Chapter1: Bottom layer

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 コンビニの防犯映像から、FAX文書の送り主は大八木で間違いなさそうだ、という見解で教師たちは一致した。問題は解決の方法であるが、やはり加害者側の説得が筋であろう、ということで、今井と同じ女性である恵里菜に白羽の矢が立てられた。 (何で私が)という思いはあったが、教師たちの熱い期待に応えるべく、恵里菜は放課後、緑地公園駅前のスターバックスに誘い、話をすることにした。しかし本題を切り出した途端、今井の目くじらが立った。 「はぁ? ウチが大八木のこといじめてるって?」 「いや、いじめてるって言うかな、使い走りでも、本人は嫌な気持ちになってたりするもんなんやで……」  今井が予想以上に敏感な反応を示したので、恵里菜は戸惑った。 「あの、言っときますけど、パン買うて来たる言うたんは大八木の方なんですよ。そやのにウチ、派手に見られるから何やパシリに使うてるみたいに言われて迷惑しとったんや」 「せやったら、買うて来ていらんて言うたらええんちゃうの」 「ウチも最初は断っとったで。そやけど、何や便利やし、いつの間にかお言葉に甘えるようになってたわ」  恵里菜は今井の表情をじっと見た。とても嘘をついているようには思えない。 「……わかった。先生、今井のこと信じるわ」 「ありがとう。それと、最近、何や周りでイジメやイジメやって騒いで、ほんでウチが何や知らんうちに加害者にされそうで怖いねん。何かあったん?」 「詳しいことは今は言われへん。そやけど、今井が絶対に悪者にならんようにするって先生約束する」  恵里菜がそう言うと、今井はフフッと笑った。 「ん、何かおかしいこと言うた?」 「ううん。……先生て、べっぴんさんやし、頭も良さそうで男子生徒からはチヤホヤされて……正直ムカついとった。そやけど、今話してみて、案外悪い人やないなぁって思い直したんや。わかった、ウチも先生のこと信じてみるわ」 「ありがとう、そう言ってもろて嬉しい」       † 「甘い、甘いですわ、先生」  翌日、恵里菜が今井とスタバで会話した内容を話すと、一人の教師が非難めいてそう言った。「生徒の言うこと何でもかんでも鵜呑みにしてどないするんです?」  それに助け船を出すように船越が言った。 「いや、例え今井が嘘ついとったとしても、藍衣先生の対応は正しかったと思います。誰も生徒を信じてやらんかったら、誰が信じるというんです?」  船越の発言に一同は沈黙してしまった。やがてその沈黙を破るように国語教師の渡部が重い口を開いた。 「あの……今更こんなこと言うのも何ですけど、私は大八木君が文書の送り主ではないと思っていました」  教師たちは一斉に渡部の方を向いた。そして風見教頭が「どうしてそう思ったんですか?」と訊いた。 「前にも言いましたが、大八木君は毎日図書館に入り浸る程の読書家です。当然文才もあり、国語の成績は抜群です。その彼が書いたにしては……あの二通のFAX文書は文章が稚拙過ぎるんです」 「ほう、具体的にどのような点が?」 「一通目ですが、『あなた方はこの問題に関して役不足である』と言う文があります。ここで使われた『役不足』と言う言葉は本来役者のレベルの高さに対して役の方が低いことを指します。だからこの文書の場合、『役不足』ではなく『力不足』と書くべきです」 「なるほど、間違って使われる日本語の代表のような言葉ですな」 「そして二通目では冒頭で『文書は拝見してもらえたのでしょうか』と書いています。拝見するとは、自分が読む場合に使う言葉であり、『してもらいます』は目上の者が下の者に言う言葉で、共に敬語としては間違った使い方です。こうして考えると、とても大八木君のように国語力のある生徒が書いた文章とは思えません」 「ふうむ。しかし、大八木君が今井さんの使い走りをしていたのは事実でしょう」 「……そのことですが、大八木君は谷崎潤一郎に傾倒しておりまして、かなり谷崎の本を読み込んでいます。谷崎潤一郎は『春琴抄』などに見られるように、作品の中にマゾヒズム的な耽美主義の世界を描いています。大八木君がまるで隷属するように今井さんの使い走りをしていたのは、その被虐耽美主義思想に陶酔していることが根底にあるのではないかなと思います」  渡部の説明に一同は納得した様子だったが、依然としてコンビニの防犯映像の問題は残っている。そこで、風見教頭は恵里菜に今井の様子を見守るように、と言いつけて置いた。教頭は「見守る」という言葉を使ったが、暗に「見張れ」という含みを持たせている。恵里菜はそのことは充分承知の上で教頭の指図を受け止めた。  職員同士の話し合いが終わって、恵里菜がそれとなく今井の様子を伺っていると、今井が大八木に接触しているのが目に入った。そして今井が大八木を連れてどこかへ行こうとしたので、恵里菜はこっそりあとをつけた。  今井たちが向かったのは体育館屋上のテニスコートであった。本来部活と体育の授業で使用する以外は施錠されている筈なのだが、何故か入口は開いていた。 (ホンマ、この学校のセキュリティはどないなっとるんや)  恵里菜は物陰に隠れて二人の会話に耳を傾けた。 「……な、パンとか買うて来てくれるんはありがたいし、ウチも調子乗って色々お願いしたりもしたけど、このことで周りから色々言われてな、正直困ってんねん」 「色々って、パシリにしてるとか?」 「うん、ほんでウチがあんたのこといじめてるって……」 「そんな、僕はただ、君の役に立ちとぉて……」 「うんうん、わかってるで。そやけど、学校の方で理由はわからんけど、イジメに敏感なってるみたいや。ほんで藍衣先生に言われてん。ウチがイジメやっとんのちゃうかって」 「いいがかりもええとこやん」 「もちろんやけど、ウチ、もうあんたに色々お願いせん方がいいと思うねん。これからは、自分のもんは自分で買うことにするわ。今までありがとうな」 「……わかった」  そして今井の方が先に屋上から降りて行った。大八木はしばらく立ち尽くしていたが、やがて彼もテニスコートを出た。       †  その後、恵里菜のもとに大八木が「お話があります」と言ってやってきた。もちろんそのことは予想していた。恵里菜は大八木を小部屋に連れて話を聞いた。 「藍衣先生、この間から何なんですか。僕が今井さんにパシリにされてるとか、変な勘繰りはやめてもらえませんか」 「……うん、今は君がパシリにされてたわけやないということはわかってる。そやけど一点だけ腑に落ちないことがあるんや」 「腑に落ちない? 何ですの、それ」  恵里菜は考え込んだ。大八木に文書のことを言うべきか。万が一彼が怪文書の送り主でないとはまだ言い切れないのだ。しかしここは彼を信じることにした。 「これは絶対誰にも言うたらあかんことやけどな、君を信用して言うで。ええか」 「……はい」 「実はな、最近、イジメに遭うとるっちゅう生徒からFAXが学校に送られてきてん。学校がイジメを解決でけへんかったら自分が相手を殺して自分も死ぬってな」 「そんなことが……」 「それでそのFAXはエイティーンマートから送信されとったんやけど、その送信時刻の防犯映像に君の姿が映っとったんや」 「そ、そんな、たまたまやろ!」 「そやろな。そやけど、FAXは二回送られて来とって、両方の送信時刻に君はあの店のビデオに映ってるんや。これはどう説明する?」  大八木は言葉を失って黙り込んだ。そして二人の間には長い沈黙が流れた。
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