Chapter2: Middle layer

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 柿内は無実を主張したものの、バッグに未清算の商品が入っていたのは事実であり、身の潔白を証明するようなものは何もない。このまま騒ぎが大きくなるのを恐れた柿内は、不本意ながらメディオラヌムに対して商品の代金を支払い、警察も彼女を起訴猶予処分とした。  これで済んだかと思いきや、柿内の窃盗事件はマスコミに嗅ぎ付けられ人々に知られることとなった。学校は柿内を自宅謹慎処分となし、彼女自らも外部との接触を避けた。ところがマスコミは容赦なく関係者に接触して取材し、「オリンピック候補選手、窃盗で逮捕」「期待の新星、蓋を開ければ廃棄衛星」「翼の折れた天使」など散々悪評を書きたてた。さらにJOCは柿内選手を次期オリンピック出場候補から除外することを決定した。ついこの前までは人々から絶賛の嵐に浴していたのが、一気に奈落の底に落とされてしまった。 「もう嫌や、死にたい……」       ♰  学校での仕事を終えて帰宅途中、ふと空腹を覚えた恵里菜は、駅前の立ち食いそば屋に立ち寄った。そして天ぷらそばに箸をつけようとしたとき、携帯が鳴った。 「あ、泰恵さん? ごめんね、あとで掛けなおすから」 「……すみません、わたし泰恵ではありません。柿内です」 「柿内? ああ、ごめんね。元気にしてる?」 「はい。……とりあえず。ちょっとお話したいんですけど、どこかで会えませんか?」 「わかった。万博公園まで来れる?」 「はい、行きます。では後ほど」  それから一時間後、二人はモノレールの万博記念公園駅で待ち合わせた。そして落ち合うとニフレルという近代的な水族館の横を通り、日本一背が高いと謳われる観覧車に乗り込んだ。 「ここやったら誰にも聞かれずに落ち着いて話せるやろ」 「お気遣いありがとうございます」  この観覧車はおよそ20分弱で一周する。短い時間ではないが、要点をまとめて話してもらう必要はある。 「例の事件の話やな。かいつまんで経緯を話してくれる?」 「ええ、実は……」  柿内は梅田の卓球専門店で健史と出会い、メディオラヌムというセレクトショップへ行ったが、そこで店員に呼び止められてバッグを調べられたところ、ある筈のない未精算商品が潜り込んでいて、窃盗を疑われて警察へ連れて行かれ、濡れ衣を着せられて今日まで至っていることを話した。 「つまり、身に覚えのないことで罪人扱いされて酷い目に遭うとるっちゅうわけやな」 「はい。おかげでオリンピックに出れないばかりか卓球まで続けられなくなりそうで……でも、私にはどうしようもないんです。そうして悩んでいる時、藍衣先生が先日の事件を解決したという噂を聞きまして、もしかしたら力になっていただけないかと思ったんです」 「いや、解決したなんて胸はって言えるほどやないけど……」  言いながら恵里菜は罪のない人間が無実の罪で苦しめられていることに憤りを感じた。「わかった。柿内の汚名を晴らしてまた卓球が出来るよう、頑張ってみるわ」 「ありがとうございます! 味方になってくれる人がいるだけでも嬉しいです……」  柿内はそう言って目を潤ませた。 「ちょ、ちょっと、そんな泣かんと。後のことは私に任せて」  そう言った時、ちょうど観覧車が一周した。       ♰ 「……というわけや。今回もよろしく頼むわ」  恵里菜は九部と近藤を体育館屋上テニスコートに呼び出して、柿内の無罪放免というミッションを告げた。その間、九部はルービックキューブをカシャカシャと回し、まるで聞いていないかのような態度を取っていたにもかかわらず、恵里菜が一通り説明したところで物言いをつけた。 「あの、僕が探偵団のメンバーという前提で話すのはやめていただけます? しかも、こいつと一緒なんて嫌ですから」 「コラ、誰に向かって『こいつ』って言うとんねん! しばくぞ!」 「まあまあ、でも柿内が優勝した時、私たち勇気もろたやろ。励まされて希望が湧いてきたやん。その柿内が、今ピンチでどん底におるんや。私たちで何とかしてあげたいと思えへん?」 「藍衣先生はあくまで柿内が潔白だという前提で事を進めるわけですね」 「そらそうや。教師の勘やけど、柿内はやってへん」 「まあ、教師の勘に頼らずとも、柿内くらいのスター選手なら今後スポンサーもついて欲しい服くらいは買えるようになるでしょうから、この大切な時期に万引きなんてリスクを冒すような愚かなことはしないでしょう」  近藤が荒々しく疑問を投げかける。 「そやけど誰やねん。柿内を陥れたドアホは」 「まあ、オリンピック出場候補者でしたから、失脚して得をする人間は大勢いるでしょう。