Chapter2: Middle layer

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 恵里菜たちはメディオラヌムを出ると、その足で梅芝本尊前交番へ向かった。そこは柿内が窃盗容疑で連行された交番であり、メディオラヌムからは目と鼻の先の距離にあった。恵里菜は交番に駐在していた古川正文巡査に柿内のことを尋ねた。 「柿内有紗? ああ、覚えていますよ。何だか悲痛な顔をしていましたが中々強情でしてね、結局示談みたいな形でお店に代金を支払って起訴猶予処分となりましたからね」 「起訴猶予処分なんて随分あやふやな処分ですが、防犯映像などの確認はしたんですか?」 「ええ、後から有名人ってことでしっかり裏付けをしろと上から指示がありましてね、店の防犯映像も確認しました。しかし、カメラの死角が多すぎて犯行現場と思しきものは映っていませんでした。何でも最近あの店では万引きが頻発するようになって、防犯カメラを増設することになってたそうですよ」 「万引きが頻発していたんですか。そんな話は稲田さんの口からは一言も出てきませんでしたが」 「聞いた話ですと、アパレル店ってのは万引きが頻発するとスタッフの資質が問われるそうですよ。やっと犯人が捕まってもうそのことは考えたくないってところじゃないですか」  もし稲田がそう考えているなら危ういと恵里菜は思った。柿内は大会で忙しく、梅田のセレクトショップで度々窃盗を働くような暇などなかった。万引きの常習犯は別にいるはずで、油断しているとまたその被害を被るに違いない。       ♰  交番を出ると辺りは薄暗くなっていた。海風が運ぶ潮気と排気ガスの混ざった匂い、これが大阪・キタの空気だ。恵里菜はそれから逃れるように阪急電車の乗り場へと急いだ。そして宝塚行きの急行を待っていると、大学で同じゼミに在籍する久利三成男から電話があった。 「シゲやん? 珍しいな。電話してくるなんて」 「おう、この前久々に会うたからな。ちょっと電話でもしてみよ思て」 「ふうん……あっそうや、ちょうどええわ。なあシゲやん、ウチの大学に牧野沙江子っておるやろ。知ってる?」 「ああ、卓球のオリンピック候補やろ。一応知り合いやで」 「ほんまに? それやったら話早いわ。あんな、ウチの高校に柿内って子おるんやけど、牧野さんが彼女についてどう思ってるか、それとなく探ってくれへんかな」 「柿内って、あの万引きでオリンピック取り消された子か。お前、まさか牧野が柿内有紗の足元を掬おうとして何か仕掛けたとか言うんちゃうやろな」 「うーん、否定でけへん。ただ柿内は盗んでない。それは確信してんねん。そやからあらゆる可能性を……」 「悪いな恵里菜。その話はお断りや。お前、探偵ごっこもたいがいにしとけよ。この前も小島先生がどうとか言うとったけど、一体何を探ってんねん」 「……え?」  恵里菜の反応にかすかな危機感を覚えた久利三は言葉をぼかした。 「あ、いや、それはええねん。わかった、牧野がおかしなこと言うとったらお前に教えたる」 「ありがとう。それだけでも助かるわ」  通話を終えても違和感が後を引く。小島先生? この前は〝おったかおらんかったかようわからん〟と言っていたではないか。それなのに今、パッと名前が出てきたのは何故だろう……何かひっかかる。  電車が動き出してしばらくするとまた携帯が鳴った。画面を見ると「泰恵さん」だった。 「もしもし」 「恵里菜? 私よ。あのね……」  その時、車内アナウンスが流れた。  ──次は、十三(じゅうそう)、十三です。神戸、京都方面へお越しのお客様は次でお乗り換え下さい── (……え?)  恵里菜は一瞬、不思議な感覚に捕らえられた。車内で放送されているアナウンスと、電話の向こうで流れているアナウンスが同じ……つまり通話相手が同じ電車に乗っていることになる。 「……あの、もしかして宝塚行きの急行に乗ってる?」  恵里菜が問うと、泰恵は沈黙した。 「大阪にいるのね、今私と同じ電車に乗ってるんじゃない?」  ──ガチャ。プープー。  相手は通話を一方的に切った。そして間もなく十三駅に到着した。