Chapter1: Bottom layer

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「……説明できません」  恵里菜の追求に、大八木は正直に返答した。「ただ、僕はあの店でFAXは利用していません。最近エイティーンマートで新発売となったクリームブリュレが今井さんのお気に入りだったので、何度か買いに行ってたんです」  その後、恵里菜は大八木の言葉の裏を取った。今井は確かにエイティーンマートのクリームブリュレが大好きで、何度か大八木に買いに行かせていた。そして豊中警察署の泉刑事を通してエイティーンマートのレジ記録を調べてもらったところ、FAX料金とクリームブリュレの支払いは別々で、時間的にも開きがあった。また、FAX送信日以外にも大八木はエイティーンマートに入店していたと供述していたが、その日付の防犯映像にはやはり大八木の姿が映っていた。       † ──カシャカシャ──  九部粟生(くぶあお)がおもむろにルービックキューブを回していると、背後から恵里菜が近づいてきた。 「なぁ、それ、おもろいの?」 「面白いかどうか、考えたことはありません」 「そう。な、ちょっと私もそれ、やっていい?」  そこで九部はキューブを出鱈目にシャッフルして恵里菜に渡した。彼女は眉間に皺を寄せながらキューブと格闘し、ようやく一面が仕上がった。 「はあ、難しいな。一面揃えんのがやっとや。どないして六面も揃えるんや?」 「ルービックキューブには、ある部分を温存しながら残りを変化させる回し方が無数に存在します。色々試行錯誤して回し方を発見し、その組み合わせで解いていきます」 「何や、ようわからんな」 「今、主流なのはLBL(レイヤー・バイ・レイヤー)法と言って、段毎に積み重ねるように揃える方法です。まずはじめに底から二段目までを揃えます。そして残った最上段を、色々な回し方を組み合わせて解いてしまいます。実際にやると……」  言いながら九部はキューブの底から二段目まで揃った状態を作ってみせた。「そして残った最上段を、この回し方と、この回し方と、この回し方の三つの組み合わせで……はい、完成」  六面きれいに揃ったキューブを手にとって恵里菜は目を丸くした。 「すごーい! こうやって揃えるんやね」 「この方法なら、最上段の回し方をいくつか覚えれば誰でも六面揃えられます。もっとも僕は、目の前のキューブがどのようにシャッフルされたか想像し、その道筋を反対に辿る方法で解いていますが……」 「ふうん。まあ、君が人並み外れて頭ええ言うことはわかった。ほんでな、その明晰な頭脳が、いよいよ必要となってん」 「せっかくですが、お断りします」 「ほんなら勝手に喋るから聞いとって」  恵里菜はこれまでのあらましを九部に語った。九部はソッポを向いてルービックキューブを操作していたが、恵里菜の話が終わると手を止めて言った。 「……文書のことは機密事項ですよね。それは話す前に一言断るべきだと思います」 「ごめんな、事後承諾の形やけど、口外せんとって。ほんで、私が今話したことやけど、自分、どう思う?」  すると九部は答えずにルービックキューブをシャッフルして恵里菜に渡した。 「え?」 「さっき解き方は教えましたよね。六面キッチリ揃えて下さい。そうしたら僕の考えを話しましょう」  九部はそう言って立ち去ってしまった。       †  恵里菜が廊下に出てみると、多くの女子生徒たちが群がって、何やら沸き立っていた。長興寺学園はもともと男子校で共学となって日が浅く、女子生徒の割合が少なかったのでこうして女子生徒が群がる光景を見ることは稀であった。 「うわ、何? かっこええやん」 「やばいー、超イケメン!」  そんな声が聞こえてきた。芸能人でも来たかと思い、生徒たちの視線の先を探してみると……そこには見覚えある顔があった。 「シゲやん?」 「おお、恵里菜ー! うまくやっとるか?」  それはシゲやんこと久利三(くりみ)成男(しげお)、逢坂大学法学部の学生だった。 「何であんたがここにおんの?」 「忘れたか? 俺、ここのOBやで」 「ああ、せやったな……」  そして恵里菜は何か思いついたように訊いた。「そう言えばあんたがおった頃、小島先生っておらんかった? どんな先生やった?」 「小島? おったようなおらんかったような……よぉ覚えてないわ」  そう言う久利三の顔に一瞬狼狽の色が浮かんだように見えた。だが、久利三は()かさず恵里菜の持っていたルービックキューブに視線を移した。 「お、おもろそうなモン持ってるやん。ちょっと貸してみ」  久利三はルービックキューブをひったくってカシャカシャ回し始めた。そしてあっと言う間に六面揃えて恵里菜に返した。 「はいよ」 「え? ああ……」  恵里菜が呆気に取られていると、前方から風見教頭がやって来た。 「これはこれは、久利三君」 「教頭先生、ご無沙汰しています」  二人は互いに頭を下げていた。一卒業生に過ぎないのに教頭が恭しく対応しているのが少し気になった。しかし、長学のように勉学重視でない学校であっても一流大学へ進学するような優秀な生徒はやはり有り難いのだろうと恵里菜は納得した。 「な、な、あの人藍衣先生の彼氏なん?」  女子生徒のひとりが恵里菜を小突いて言う。「ちょっと、かっこええやん」 「そんなんちゃうわ。同じゼミの仲間や」  恵里菜は恋人説を否定したが、女子生徒たちはやいのやいのと囃し立てた。そして気がつくと久利三はいつの間にかいなくなっていた。       †  休み時間、二年B組の教室に入った恵里菜は九部の席に近づいた。九部は愛用のルービックキューブがなく手持ち無沙汰なのか、窓の外を眺めながらシャーペンをクルクル回していた。  恵里菜は暇を持て余していそうな九部の目の前に六面揃ったルービックキューブをトンと置いた。 「これ、返すわ」  九部はおもむろにルービックキューブを手に取り、各面揃っているのを確認するように眺めた。 「約束や。話、聞かせてもらおやないの」  恵里菜が挑み掛かるように言うと、九部は上目遣いに彼女を見上げて言った。 「……場所、変えましょうか」
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