえみの三羽烏がリードしていたが、スター選手の井上希が引退することにより、オリンピック出場の三席目はケイティー食品所属の久家麗子、逢坂大学の牧野沙江子、そして柿内有紗の三人の巴戦で争うこととなった。しかし、全国高校卓球選手権で呉雪麗(ウーシュエリ)を下して優勝したことにより、柿内の株が一気に上がったのである。 「しかし、有紗のせいで姉貴はオリンピックの椅子逃してもうたな」 「ちょっと、そんなこと言わんといて。まだまだどうなるかわかれへんし」  柿内がむきになって怒りだしたので、健史は自分の軽口を反省した。 「ごめんごめん、ちょっとしたジョークのつもりやったけど、真剣勝負で日々鍛錬しているアスリートたちにはむっちゃ失礼な言い方やったな。かんにんやで。それにしても……有紗も今や有名人やろ。もう少しファッションにも気をつこたらどうや?」  健史に言われて柿内は自分の服装を見てみた。清潔に保つよう心掛けているが、量販店でセールの時に購入した服ばかりで、自分ではダサいとは思わないが、オシャレだと胸を張って言える自信もない。 「そうかな……ちょっとダサい?」 「うーん、少なくとも有名人の着る服とはちゃうな。ほら、たまにはこういう店で服買うてみ」  そう言って健史が指し示したのは、メディオラヌムというセレクトショップだった。その店ではプラダやエルメスと言うように、ファッションに(うと)い柿内でも聞いたことのあるような有名ブランド品を多数取り扱っていた。 「ええ……こんな店?」 「ほら、一緒に入るで」  健史は躊躇する柿内の手を引いて無理やり店に入った。 「わぁ……かわいい服!」 「そやろ、有紗はこれから世界に羽ばたくんや。こういう服の一着や二着は持っててもバチ当たらんと思うで……あ、ちょっと待ってな」  携帯が鳴ったので、健史はそれに出た。そしてしばらく会話した後、柿内に言った。 「ごめん、用事出来た。俺は行くけど、有紗はしばらく服見ときや」  そう言って健史はそそくさと出て行った。柿内はあらためて気に入った服をながめた。そして値札を見て飛び上がりそうになった。 (ひゃあ、これはとても私に買えるような代物やないわ!)  柿内は恐れをなして店から飛び出した。  すると、背後から声をかけられた。振り向くとメディオラヌムの店員だった。 「お客様、ちょっとよろしいですか?」 「はい……」  すると店員は柿内の手を引いて店の奥へと連れて行った。 「そのバッグの中身、確認させて頂けますでしょうか?」  店員は質問形で訊いたが、有無を言わさぬ口調だった。柿内は訳が分からず、彼女お気に入りのトートバッグを差し出した。すると、店員はバッグの中から店の商品であるブラウスを丸まった状態で取り出した。 「こちらの商品、まだ清算がお済ではありませんよね?」  柿内は身に覚えがない。 「し、知りません。何かの間違いです」 「当店では万引きを発見した場合、警察に通報することになっております。警官が来るまでしばらくここでお待ち下さい」 「やめて下さい、本当に何も知らないんです。信じて下さい!」  柿内は泣き叫んで訴えたが店員は聞く耳を持たなかった。やがて警官がやってきて柿内を交番に連れて行った。
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