マリア・バルバラさんの思い出

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マリア・バルバラさんの思い出

 わたしは楽長先生のような音楽の神様に愛された特別な方を、夫に持つべきかどうか考えてみるのですが、そうするとどうしても一年ほど前に天に召されてしまった、フラウ・バッハ、マリア・バルバラさんを思わずにはいられないのです。  突然の死は、ご主人である楽長先生はお子さんたちはもちろんですが、彼女を知る人々も大きなショックを受けました。直前まで家族の世話をしたり、家事の采配を振っていたりしたですから。  フラウ・バッハとわたしは同じソプラノを歌うこともあり、機会あれば親しく言葉を交わす間柄でした。  はじめてお話ししたときのことを、よく覚えています。ケーテンのお城の裏庭で、お子さんたちとおしゃべりをしていたとき、「アンナ・マグダレーナさん」と私の名を呼んでくださったのです。宮廷の演奏会で歌っているわたしを、好意的に見ていてくださることを知り、感激しました。  それからというもの、歌に限らず幅広く音楽談義に花を咲かせ、楽長先生の新作について嬉しそうに教えてくれることもありました。どんなにか夫を誇りに思い、ご自身の全てを捧げて尽くしていたことがよくわかりました。また、先輩として長く歌手としてやっていくための、貴重な助言もくださいました。  ケーテン候の誕生日祝いの演奏会には、バッハ一族の皆様が大集合で賑やかでした。バッハ一族であるマリア・バルバラさんは、懐かしい人たちに会えて子どものように無邪気に笑っていたことが心に残っています。翌日は楽長先生のなじみの大きなお店で、パーティでした。トランペット奏者の父と兄、それにわたしもそのパーティに加えてもらえたのです。バッハ一族に比べたら湖と水たまりほどの違いがありますが、わたしの家も音楽家系なんです。姉たちは、全員音楽家と結婚しました。  音楽家が集まれば、自然に演奏がはじまります。フラウ・バッハは楽長先生の美しい歌や民謡を歌いました。しなやかで温かみのある声で、現役を退いて久しいながら心にしみる見事なものでした。   もう一つ、忘れられないのは、わたしが失恋したときにフラウ・バッハに慰めてもらったことです。親友と同じ人を好きになり、その人は親友を選びました。ものすごく辛くて、よほど暗い顔をしていたのでしょう。心配してくださいました。 「きっとまた、良い男性に巡り合えます。大丈夫。あなたの美しい笑顔と声は必ず誰かの心を捉えるはずですよ」  良き妻であり良き母でもある、マリア・バルバラさん。先生の大勢のお弟子さんの面倒も見なくてはなりませんでした。引きも切らず来訪する音楽家や音楽関係者の応対も。このような目の回りそうな忙しい毎日にもかかわらず、わたしのような者にまで心を向けて下さるのですから、フラウ・バッハがいかに愛情深い方だったか、わかっていただけると思います。柔和なお顔に、女性らしい豊かな雰囲気を醸し出していました。ああ、このような方だからこそ、楽長先生を支えられたのです! まだお若くお元気だったのに。神様は、なぜこのような運命をお与えになったのでしょう。  
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