Chapter1: Bottom layer

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 それから二日経ち、殺人自殺予告の日まであと十日となった。その日の一時間目は急遽全学年自習とし、その間に臨時職員会議が執り行われた。全員が集まった所で風見教頭が号令をかけた。 「それでは、臨時職員会議を始めます。議題は言うまでもなく、先日のアンケート結果についてです。担任の先生方にはそれぞれのクラスでの結果を集計していただきましたが……単刀直入に伺いますが、イジメに関する回答はどれくらいありましたでしょうか。該当する回答のあったクラスの先生は挙手をお願いします」  すると、二年B組担任の船越が挙手したが、他の教師は手を挙げなかった。 「二年B組以外にはありませんか? では、船越先生、この回答者と思しき生徒に心当たりはありませんか?」 「え、いや、その……」  風見教頭にいきなり質問されて船越が言葉を濁したので、恵里菜が代わりに答えた。 「ある生徒にそれとなく訊いたところ、二年B組の生徒たちの間で認識されているイジメは二つありました。一つは山口の日向に対するイジメ。もう一つは今井が大八木に使い走りをさせているというものです」  一部の教師から「実習生が勝手なことするんじゃない」というブーイングが飛んだが、風見教頭はそれを制して恵里菜に続けさせた。 「しかし学年の中で頭を張っている近藤という生徒がB組におりまして、その近藤は先日山口にイジメをやめるよう忠告し、山口もそれを受け入れたようです。ですから、大八木の方が文書の送り主である可能性が高いと思います」 「あの大八木君がね……」  図書室の司書を務める国語教師の渡部がため息混じりに呟いた。「彼、なかなかの文学青年でね、昼休みは図書室に入り浸って沢山の本を読んでますよ。僕は彼のこと好きだったんだけどね……」 (文学青年?)  恵里菜は何か引っかかった。FAX文書の送り主の人物像と文学青年というイメージの間にどこかギャップを感じたのだった。そのことを発言しようか迷っていると、数学教師の但馬が発案した。 「FAX文書には番号と時刻が記載されていますよね。コンビニから送られたということでしたら、その時刻の防犯映像を確認させてもらったらどうでしょう?」  その提案に一同は沸き立ち、教頭が取り仕切って言った。 「防犯映像の閲覧は一般人では不可能でしょう。豊中警察署に私の知人がいますから、彼に頼んで調べでもらいます」  教頭のその一言で臨時職員会議はお開きとなった。恵里菜は何も出来ないことにもどかしさを感じた。       †  阪急宝塚線の電車が石橋駅に近づいた頃、ベビーカーに乗っていた赤ん坊が泣き叫び始めた。電車は比較的すいていたため、ベビーカーの向かい側に座っていた女性がその母親であることは一目瞭然だった。しかしその母親はスマホに夢中で子供のことは全く気にかけていない様子だった。  豊中警察署の刑事、泉博嗣はその様子が気になって注意しようかと思ったが、彼女が赤ん坊の母親であるという確信が持てずに躊躇していた。常に物証を得てから引っ張る刑事としての習性がそうさせていた。  その時、ひとりの中年女性がツカツカとやってきた。ボサボサで手入れのされていない束髪。薄汚れたジャージにピンク色のナイキのスニーカー。運動用の服装にも関わらず、体型からしてスポーツをしているようには見えない。その目は虚ろでやるせない厭世感で満ちていた。そして赤ん坊の母親と思しき女性に近づいて言った。 「あの、赤ちゃん泣いてますよ。ほったらかさんといて下さい」 「あ、すみません」  母親は慌てて席を立ち、ベビーカーの側で子供をあやし始めたが、注意されたことに腹を立てたのか、中年女性が遠ざかると「チッ」と舌打ちした。 (やれやれ、最近の若い人は……)  と泉は思ったが、最近見たテレビ番組で、エジプトで「最近の若い人は」と書かれた古代パピルス文書が発見されたと報道されていたのを思い出し、苦笑した。  その時、泉の携帯が鳴って乗客たちの注目を集めた。画面を見ると「上西課長代理」と出ていた。 「ふん、トッチャンボウヤめ」  泉はそう独りごちて、乗客に気づかい、車両間のジャバラ部分に移動して通話ボタンを押した。 「はい、泉……」 「上西です、お忙しいところすみませんが……」 (閑職の特別捜査対策室が忙しいわけないやろうが……)  泉はそう叫びたい気持ちを押さえて相手が用件を切り出すのを待った。刑事課課長代理の上西雅志は泉がトッチャンボウヤと呼んだように四十歳という年齢の割に声も風貌も少年っぽかった。一回り年上の泉からは尚更そう見えた。 「今日、池田で聞き込みでしたよね。阪急宝塚線で曽根まで行って、長興寺学園へ向かって下さい」 「長興寺学園?」  泉は思わず聞き返した。長興寺学園と言えば全国でも珍しく、特技推薦入試制度を導入して話題となった学校である。すなわち、勉強が出来なくても、何かずば抜けた特技を持っていれば、学業と同様に評価し、優れていれば高得点を取得でき合格の可能性が高くなるというもの。  津村亮吉校長曰く、殆どの高校入試は英数国理社の主要五教科の成績で評価される。しかしそれらが実社会で役立つ知識や能力であるかと問えば、必ずしもそうではない。むしろ五教科が出来なくても、実社会に出て役立つスキルを、またそのポテンシャルを持った若者は多い。長興寺学園ではそのような若者たちをしっかり育てて世に送り出したい、ということである。泉は新聞記事で津村校長の言明を読んで深く感銘したものだった。そう、あの時までは……。 「……泉さん?」 「ああ、すんまへん……」  つい物思いにふけていた泉の意識が上西の声で呼び戻された。「で、何の事件なんです?」 「何でも、一人の生徒が殺人予告を出したということで……詳しい話は、教頭の風見先生から聞いて下さい」  用件を伝えた上西は素っ気なく通話を切った。 (なるほど、特別捜査対策室にうってつけの案件言うわけやな)  泉は自虐的な笑みを浮かべた。刑事課特別捜査対策室とは、迷宮入りしてどうしようもなくなった事件、また通報されたものの事件にはなってい案件などを扱う部署であり、ほとんどのメンバーは左遷人事として送られて来ており、泉もその一人だった。       †  長興寺学園に到着し、風見教頭から話を聞いた泉は、すぐさまエイティーンマート長興寺店というコンビニに向かった。例の二通のFAX文書が送られた場所であり、防犯映像を閲覧するためである。風見教頭と船越も泉に同行した。本来店長の出勤時間ではなかったが、捜査協力のために来てもらった。 「天井を見ると、あちこちにカメラが設置されていますが、このうち稼働して録画されているのは入口付近とレジ付近の計二台です。ちなみにこれは本部の指示でそのように行っております」  まるで弁解するように〝本部の指示〟という部分を強調しながら店長は稼働しているカメラを一つ一つ指し示した。一通り案内したところで、店長はパソコンの前に座りカチャカチャと操作し始めた。 「では、問題の時間帯の映像出してみますね……」  そして防犯カメラの映像が再生された。しばらく流れた後、風見教頭と船越はハッと息を飲んだ。 「こ、これは……」 「大八木!」  そこには、大八木が入店する姿がハッキリと映し出されていた。
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