Chapter3 Top layer

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 大阪国際空港……伊丹空港とも呼ばれるが、空港施設のほとんどは豊中市にあり、空港までの交通アクセスも豊中市内の方が便利であるため、地元の人には伊丹市の空港という意識はほぼないと言って良い。そして関西空港誕生以来国際線の定期便はなく、〝国際〟空港とは名ばかりとなっている。当空港ターミナルビルの屋上は無料で入場できる展望テラスとなっており、航空ファンや家族連れで賑わっている。  その展望テラスで風見教頭は滑走路を眺めていた。しかし飛行機が好きというわけではない。ある人物と待ち合わせているのだが、相手が遅れて待ちくたびれていた。そのイライラは周りにも伝わり、近くで飛行機見物をしていた親子連れも、風見教頭を怪訝そうな顔で見ながら遠ざかって行った。 「ごめんねー。待たせちゃったわね」  そうしてやって来たのは諸田由美、長興寺学園の母団体である学校法人博学舎の理事長だった。古代エジプトのスフィンクスを彷彿させる厚化粧、立ち去った後もしばらく消えないほど匂いのきつい香水、そして明らかにブランド物とわかる派手な服装……いかにも金をもっていそうなおばちゃんである。風見教頭は先ほどまでの苦虫を噛み潰したような表情はどこへやら、笑顔で恭しく応対した。 「いえいえ、私も只今到着したところでございます」 「あらそうなの? それならよかったわ!」  風見教頭は諸田理事長の思慮のなさに忍耐しながら笑顔を浮かべていた。  諸田由美はもともと博学舎の経営するスイミングスクールのインストラクターであった。それがスイミングスクールの所長へと昇りつめ、博学舎の役員に名を連ね、やがて理事長に収まった。一インストラクターがここまで出世した背景には、諸田の父親が府議会議員を勤めていたことがあり、大阪府庁との繋がりを買われていたことがある。事情を知る者たちは陰で〝雌河童〟と悪口を言ったが、風見教頭は諸田が理事長に就任するや否やいち早く取り入り、また諸田を積極的に支援し、決して骨惜しみしなかった。それは当然自身の出世の後ろ盾という見返りを期待してのことであるが、おかげで諸田の理事長としての地盤は堅固なものとなった。 「ところで、柿内選手だけど、世間の評判はどうかしら」 「ええ、一時は冤罪事件で評判を落とすこととなりましたが、疑いが晴れたことでかえって以前よりも知名度も上がり、世間の評価も上々です」 「それはよかったわ。ところで、柿内選手の名誉回復には藍衣という教育実習生の功績によるところが大きいと聞いたんだけど……」  その瞬間、風見教頭が顔をしかめたのを諸田は見逃さなかった。 「……あれ、何かあるの?」 「その藍衣なんですがね。どうも変な動きをするもので……」 「変な動きとおっしゃると何かしら? 男性教師たちに撓垂(しなだ)れかかるとか?」 「いいえ、そういうことではないのですが、どうも小島先生について陰でこそこそ調べて回っているようなんです」 「小島先生ってあの小島忠?」  今度は諸田が顔をしかめる番となった。「それは聞き捨てならないわね。一体何者なの、その女」 「わかりません。もしかしたら津村校長の回し者かもしれませんね」 「津村亮吉……時代遅れのロートルね」 「ええ、悪しきゆとり教育の落とし子とでもいいましょうか」  長興寺学園現校長の津村亮吉は、ゆとり教育が注目を浴び始めた頃、その推進者としていわばスター的な存在とまでなった教育学者であった。それに目をつけた博学舎が熱烈なラブコールで津村亮吉を長興寺学園の校長として招聘した。就任後は学習指導要領に基づいたゆとり教育の実行に留まらず、特技推薦入試制度を導入するなど独自の個性教育の草分け的存在となり、それに伴い長興寺学園の名も全国的に有名となった。  しかし、時代が変わり、脱ゆとりが叫ばれるようになると、博学舎内でも長興寺学園の在り方について取沙汰されるようになった。諸田はこれを千載一遇の機会と捉え、積極的に脱ゆとり路線を打ち出した。これにより前任者がもたらした学園の経営難を上向き改善し、手柄を立てようという目論見であった。 「まあ、津村はいいとして、藍衣恵里菜は小島の何に気がついているのかしら」 「わかりません。ただ、これまでの二つの事件での藍衣の動きを見ますと、相当フットワークの軽い女でして、敵に回すと厄介かと」 「と言っても教育実習の期間はあとわずか。それまで何事もなく乗り切れば問題ないわ。上手くやり過ごしなさいな」 「はっ。然るべく」 「それが済んだらいよいよ津村を打ち落とそうかしらね……そうすれば風見、あなたが校長よ」 「ありがとうございます! 不肖(ふしょう)風見、微力ながら尽力いたす所存であります!」  風見教頭は浮足立ちながら諸田の前から去って行った。まるで飛行機と一緒に空に飛んで行きそうな様子だ。その背中を見ながら諸田はひとりごちた。 「男の人ってホント出世がお好きねぇ。ほほほ」       †  九部は自分が一旦捨てたうなぎパイを皿に並べて恵里菜に出した。 「……どうぞ。飲み物はインスタントコーヒーしかありませんが」 「うん。それでいいよ」  恵里菜はコーヒーを淹れに行った九部に艶かしく話してみた。「ねえ、さっき狼になるかもしれないって言ってたけど本当? ちょっと狼に変身してみる?」  すると九部はコーヒーカップを乱暴に恵里菜の前に置いた。 「ふざけないで下さい。で、イジメ怪文書事件や窃盗冤罪事件は藍衣先生の言う〝ミッション〟の小手調べ、というわけですか?」  恵里菜は真面目な顔つきになって答えた。 「……結果的にはそうなるな。ほんなら本題話そうか」 「はい。お聞きします」  恵里菜は一旦深呼吸して気を取り直すと、ゆっくりミッションについて語り始めた。
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