何気に窓の外を見ると、一人の中年女性が歩いている。昔とはすっかり変わっていたが、恵里菜が泰恵を見間違う筈はない。 「泰恵さん!」  恵里菜は電車を降り、十三駅のホームに降り立った。その途端、泰恵と思しき中年女性は駆け足で逃げた。 「待って、待ってよ、泰恵さん!」  そしてその女性は扉が閉まるギリギリのタイミングで宝塚行きの急行電車に飛び乗った。恵里菜も乗ろうとしたが、扉が閉まってしまい、電車は無情にも恵里菜を置き去りにして走り去って行った。 「泰恵さん……」         ♰  翌日、恵里菜は長興寺学園での実習を終えると、真っ直ぐに逢坂大学へと向かった。牧野沙江子と個人的につながりのある友人がいないか探すためである。しかし、大学も授業の終わっている時間であり、学生の数もさほど多くはなく、まして恵里菜の友人となるとほとんど見当たらなかった。さらに恵里菜は大学内にあまり親しい友人のいないことに今更ながら気がついた。 (ああ、こんなことならサークルでもやっておけばよかった……)  そう思っていると、恵里菜と比較的仲の良い中谷由美子の姿を見つけた。 「由美子ぉー!」 「あら恵里菜、久しぶり。今教育実習やってたんだよね」 「そうやねん。ところで、牧野沙江子って知ってる?」 「ああ、あの卓球の? うん。たしか、八木ちゃんが仲良かったと思うよ」 「ええ? あの八木ちゃんが?」  八木郁子も恵里菜と比較的親しい仲であり、SNSでも友達申請している。早速恵里菜は八木にメッセージを送った。  ──八木ちゃん、ひさしぶり。ちょっと話したいことがあって、急やねんけど、今晩ご飯行かへん?──  しばらく待っていると、八木から返信があった。  ──恵里菜、ひさしぶりやね。ちょうど暇やし、ご飯行こ──  八木は車を持っていたので、恵里菜を乗せて国道一七一号線沿いのファミリーレストランまで連れて行った。 「……ところで、話って何なん?」 「うん、八木ちゃんってさ、牧野沙江子さんと仲ええの?」 「そやね。でもあの子も最近卓球関連で忙しゅうて、あんまり会われへんのやけど。それがどないしたん?」 「実は、私が教育実習で受け持ってる生徒が窃盗で捕まって……で、卓球の選手でオリンピック候補やったんやけど、事件のせいで外されてもうて。でも話聞いたら冤罪で嵌められたみたいなんや。誰が嵌めたんかと考えると、まずライバル関係が疑わしいってことになってな……」 「つまり、沙江子ちゃんがその陰謀に加担してると?」 「いや、そうとは思いたくないんやけど、一つ一つ可能性を探っていかんとな。潔白ならそのこともはっきり知りたいし」 「なるほどねぇ。でも、沙江子ちゃんは性格的にそんなことはせえへんと思うよ。ライバルのこと一度だって悪く言ったことないし。あの子は他人を気にせず自分の道を行くタイプやからなあ」 「そうか、そやろなあ。でも一応何かおかしいと思ったら知らせてくれへん?」 「わかった。まあ、何もないとは思うけど」  その時、ウェイトレスが注文していた食事を運んできた。 「お待たせしました。こちらサーロインステーキでございます。牛肉は長野県諏訪牧場産を使用しておりまして、ソースは……」  ウェイトレスはかなり長い説明をした。その間に冷めそうで、恵里菜は早く説明を切り上げて欲しいと思った。 「えらい説明が細かいなあ……」 「そらこの店、ケイティー食品の店やからな」 「ケイティー食品やったら何で説明が細かくなるの?」  すると八木は顔を近づけて小声で答えた。 「ほら、ケイティー食品って食品偽装事件で騒ぎになったやろ。そやから企業イメージの回復に必死やねん。食品表示には必要以上に気ィ使うてるし、CMでも人気タレントを起用してホンマ必死や。そう言えば卓球の久家麗子もケイティー食品所属やで」 「久家麗子って、柿内や牧野沙江子のライバル関係やったな。久家のオリンピック出場にはケイティー食品の社運がかかってるというわけか……」  これで柿内の失脚による利得の構図が、また一つ浮上してきたのであった。
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