プロローグ

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プロローグ

 数年前……  大阪府豊中市にある服部緑地公園の白鳥池にゲンさんという鮒釣りの常習犯がいた。()()()とここで書くのは、この池での魚釣りは禁止されているためである。しかし年金暮らしのゲンさんにとって有料の釣堀で釣りを楽しむのは経済的に困難であり、また多くの釣り仲間もいることから、この白鳥池を根城としている。  ある日、ゲンさんが釣り糸を垂れていると、旧知の釣り仲間がやってきた。 「どうや、ゲンさん。釣れるか?」 「あかんわ。アタリは来るけどブルーギルばっかりやな」 「ブルーギルか……食うてみたら案外うまいらしいで」 「あほか。この池の魚なんか臭ぁて食えるかい」 「そらそうやな……ん? 何や、あれ」  その釣り仲間の指し示した方向を見ると、草むらの中から人間の手らしきものが覗き出ていた。 「誰かが泳いでるっちゅう感じでもなさそうや。行ってみるか」  二人の老人は持ち場を離れ、目当ての場所に向かった。草むらを掻き分けているうちに、漂流物の実体が明らかになっていった。 「お、おい……これは」 「と、とにかく警察に連絡や!」  二人の目に映ったのは女子高生の溺死体だった。      †  通報を受けて駆けつけた警官の話では、被害者は吹田市の頌栄女学院の制服を着ており、胸元がはだけていたことから何者かに性的暴行を受け、溺死させられたと推測された。頌栄女学院の関係者に問い合わせたところ、被害者は同学院生徒の杉本由佳だと判明した。  大阪府警機動捜査隊長の泉信弘はもしレイプ殺人であれば犯人は何か痕跡を残している筈だと発破をかけて隊員に周囲を隈なく調べさせた。 「おい、こんなものが見つかったぞ!」  隊員が発見したのは運転免許証の入った定期入れだった。免許証の名義は小島忠という男性であり、調べたところ、高校の教師をしていることがわかった。免許証も定期券も日常的な必需品であるにもかかわらず、警察に届け出ていなかったことで不審に思い、任意同行を求めた。 「小島さん、その時間はどこにいましたか?」 「私は夕方以降はほとんど自宅にいますが、やはりその日もそうでしたよ」 「それを証明出来る人は?」 「まあ、家族が一緒ですから……」 「家族の証言はね、アリバイの証明としては信憑性に欠けるんですわ。他におらんのですか」 「家で家族以外と過ごすなんて滅多にあるものじゃないでしょう」 「ところで、免許証も定期券も無くなってさぞお困りだったと思いますが、何で警察に届けてなかったんですか」 「私は近頃自転車通勤していましたので、紛失に気がつかなかったのです」  そのように、小島は警察の追求に対し否認し続けていたが、犯行現場で靴跡が見つかり、それが小島の自宅から発見された靴と一致した。またその靴の裏からも白鳥池の土壌と同成分の土が検出された。そのことで犯行日前後に小島が現場に足を踏み入れた疑いが濃厚となった。  小島は最近は服部緑地公園には足を踏み入れていないと主張していたが、執拗な警察の取調べに折れて、ついに犯行を認めた。  マスコミは『高校教師、女子高生をレイプ殺害』と囃し立て、実名入りで面白おかしく報道した。 「小島容疑者の周囲の証言によると、『とても真面目で穏やかな先生だった』と言うことなんですが、そのような人間がどうしてあのような犯行に手を出したと思われますか?」 「人間誰しも表の顔と裏の顔があります。小島容疑者は普段人間関係を良好にするため、裏の顔を抑圧し続けてきたんでしょう。そのストレスが一気に炸裂したと思われます」 「なるほど。でも、まさかこの人がという人がある日急に犯罪者としての面を剥き出しにするとなると、怖いですね……」  テレビでは連日そのような好き勝手なコメントが横行していた。マスコミによって焚きつけられた人々の憎悪の矛先は小島の家族に向けられた。自宅のドアには「人殺し」「殺人教師」などと書かれた紙が貼られ、窓ガラスを割られるなど周囲から様々な嫌がらせを受けた。管理人からも退去を言い渡され、一家離散となった。また拘留されていた小島は留置所で首を吊り、自ら命を絶った。
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