Chapter3 Top layer

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【来歴2 少女A】 「今日からここがあなたの家や。最初は慣れへんかもしれんけど、遠慮のうやってや」  親を失い、箕面市にある養護施設・友愛児童園へ入所したばかりの藍衣恵里菜に最初に声をかけたのは小島範子という保育士だった。おそらく恵里菜の母親と同じくらいの世代。ピシッとして自分の生き方に自信を持っていそうで、良く言えば面倒見の良さそうな、悪く言えばお節介焼きそうな女性だった。 (何か苦手かも、この人。あんまり関わらない方がいいかも)  恵里菜は子供心にそう思った。そして彼女の第一印象の通り、小島のお節介は相当なもので、その小言たるや小姑並みであった。 「そんな暗い顔してんと! 今ある小さな幸せまで逃げてくで!」 「ほら、『どうせ』とか『だったら良かったのに』とか言わないの!」 「足引き摺って歩かんと!」 (ああ、ホンマやかましい人やなあ。ほっといて欲しいわ)  小島は幼き恵里菜にとってただただ煙たい存在でしかなかった。それがある出来事をきっかけに、恵里菜は彼女を慕うようになる。  恵里菜は施設に入ると同時に箕面市立滝川小学校に転校していたが、新しく入ったそのクラスで盗難事件が起こった。内山晶子という女子の児童が持っていた財布がなくなったというのである。クラス担任の柳田瑞恵は児童たちに向かってこう言った。 「内山さんの財布がなくなりました。私はみんなの中に盗んだ人がいるとは思いません。でも、もし盗んだ人がいるなら、怒らないから後で先生のところに返しに来て下さい」  そしてその日、恵里菜が学校から帰ってカバンを開けてみると、見たことのない財布が入っていた。 「これ……内山さんの財布や」  直接本人に渡そうかと思ったが、先生のところに返しに来て下さい、と言われたのを思い出し、翌日職員室へ行って柳田瑞恵に渡した。ところが…… 「そう、悪かったと思った? 反省した?」  と言って恵里菜を完全に犯人扱いした。 「いえ、違います。家に帰ってからカバンを開けてみると中に入っていたんです。私が盗んだんじゃありません」 「ちょっと待って、あなた、#家__・__#やないやろ。#施設__・__#やろ?」  柳田が〝施設〟と言ったのに反応して職員室中が恵里菜の方に注目した。 「嘘ついたらあかん、ちゃんとホンマのこと言って」 「嘘やあらへん。私、盗んでない!」 「ええ加減にせんと怒るで!」  職員室の先生たちが恵里菜をジロジロ見る。誰かが「やっぱり施設の子は……」と小声で囁くのが耳に入った。 (何や、この人たち。私が施設の子ってだけで悪モン扱いするの?)  これ以上どう弁明しても聞き入れてもらえそうにない。そう思った恵里菜は不本意ながら折れることにした。 「……すみませんでした」 「うん、わかったらええわ。もうこんなことやったらあかんで」  恵里菜は返事もせずに職員室を出て行った。ところがその様子をクラスの児童の一人が見ていて、恵里菜が内山の財布を盗んだという噂があっという間にクラスに広がった。教室へ入ると、恵里菜の机の上にチョークで「ドロボウ」と落書きがされていた。クラスメイトは誰も恵里菜に声をかけようとしない。 (無視か……ええわ、気にしたら負けや)  恵里菜は気持ちを引き締めて、そのまま授業を受けた。ところが時計の針がちょうど十時を指した時、児童のひとりが筆入れを床に落とした。それを合図にクラス全員が一斉に声を揃えて叫んだ。 「藍衣、死ね!」  恵里菜はさすがに心が折れた。先生が児童たちを咎めていたが聞こえない。恵里菜は荷物も持たずに学校を飛び出した。 「あら、こんな時間に。学校はどないしたんや?」  施設に帰ってくると小島が声をかけたが恵里菜は無視して部屋に入り、扉に鍵をかけた。座り込むと、涙がとめどなく流れてきた。そしてクラスメイトたちに言われたことが頭の中でこだました。 ──藍衣、死ね!── 「いやぁぁぁぁっ!」  恵里菜は机の中からカッターナイフを取り出すと、刃をめいいっぱい出して左手の手首に当てた。その時である。 「ちょっと、何してんの!」  鍵をかけた筈の扉が開き、小島が入って来た。そして恵里菜の手からナイフを奪い、彼女の頬を平手でひっぱたいて掴みかかった。 「痛い! 何すんのや!」 「アホー! こんなモンで手首なんか切ったらもっと痛いで」  小島は恵里菜から奪ったカッターナイフを見せながらそう言った。 「それ返してよ!」 「あかん、没取や」 「とにかく離して!」 「今離したら何をするかわからんやろ。あんたが落ち着くまでこの手は離せへん」 「もう、ほっといてや! 私なんか生きてても意味ないねん!」 「ほっとかれへんわ!」  小島は恵里菜の両肩を掴み、顔を近づけて言った。「ええか、よう聞き。あんたは宝や。この世の宝や。あんたのおかげで救われる人間がぎょうさんおるんやで」 「ええ加減なこと言わんとって!」 「ええ加減やない。あんたは頭ええ。私なんかよりずっとな。そやから分かるねん。あんたはこの世の困った人たちを救う人になるんや。今の辛い境遇はな、そのための肥やしと思たらええ」  やがて恵里菜が落ち着くと、小島は学校に乗り込んでいった。そして柳田のいる前で児童たちを問い詰めたところ、内山は恵里菜のことが気に入らず、自分の財布を彼女のカバンに入れて騒いだと白状した。内山の家はセレブな家庭で、両親はみなしごである恵里菜を差別するようなことを娘に吹き込んでいたらしい。 「結局内山って子の自作自演やった。あんたが悪くないってことはみんなもわかってくれたから、明日から安心して学校行き」 「でも、私がやっぱり施設の子やから……何かあったらまた悪モンにされるんちゃうかな」  すると小島は恵里菜の顔をじっと見て言った。 「あのな、施設の子やろうが親がおろうが、どっちみち世知辛い世の中やねん。差別なんて受けて当たり前と思うたほうがええ。それを撥ね退けるために賢こうなれ、強ぉなれ」 「賢く、強くってどうやってなれるの?」 「勉強も武術も私が教えたる。精進せえ、そうすればいつか笑える時が来る、その時までの辛抱や……」  それから小島による特訓の日々が始まった。小島の指導はとても厳しかったが、恵里菜の周りを取り巻く環境はいずれにせよ厳しかったので、賢く強くなれば状況が良くなると思うと特訓も面白く思えた。  やがて特訓の成果もあらわれ、クラスでは男女含めて恵里菜に喧嘩で勝てる者はいなくなった。誰かがいじめられていると率先して助けてやったので、クラスの中で彼女のことを慕う者は一人二人と増えていった。そして彼女について行こうと思う者が次第に増加し、いつの間にか恵里菜は学年全体を取り仕切るリーダー格とまでなっていた。
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