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アカペラーズと初恋
◯
ひゅーどろどろどろ。教室内に設置したスピーカーから、お化け屋敷特有の効果音が流れ出している。親子連れだろうか、背の高い人と手をつないでいる小さな人影が近づいてきた。私はお客さんを脅かすべく井戸の後ろに隠れていた。セットの裏に隠れているクラスメートの合図に合わせて飛び出す。
「わーっ!」
しーん。
何の反応もないので不思議に思っていると、こちらを見上げる小さな女の子と視線が合った。彼女は私の方を指差して「全然怖くなーい」と笑う。一緒にいた男子生徒もくすくす笑った。うっ。お化け屋敷なのに笑われてしまった。困っていると、のっぺらぼう役の黒田くんがすっと現れた。下から懐中電灯のあかりを当てた黒田くんを見て、女の子があっと叫んだ。
やっと怖がってくれたかと思いきや、その子は「白玉団子みたーい」と笑う。
しまいには男子生徒に「怖がりましょうか」と尋ねられる始末だった。結局その二人はまったく怖がらずにお化け屋敷を出ていった。女の子が笑顔で男子生徒に話しかける。
「あー面白かった。ね、お兄ちゃん」
「ああ、楽しいお化け屋敷だったな」
私はのれんごしにその二人を見送ってため息をついた。
「ちょっとそこの二人、ちゃんとやって」
雪女姿の委員長が冷たい声で言う。
黒田くんは懐中電灯を消して肩をすくめた。
「今どきのガキは、ゲームだの映画だのでよっぽど怖いもの見慣れてるからな」
「そうだよねえ。っていうか子泣き爺ものっぺらぼうも、おばけじゃなくて妖怪だし」
その後も全然お客さんを怖がらせることはできず、
「休憩」という名の戦力外通告を受けた私達は、ジュースを買うため昇降口にある自販機へ向かった。
「あーあ、おばけって難しいなあ」
「こういうのって、初めてだな」
「え? そうなの?」
「ああ。ハロウィンはあったけど」
黒田くんはジュースの缶を手のひらでくるくる回している。
「クラスでなんかやるってのは初めてだ」
私は黒田くんの顔を覗き込んだ。
「楽しい?」
「まあな」
そっか。楽しいんだ。私も黒田くんと一緒にいると楽しい。この時間がずっと続いたらいいのにな。並んでジュースを飲んでいると、ユイちゃんがやってきた。
「千秋~」
「あ、ユイちゃん。わあ、かわいいねその衣装」
ウエイトレスさんだろうか。ユイちゃんはひらひらのエプロンをつけていた。
「えへへ、そうかなあ」
ユイちゃんははにかんで、「二人は何してるの? デート?」と尋ねた。
「えっ、ち、違うよ」
私は慌てて否定したが、黒田くんはあっさりした口調で「ああ、まあな」と言う。
「そっかー。じゃあお邪魔しちゃ悪いね」
ユイちゃんはまた後でねー、と言って去っていく。
「く、黒田くん、何言ってるの」
「別にいいだろ」
ジュースを飲む黒田くんの横顔は、何考えてるのかわかんない。きっと深い意味はないに決まってるけど。
「私のこと、子供扱いしてるくせに」
拗ねたように言った私を、黒田くんがじっと見つめた。
「俺は……」
「あっ、レイだー」
その声に、私はビクッと身体を震わせた。この声って……こちらにやってきた女の人が、黒田くんを指差して笑う。
「何その格好、ウケる」
「ルカさん。なんでここに?」
「ジローさんに聞いたのよ。今日が文化祭だって」
このひと、店の前で会ったひとだ。私が目を泳がせていたら、そのひとが私に視線を移した。
「あ、こないだの子だよね」
「こんにちは」
私はぺこっと頭を下げる。ルカさんはそれ以上私に興味を示さず、黒田くんにぴったりくっついた。
「ねえ、レイのクラスってお化け屋敷なんでしょ? 案内してよ」
「くっつくなよ」
「えー、いいじゃん」
黒田くんはため息をついて、私の方を見た。
「戻るぞ、千秋」
なんで振り払わないの? そのひとのこと、好きだから? 私はぎゅっと着物の裾を掴んだ。
「……嫌だ」
「え?」
「黒田くんに、私の好きな人にくっつかないで!」
黒田くんの青灰色の瞳が見開かれた。ルカさんは馬鹿にしたように鼻を鳴らす。
「はあ? 何いってんの、この子」
言っちゃった。ピンポンパンポーン。校内放送が流れた。
「ステージ発表に参加するひとは、体育館に集まってください」
黒田くんはルカさんの手を押しのけ、私に手を差し出した。
「行くぞ、千秋」
「う、うん」
私は黒田くんの手をとった。黒田くんはふっと笑って、私の手を包み込む。
「ちょっ、レイ!」
追いかけてこようとするルカさんを、背後からのびてきた手が引き止めた。
「まあまあ、お姉さん。お化け屋敷楽しいですよ」
「ええ。身の毛もよだつほど」
ルカさんを拘束しているのは委員長と梅田くんだ。
「ちょっ、なんなのよあんたたち」
委員長はルカさんの腕をがっちり掴みながら言った。
「頑張ってね、紅木さん、黒田くん」
「ありがとう!」
私達は控室で制服に着替えて、体育館へ向かった。途中、女の子に囲まれているミナトとすれ違う。
「ねーミナトくーん、一緒に回ろうよ」
「あ、ミナト」
私は立ち止まりかけたが、黒田くんに「時間がない。早く」と言われて歩き出す。ミナトはチラッとこちらを見て、目をそらした。階段を降りる途中、黒田くんが口を開く。
「あいつ、結局出ないんだな」
「うん……」
「まあ、5人いればアカペラはできるからな」
私は歩きながら、ミナトが「金髪のキミ」だったということを話した。黒田くんは「そうか」と相づちを打って踵を返した。
「えっ、ちょっ、黒田くん?」
階段を登って廊下の角を曲がり、ミナトのほうへ歩いていく黒田くんを、私は慌てて追う。
黒田くんはミナトの前で立ち止まり、「おい、おまえも来い」と言った。ミナトは眉をひそめ、「なにが?」と返す。
「ステージ発表だよ。お前も出ろって言ってるんだ。どうせ暇だろ」
ミナトはぎゅっと眉を寄せて、横柄な黒田くんをにらむ。
「なんで、おまえにそんなこと命令されなきゃならないんだ?」
「入部届け出しただろ。おまえの名前はアカペラ部の名簿に載ってる」
黒田くんがそう言ったら、周りにいた女の子がミナトの前に立ちふさがった。
「ダメよ! ミナトくんは私達と過ごすんだから」
「そうそう、だいたい出たところで合唱部にボロ負けするに決まってるわよ」
黒田くんは彼女たちを無視し、ミナトに楽譜を押し付けた。
「やるのはこの二曲だ」と言って歩きだす。ミナトはじっと楽譜を見下ろしていた。
私は慌てて黒田くんのあとをついていき、「ねえ、どういうつもり?」と尋ねた。黒田くんはしれっと答える。
「どうって、せっかくの文化祭なんだから部員全員で参加したほうがいいだろ」
「そんなこと言っても……」
振り向くと、ミナトが女の子たちに引っ張られて歩いていくところだった。
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