オリンピック出場の切符を争っている久家麗子や牧野沙江子、また柿内に敗れた呉雪麗(ウーシュエリ)が腹いせに報復した可能性も捨てきれません。また彼女らのファンとか周囲の人間まで入れると疑わしい人間はかなりの数に上りますね」 「うーん、あんまり疑いたくない人たちやなあ」  しかしそれに九部が意を唱える。 「スポーツの世界、ことにオリンピックが絡んだところでは昔から汚い話がつきものですよ。柿内を救いたいなら、入れたくないところにメスを入れなくてはならないでしょうね」 「そやな。とりあえず、柿内が捕まったメディオラヌムっていう店に当たってみよか」       ♰  恵里菜と九部、近藤の三人は梅田まで電車で行き、セレクトショップ・メディオラヌムを訪れた。 「いらっしゃいませ」  彼ら三人の出で立ちは店の格式に相応しいとは言い難かったが、店員はマニュアル通りの笑顔で接してきた。 「すみません、先日こちらでご迷惑をかけた柿内有紗の高校の者なんですけど、当日接客していただいた店員の方はいらっしゃいますでしょうか」  店員はあの万引きの事だとわかったようで一瞬を顔色を変えた。恵里菜は社交辞令でこのように言ったが、本音では「迷惑をかけた」など少しも思っていない。 「……担当の者を呼びますので、少々お待ち下さい」  そう言って店員は店の奥へと入って行った。しばらくすると代わりの店員がやって来た。小柄ではあるが、最初に接してきた店員よりも店内の地位は上のようだった。 「お待たせしました。稲田と申します」  稲田は三人にそれぞれ名刺を差し出した。名刺には「スタイリングアドバイザー・稲田亜美」と書かれていた。 「稲田さんですか、あなたが柿内の〝接客〟をして下さったんですね」 「さようでございます。恐れ入りますが、奥の方でお話伺いますので、どうぞこちらへ」  稲田は三人を奥の事務室へと案内した。稲田は小柄でスレンダーな体形であった。髪は明るめの茶色で、着用しているのは店で取り扱っている商品と思われた。三人が席に着くと、アルバイトと思われる若い女性がお茶を運んできた。 「申し遅れましたが、私は柿内の担任を臨時でしている藍衣と申します。それで彼女が窃盗を働いたという、その時の様子を詳しくお聞かせ願いたいと思い、お邪魔した次第です」 「わかりました。あの日、柿内さんは同じく高校生くらいの男の子と一緒に入店して来ました。失礼ながらお召し物を見た限りでは当店のようなブランド品を扱うショップにはあまり馴染みのない方かと思いました」 「まあ、一般的な高校生はお宅のようなお店で洋服を買うことはないでしょうね」  恵里菜はほんの少しシニカルなトーンで言ったが、稲田は意に介さず続けた。 「その後、男の子の方は退店し、柿内さんだけが残ってしばらく店内の商品を眺めていました。その時、奥にいた店長が手招きしたので行ってみますと、展示されていたフォクシーのブラウスが一着なくなっていると言うのです。それで私は試着室をはじめ、店内の様々な場所を探していました。しかし見つかりません。レジの記録も確認しましたが、お買い上げの形跡もありませんでした。ふと柿内さんのバッグを見ると、無くなったブラウスと同じ生地が覗き見えたのです」 「待って下さい、鞄の中身が外から見えたんですか?」 「あの時、柿内さんは上部の開いたトートバッグをお持ちでした。それで中身が見えたのです。それでもう少しよく見ようとすると、柿内さんは逃げるようにお店から出て行かれました。それで私が後を追いかけてバッグの中身を確認したところ、失われたブラウスが丸めて入れられていたのです。それで警察に連絡させていただきました」 「それでその、柿内の様子は……稲田さんの柿内に対する率直な印象はどうでしたか?」 「入店してきた時は真面目そうな子だなと思いました。でも私が窃盗の証拠を見せても中々認めようとはしなくて、案外しぶとい性格なんだと思いました」 「ちなみに彼女が卓球の選手で、オリンピック候補だということはご存じでしたか?」 「後から知りました。もしあの時知っていれば、もう少し彼女の名誉が傷つかないよう配慮したと思います」  稲田への聞き込みを終えた三人はしばらく店内の様子を見て回った。そして恵里菜は柿内が〝盗んだ〟というフォクシーのブラウスも見せてもらった。柿内が着るには少し対象年齢が高そうな印象であった。値段は一万二千円。決して安くはないが、本当に欲しければ彼女なら小遣いを貯めて買うだろう。 (仮に柿内がこれを欲しがったとしても、やはり盗むとは思えない。しかし誰が何のために柿内のバッグにこれを忍ばせたんやろ……)
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