Chapter1: Bottom layer

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 近藤昌弘が廊下を歩いていると、前方から恵里菜が歩いて来ているのを見た。近藤は思わず横道に逸れた。 (……別に逃げることないのに、何で避けたんや)  近藤は少し悔しい気持ちだった。これまで母親以外に怖いものなどなかったのに……。 (何でや、くそっ、くそっ)  近藤は行き場のない悔しさを拳に込めて、廊下のコルクボードを殴り続けた。するといきなり背後から声をかけられた。 「刑法二百六十一条、器物損壊罪、三年以下の懲役又は三十万円以下の罰金もしくは科料……あんたに償えんのか?」  近藤が飛び上がって後ろを振り向くと、そこで恵里菜が腕組みしながら立っていた。 「な、何やねん。急に話しかけんなや」 「あんたこそ、さっき私のこと避けたやろ。まあええわ。ちょっと頼みたいことあんねん」 「何や、頼みって」 「あんた、この組の頭やろ。ほんで山口のことも手なづけとるやろ」 「頭ってほどやないけど、山口やったら俺の言うことは聞くで」  頭と言われて近藤は満更でもない表情になった。そこで恵里菜が切り込んだ。 「山口、日向のこといじめてるんや。あんたから言うてそれをやめさせて欲しい」 「いや、それは俺が口出し出来ることやないわ。いじめてるいう証拠もないしな」 「あかんのか? 長学のコンマサいうても、その程度か」 「そんな挑発したかて乗りませんよ。ヤンキーがイジメはよしましょう、なんて優等生みたいなこと言えますかいな。あかんもんはあかん」 「そうか……じゃあこれから私はあんたのこと、コンマサやなくてマザコンて呼ばせてもらうわ」  マザコンと聞いて近藤は一瞬ギクッとした。その反応を恵里菜は見逃さなかった。 「あんたのお母はん、綺麗やなあ……福岡出身で、まだ三十代半ばやて? 女盛り真っしぐらやん。そやけど女手一つであんたのこと育てて来たんやて? 偉いなあ」 「な、何でそれを」 「それにしても、学校から帰ったら『ママ、ただいまー』言うてハグ。ああ、今時なんと微笑ましい家族関係やろ」 「や、やめえ!」 「そやけどひどいなあ、『とりあえずハイハイ言うて、隙見てドスン』か? 怖いわあ、気ぃつけな」 「おい、盗聴しとったんか、汚いぞ!」 「ふふ、こんなべっぴんやから想像でけへんやろうけど、私、結構汚いで。まあええわ、あんたの取り巻き連中にこのこと話したら、みんなどない思うやろなぁ」 「わ、わかった、山口には二度と日向には手を出さへんよう言うとく。それでええか」 「ありがとう、頼むわ。それともう一人、今井にも、大八木に使い走りさせんよう言うてくれへんか」 「ちょ、ちょっと、流石に女は堪忍してや。男やったら俺の言うこと聞くやろうけど、女は自信ないで」  近藤は顔を赤くした。それを見た恵里菜が食い込んだ。 「あんた……もしかして、今井のこと、好きなんか?」 「そ、そ、そんなんとちゃうわい」  近藤は否定するが、恵里菜は図星だと思った。 「ホンマに? でも、好きなんやったら、尚更ビシッと言うたりぃや。私も女やから言うけど、女は言うべきことビシッと言う男に惚れるもんやで」 「ほ、ホンマでっか……」  近藤は結局、恵里菜の申し出を受け入れて、山口と今井にイジメをやめるよう提言することにした。       †  それから三日が過ぎた。 (近藤はああ見えて約束は果たす方やろ。問題はどれほど説得力あるかやなぁ)  そんなことを考えながら恵里菜が出勤すると、またもや職員室の雰囲気がどんよりしていた。恵里菜は船越に尋ねた。 「また、何かあったんですか?」 「ああ、二通目の怪文書や、見てみ」  そこには前回の殺人自殺予告と同じ送り主と思われる人物からのFAX文書があった。その内容はこのようなものである。 ──長興寺学園高校教職者の皆様。先日、私がお送りした文書は拝見してもらえたのでしょうか? あれから三日経ちましたが、昨日、僕はまたイジメにあいました。もう対策は練っているのでしょうか? 進展が見えませんね。約束の十五日には解決するのでしょうか。いいですか、十五日ですよ。それまで本気で取り組んで下さい── (まだダメか……近藤の説得、うまくいかなかったのかしら)  恵里菜はため息をついて質問を投げかけた。「先生方は生徒たちのイジメについて何かお聞きになってないんですか?」  その質問に一同の間に身構えるような緊張感が走った。教師としてあまり聞かれたくない事柄のようだ。船越が皆を代表するように言った。 「藍衣先生、イジメの現状把握と言うのは簡単やないんや。曖昧なもんを頭ごなしに決めつけるワケにはいかんし、そもそも被害者の方が言うてくれへんのや」 「でも、この文書は彼なりの訴えやと思うんです。私たち教師側が一歩、歩み寄らんとあかんのと違います?」 「それはそうなんだがね……」  それから口々に恵里菜の理想論に対する悲観論が職員室中を飛び交った。そこで風見教頭が見るに見かねて提案した。 「では、生徒全員にアンケートを取りましょう。名目は学生生活全般についてということで、その中に『あなたはイジメにあっているか』また『イジメているか』という質問をさり気なく混ぜておくのです」  その教頭の提案に教師達一同は満場一致で賛成した。恵里菜は何か引っかかるものを感じたが、教育実習生の立場は言いづらく、結局流れに任せた。       †  その後、恵里菜は近藤を呼び止めて言った。 「あんた、ちゃんと言うてくれたんやろな」 「ちゃんと先生に言われたように忠告しましたがな。ま、山口は大丈夫やと思う。そやけど今井の方はなぁ……」 「何や、今井はあかんかったんか?」 「俺が『大八木をパシリに使うのはやめとけ』言うたら、『別にウチが無理矢理パシリさせとんのちゃうで。向こうが何か買うてきたる言うから、まあ便利やから使うたってるんや』って言い返されたわ」 「それでハイハイって引き下がって来たんか?」 「いや、『とにかくそういうの、やめとけ』言うたら『そもそもあんたにとやかく言われることちゃうやろ!』って返されてな、ほんでつい……」 「つい?」 「『お前は俺の天使や。そやから、お前には、弱いもんパシリにするような女になって欲しくないねん』って口走ってもうたんや」 「おおお、言うやん。ほんで?」 「彼女、身ぶるいしながら『……マジキモ』って……」  近藤はそう言ってガックリと肩を落とした。恵里菜は黙ってその肩に手を置いてやった。
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