Chapter2: Middle layer

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 大阪市内から堺までは四本の鉄道路線が伸びている。JR阪和線、南海高野線、南海本線、そして路面電車である阪堺電気軌道の四線。この内、高速鉄道における堺市内の中央駅は東から順にJR阪和線の堺市駅、南海高野線の堺東駅、そして南海本線の堺駅と並ぶ。  浪速スポーツ新聞社はその内の南海高野線堺東駅から徒歩五分の場所にあった。社屋はかなり老朽化が進んでおり、禁煙の表示があちこちに貼られているにも拘わらず、屋内にはタバコの匂いが沁みついている。 「あん? その日の記事が見たいって? 何、あんたら探偵?」  編集らしき男がぶっきらぼうに応対する。もっとも恵里菜のほうも荒々しい言葉に動じるようなタマではない。 「いえ。あなたがたの記事の所為で名誉を汚された女子高生の……担任の教師です」 「名誉って、何の記事や」  恵里菜はメディオラヌムでの冤罪事件について語り、それが浪速スポーツの記事によって世間に知らされ、柿内の名誉が著しく傷つけられていること、そして当時店内にいた森崎綾子によってこれが冤罪である証言が得られていることを順序だてて話した。 「もしご協力いただけないなら、あなたがたが根拠のない中傷記事で将来有望な若者の未来を摘み取ったことを大手マスコミに訴えます」  恵里菜がきっぱり宣言すると、その男はチッと舌打ちして立ち上がり、手招きした。そこで恵里菜と九部はあとについていった。案内されたのは資料室で、男はそこにあったパソコンを立ち上げた。 「ほれ、これがあんたらの探している記事だろう」  男の指差した画面を見ると、それは「五輪候補選手、高級ブランド品窃盗容疑?」という見出しの記事であった。柿内が店員の稲田に手を引かれて店に入って行く写真、そして警官に連行されていく写真が載せられていた。 「すみません、これ以外に写真は保管していませんか?」 「ああ、あるよ」  男はデスクトップ上のフォルダを開いた。すると柿内が一旦店を出、稲田に捕まり店に戻され、やって来た警官に連れ去られていくところまで刻々と写し出されていた。それらを繋げれば動画が出来そうなほどである。しかし、バッグの中にブラウスが入っているかどうかは写真からは判断できなかった。 「そもそも、この記事を書いた人はどうしてこの現場に居合わせたんですか?」 「そら、偶々(たまたま)そこにおったんとちゃうか。偶々見たことのある顔を見かけたんで追ってみたら、ああいうことになったっちゅうだけやろ」 「この記者さんは今ここにいますか?」 「この記事を書いたんは北条っていうフリーの記者や。ここにはおらん。名刺あるから渡しとこうか」  その名刺にはフリーライター北条将司と書いてあった。恵里菜はそこにあった携帯番号にかけてみた。するとほどなくして繋がった。 「もしもし」 「あ、北条さんですか? 私は藍衣と申します」 「藍衣? 誰や、それ」 「柿内有紗さん、ご存じですよね。あなたが記事に書いた……その記事のことでちょっとお話伺いたいんですけど」  北条は「柿内」の名前を聞いた途端、身構えたのが電話越しに伝わってきた。 「悪いな、時間ないわ」 「もし今日ご都合悪ければ、明日でも、明後日でも結構です。お時間いただけないでしょうか」 「明日も明後日も明々後日も予定がいっぱいや。ほなな」  まともに取り合おうとしない。もう北条から話は無理だとおもったその時である。  ブルルル……  恵里菜の携帯が振動した。誰かと思えば近藤からだった。 「もしもし、近藤? 何があった?」 「藍衣先生、牧野健史が吐きよった。今からこっち来れる?」 「牧野健史が? わかった、今すぐそっち向かう!」  すぐ、とは言ったものの、恵里菜のいた堺から豊中市内までは一時間以上かかる。豊中駅前のケンタッキーフライドチキンで待ち合わせたが、到着時には近藤はしびれを切らして苛立ち気味だった。しかし、その横で牧野健史がしおらしくしていた。 「牧野健史君……やね。どういうことか話してくれるかな」  恵里菜が促すと、健史は堰を切るように話始めた。その内容は以下のようであった。  牧野健史は写真が趣味で現在は写真部の所属でもあるが、実は最も得意なのが盗撮だった。駅やアスレチッククラブなどへ出かけ、スカートの中や着替えの場面などをこっそり盗撮し、それを専門誌に投稿していたのだ。健史の写真の腕は確かで、何度も雑誌に掲載されている。堂々と胸を張れる趣味ではなかったが、卓球で自信喪失になり凹んでいた健史にとって、どのようなものであれ人から認められるということは自信回復につながり、また生きがいとなっていた。  ところが当時、投稿していた雑誌の編集者である北条将司という男が投稿者の素性を知ってしまった。すなわち、牧野健史が投稿者であることを。北条はこっそり健史のことを調べ始めた。そしてオリンピック候補の牧野沙江子を姉に持つこと、自身もかつて卓球スクールに通い、姉や柿内有紗選手と一緒だったことを突き止めた。  その後、北条はその雑誌の出版社をクビになり、フリーライターとなった。しかし中々雑誌や新聞で取り上げてくれるような特ダネを掴むことができなかった。その時、牧野健史のことを思い出した。このネタは使えると思い、北条は健史に近づいた。自分は健史の趣味について知っている、バラせばお姉さんの名誉にも傷がつくだろう、バラされたくなかったら協力しろ、すなわち柿内の面白おかしい記事を書くから、そのお膳立てをしろというものであった。健史は五万円の報酬でそれを承諾した。 「それで柿内のバッグに未精算商品を入れて窃盗犯の汚名を着せたんか! 最低やな!」  恵里菜が憤慨し責め立てると健史が慌てて弁解した。 「ちょ、ちょっと待って下さいよ。僕は彼女のバッグに未精算商品を入れたりしていませんよ!」 「……え? ほんなら君、何をしたん?」 「北条の計略はこうでした。有紗はオリンピック候補として有名になってきましたが、けっこう着ているものには無頓着で、平たく言えばダサい、という人が多いそうです。それで、この前の全国大会で呉選手を破ってオリンピックが、世界が見え始めた時、オシャレにも目覚めて高級ブティックを訪れてみた……という記事を面白おかしく書くつもりだったようです。  そうして僕は有紗をあの店に誘い、北条に連絡しました。北条が駆けつけたタイミングで僕は店を出て、北条はカメラを構え始めたんですが、その時思わぬ出来事が起こりました。店から出てきた有紗を店員が捕まえて引き戻したのです。北条はピンときてその後をカメラで追い続けたようです。そして店員にこっそり取材をし、それが万引きであると突き止め、記事に書いてしまった……」 「そうやったんか……でもなあ健史君、動機はどうであれ、君のしたことが原因で結果的に柿内は苦しい立場に追い込まれたんやで。悪いと思ってる? 反省してる?」 「はい。申し訳ありませんでした」 「ほんなら柿内の汚名を晴らすために協力してくれるか。君の力を借りたいんや」 「……わかりました。何でもします!」  健史がそう約束すると、恵里菜は〝協力〟の内容を話した。
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