Chapter3 Top layer

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Chapter3 Top layer

【来歴1 少年A】 「なあ、九部も来るら?」  級友の一人が九部を誘った。しかし、別の級友が言った。 「バカ、九部ゲーム持ってねえじゃん」 「ああゴメン、悪かったに」 「あははは」  そう言って級友たちは九部から遠ざかる。もっとも便宜上〝級友〟と書いているが、当の九部本人は彼らを友達だとは思っていない。誰も彼に関心を寄せない中で九部は一人、帰り支度をする。そして、真っ直ぐ歩けば十分もかからない家路を遠回りして二十分かけて帰宅する。別に道草を食っているわけではない。母親からそのように言いつけられていて、それを忠実に守っているのだ。  母親によれば、散歩を二十分すると脳が活性化され、頭に良いということなのだ。しかも毎日違う道を通ってくるように、と指示される。 「ただいま」 「おかえり。今日は帰り道に何を見たの?」  こうして母親は帰宅途中で粟生が何を見たのか尋ねる。ただボーッと歩くだけでは不合格。しっかりと周囲を観察して新しい発見をすることを要求されていたのだ。 「中田さん家から聞こえてくるピアノの曲がいつもと違ってた。前の曲は仕上がって新しい曲始めたみたい」 「あらそうなの。へえ」  実はこれは数日前に仕入れたネタだった。たとえ意識していたところで、毎日毎日そう変わった出来事があるわけではない。むしろ何もない日の方が多い。だが、ある日は特ダネとなる出来事が頻発する。そういう日には〝出来事〟をいくつも頭の中にストックしておき、必要に応じて小出しに報告する。  少年・九部粟生は取り敢えず母親への報告を済ませると、部屋に入った。小学生の部屋にありがちなゲーム機器の類は一切ない。おもちゃの自動車や鉄道、ロボットなどもない。その代わりに「頭に良い」とされる知育玩具が壁際に所狭しと陣取っている。  最近与えられたのは、「キュボロ」というスイス製の木製ブロックだ。正方形の木片に、ビー玉が通る穴が様々な形で開けてあり、それらのブロックを組み合わせて、ビー玉の転がる道を作るというもの。これが頭に良いとの評判を聞き、早速ヨーロッパから取り寄せたのだ。 「おやつ、ここに置いておくわ」  母親が持ってきたのは、ハチミツをかけたサツマイモに小魚。これも〝頭に良い〟という理由でチョイスされている。  このように、九部家では万事につけて〝頭が良くなること〟が率先して執り行われていた。逆に〝頭が悪くなる〟とされるようなことは徹底的に排除された。その甲斐あってか、八歳の頃にはIQ百四十八を記録し、学校での成績も抜群に良かった。  小学五年生になると、有名私立中学受験に向けていわゆる〝お受験〟進学塾へと通い始めた。しかし、この塾通いをきっかけに九部の歯車は狂い始める。本来学校では六年生になって導入される〝分数の割り算〟だが、ここでは五年生ですでに教えられている。しかし、講師の説明に九部は引っかかった。 「分数を分数で割ることが、どうして後の方をひっくり返して掛け算することになるんですか?」 「うーん、こうして考えてみたらどうだろう。分数を分数で割るということは、ある分数にある分数の逆数をかけるということなんだ。ああ、逆数と言うのは分子と分母を入れ替えた分数だね」 「分数に逆数をかけるって言うのと後の方の分数をひっくり返して掛け算するっていうのは単語が違うだけで言ってることは同じです。でも、どうしてそれが分数で分数を割るということになるんですか? 前者と後者は言っている意味がそもそも違います。どうしてそれが飛躍して同じだと言い切れるんですか?」  講師は返答に窮した。それで口からでたのが、おきまりの逃げ口上だった。 「実際の受験時では計算する時にはそんなことを考えている余裕はない。それはそういうものとして受け入れるしかないんだ」 ──そういうものとして受け入れるしかない──  これは九部にとって思考の禁止と捉えられた。彼にとってどんなにきつい小言や叱責よりもこたえた。  その次の回から九部は塾をサボった。塾へ行くフリをしてザザシティ浜松というショッピングモールをうろついて時間を潰したのだった。  しかし、これまで絶えず頭を使うことを習慣としてきた九部は、考えることをやめるとたちまちパニックに陥ってしまうことがわかった。ありとあらゆる否定的な妄想が襲ってきて狂わんばかりになるのだった。  そんな時、ザザシティ内のトイザらスでルービックキューブを見つけた。九部はまたパニックになりそうになったので、その展示品のルービックキューブを手に取り、回してみた。一面はすぐに出来たものの、二面目をどうやって揃えたら良いのか全くわからない。結局閉店までルービックキューブと格闘した。  それから塾の日になると、トイザらスへ向かい、展示品のルービックキューブと格闘した。そんなことを続けているうちに、塾をさぼっていることが両親にバレてしまった。それから再び真面目に塾通いすることになったが、全く身にならず、結局塾は止めることになった。それからというもの、九部の成績は下がる一方で中学受験どころではなくなった。その上、脳の空転によりパニック状態となることが頻繁に起こった。精神科医により九部は学習障害と診断され、九部の母親はひどく落胆した。  九部の母親である九部春栄は、学生時代に大学受験に失敗し、希望の国立大学に行けなかった。彼女の家庭は家計が非常に厳しく、私立大学へ行かせる経済的余裕がなかった。浪人など論外である。それで春栄は病院で事務員として働き、そこで働く医者たちに猛烈にアタックしていった。その結果、九部粟生の父親である九部龍一と結婚した。春栄は自分が高卒であることにどこか劣等感を感じていた。それで、生まれてきた息子には頭が良くなるように徹底的に教育した。ネットの記事、書物、セミナーなどありとあらゆる情報を貪欲に取り入れ、わが子の教育に生かしてきた。  その挙句の果てが学習障害。  春栄はその悔しさをどこに向けて良いかわからず、その苛立ちの矛先は息子の粟生に向かった。 「私はあなたのために、あんなにやったのに」 「どうしてわかってくれないの?」 「頭いいんだから、勉強しなさいよっ!」  そうやって責められれば責められるほど粟生は勉強するのが嫌になった。思い通りに行かず苛立つ母親と時々癇癪を起こす粟生との衝突は日に日に激しくなり、児童相談所の臨検を受けることもあった。中学を卒業すると、どうにか県立高校へ入学することが出来たが、学校との相性が合わず不登校となった。  ボランティアのスクールカウンセラーが度々九部家を訪れていたが、ある時、そのカウンセラーが大阪の長興寺学園への編入を勧めた。長興寺学園はゆとり教育が叫ばれた当時の学習指導要領を踏まえた上で、革新的な個性教育を打ち出していた。  親から離れたいと思っていた粟生にとってその提案は魅力的に思えた。最初は両親共反対していたが、粟生の気持ちがすでにその方向に傾いていることと、カウンセラーの説得により、粟生の大阪行きを承諾した。  「見送りには来ないで」と言いつつ両親に別れを告げた九部粟生は、たった一人で浜松駅の改札口を通った。そして身の回りのわずかな日用品と愛用のルービックキューブを道連れに新幹線に乗り込み、大阪へと旅立った。
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