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番外編2 近藤美紅の事件簿
とある休日の朝のこと。近藤美紅が朝食の準備をしていると、息子の昌弘が起きて来た。
「おはよう、ママ」
「おはよう~って、どうしたの? その恰好は⁉︎」
見ると、昌弘はオシャレ……を通り越して滑稽なほど派手な服装に身を包んでいた。
「ああ、ちょっと出かけるから、ちゃんとした服着よ思ってな」
「出かけるって、彼女とデート? 今度、家に連れて来て、ちゃんと紹介するのよ!」
「ああ、わかった……」
昌弘はそう言ってポケットから取り出した伊達メガネを掛けた。初めて見るメガネを掛けた息子の顔に、美紅はハッとなった。
(似ている。瓜二つね……あの人に)
美紅は息子を見ながら、はるかその昔の若かりし頃を思い浮かべた。
†
美紅は短大を卒業すると、警備保障会社に就職した。学生時代にレスリングで活躍したことを買われ、入社してから二ヶ月間、身辺警護人として研修という名の特訓を受けていた。
そして研修が終わり、いよいよ正式に特別身辺警護課に配属となった時、すぐに課長に呼ばれた。
「今日から配属になった近藤美紅です。よろしくお願いします」
「ああ、近藤君。配属早々申し訳ないんだが、ある人物の身辺警護を担当して欲しい」
「え……私は研修が終わったばかりで、駆け出しのヒヨッコやけん……」
「心配いらん。我が社の研修では即戦力レベルまで教育されている筈だ。警護してもらうのはマイク・リーという香港人の実業家だ」
「香港人の実業家って、具体的に何しよるんですか」
「日本企業を対象としたM&A……つまり買収や合併、その仲介をするのが彼のビジネスだ。当然人の恨みを買うことは日常茶飯事で、いつ寝首を掻かれてもおかしくない。それで我が社に依頼が来たというわけだ。しかしK1選手のような如何にも武闘派のガードマンは困る。目立たぬよう表向きは秘書として雇いたいので、出来れば戦闘力のある容姿端麗な女性がいいとのことで、君に白羽の矢を立てたわけだ」
「でも容姿にはそんなに自信ないし……」
「安心したまえ。写真とプロフィールは先方に送って既に承諾済みだ。ということで、精一杯やってくれ」
「わかりました……」
†
会社を出た美紅は、記念すべき初仕事としてマイク・リーの事務所へ向かった。マイク・リーは博多駅筑紫口近辺にある筑紫ヒルズというオフィスビルに事務所を構えていた。このビルは今で言うスタートアップ企業が集結し、青年実業家たちの根城となっていたのである。
さほど大きなビルではなかったが、玄関から向こうは駅の改札のようなフラッパーゲートで仕切られていた。IT企業が多くセキュリティーを重視しているためだろうか。美紅は受付で名前と所属、そして行き先を記帳し、〝入場証〟と書かれた磁気カードを受け取って中に入った。
マイク・リーの事務所の前までやって来ると、美紅は一旦深呼吸してドアを開いた。
「ごめん下さい、ミレニアム警備保障の近藤ですけど……」
返事がない。と言うよりも、誰もいない。ただパソコンは開いたままで、デスク上のコーヒーはまだ僅かに湯気を立てている。ほんの少しだけ席を外しているのだろうか。そう思ったが、どこか適当なところに座るのも憚られたので、取り敢えず入口に立って家主の戻るのを待った。
と、その時グレーの作業着姿の男が荷物を抱えてやって来た。
「宅配便です、印鑑お願いします」
「すみません、私もここの者ではないんですけど……」
「業者さんですか? お預けしますので、後でご本人に渡していただけませんか?」
「はあ……わかりました。サインでもいいですか?」
「ええ……」
と言って宅配業者が懐に手を入れた時、美紅は違和感を覚えた。普通、宅配業者は社名を名乗るのではないか。〝宅配便〟という一般名詞では名乗らない。そう思った美紅は咄嗟に身を引いた。と同時に相手は懐からナイフを抜き出し、美紅に突き出した。すんでのところで刺さりそうなところで美紅は身を屈め、回し蹴りで相手のナイフを蹴り飛ばした。
すると相手はジャブを連発し、美紅を追い込んだ。美紅はガードを固めながら相手の隙を伺った。
(ガードの上からでもズシンと来る……でも、こんな無茶振り続けてたら必ず隙ば出来るけん……)
と、その時相手が右ストレートを放った。だが大振りで隙だらけ。美紅はすかさず相手に合わせてカウンターパンチを食らわした。
(決まった!)
美紅のカウンターは見事に命中し、相手は床になぎ倒された。しかし、その次の瞬間、相手は懐に手を入れ何かを取り出そうとした。
(拳銃!)
そしてその懐から出てきたのは……
小さな白旗だった。毒気を抜かれて美紅が呆然としていると、相手の男が立ち上がって帽子を取り頭を下げた。
「想像以上に素晴らしい戦闘能力です。お見それしました」
「……え?」
「申し遅れました。僕が依頼者のマイク・リーです」
「えええっ⁉︎」
ソファーとお茶を勧められた美紅は、相手がマイク・リーと知らずに大暴れしたことが恥ずかしく、俯いていた。
「手荒なテストですみません。僕が簡単に倒せるような人ではとても警護人は務まらないと思いましたので」
「はあ……」
「でもぉ?」
妙にしゃくり上げるように勿体つけてマイクは語る。「合格です。それだけ強ければいいんじゃないのっ?」
マイクの日本語は流暢ではあったものの、いちいちアクのある言い回しだった。美紅がそう感じたのを察してか、マイクは自分の来歴……少年時代日本にいて、その後デュッセルドルフの日本人社会で過ごしたこと、渡米しハーバード大学で学びMBAを取得したことなどを問わず語りに披露した。そしてガンダムとエヴァンゲリオンを語らせれば右に出る者はいない、ハーバードでも友達は日本人ばかりだったなどと話した。その語り口にはどこか自慢の匂いもしたが、いったいどの辺りが自慢のポイントなのか、美紅にはさっぱりわからなかった。
「と言うわけでっ! アメリカを離れて後は上海の日系企業に勤めた後、独立して日本企業を対象としたM&Aの手助けしているわけ。まあ主に敵対的TOBです」
「……よく分かりませんが、そんなに敵が多いんですか」
「ええ、敵ばっかりです。だから近藤さんには表向き僕の秘書としてここに常駐して頂きます。そして訪ねて来る者、連絡して来る者を常に監視し、危険人物は逐一チェックして下さい」
それから美紅はマイクがわざわざこしらえた秘書席についた。ゆったりとしていて、何か偉くなったような錯覚さえ覚える。一警備員として就職したのに、まるで一流の秘書になったような、妙な気持ちになった。
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