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○
翌日、教室に入るとクラスメートたちが声をかけてきた。
「おはよう、千秋」
「もう大丈夫なの?」
「うん、すっかり治ったよ」
私はそう言って、自分の席に目を向けた。黒田くんはいつもの通り、ヘッドホンで音楽を聞きながら本を読んでいる。私は黒田くんに近づいていって声をかけた。
「お、おはよう」
黒田くんは本から視線を外し、こちらを見た。
「もういいのか」
「うん、すっかりよくなったよ」
「バカは風邪引かないって嘘なんだな」
「ひっ、ひどいよ」
むくれている私を見て、黒田くんが笑った。
チャイムが鳴ると、先生がやってきてホームルームが始まる。いつものように連絡事項を告げて終了しようとしていたら、委員長がすっと手を上げた。
「先生、そろそろ席替えをしてはどうかと思うのですが」
「あ、いいね! この席前が見にくいからさあ」
明るくて人気者の梅田くんがそう言ったので、クラスメートたちが次々と同意する。私は慌てて立ち上がった。
「ま、まだ早いんじゃないかな! せめて文化祭が終わってから……」
前の席の子が振り向いてニヤニヤ笑う。
「あー、千秋ってば、黒田くんと離れたくないんだ?」
「えっ」
私は真っ赤になって固まった。その反応を見て、教室がざわつき出す。
「へー、紅木って黒田のこと好きなんだ」
「ジョーダンでしょ!? ミナトくんっていう幼馴染がいながらあんな暗い男!」
男子はニヤニヤしながら、女子は引きつった顔で私を見る。どうしよう。こんな状況になるのは初めてだから、どうしたらいいかわからない。ぐるぐる考えていたら、黒田くんが口を開いた。
「こいつ、授業中腹が鳴るんだよ」
「は?」
「俺に知られても誰にも話さないから、だから隣の席がいいんじゃないの」
クラス中からなーんだ、とかそんな理由か、とかいう声が聞こえてくる。委員長が淡々とした口調で「じゃあ、席替えしても構わないわよね、もうみんなに知られたんだから」と言う。私がうつむいていると、黒田くんが小声で「何テンパってんだよ」と囁いてきた。
結局、そのあとくじ引きで席替えすることになった。どうかまた黒田くんの近くの席になれますように。私は祈りながらくじを引いた。20番。黒板に描かれた座席表と数字を照らし合わせる。くじを引いて戻ってきた黒田くんに尋ねた。
「く、黒田くん、どうだった?」
「俺は7番」
黒田くんは窓際の一番後ろ、私は廊下側の一番前。これ以上ないくらい離れてしまった。しょんぼりする私に、黒田くんが言う。
「なにしょぼくれてんだよ」
「だって、黒田くんと離れたくなかったんだもん」
そう言ったら、黒田くんがむずがゆそうな顔をした。
「部活で会うんだからいいだろ」
黒田くんは荷物を持って、さっさと新しい席に行ってしまう。私も仕方なく移動すると、隣の席になった梅田くんが声をかけてきた。
「お、紅木じゃん。よろしくな」
「ああ、うん……」
「えっ、テンション低くない? 俺の隣そんなに嫌?」
私は彼の言葉をスルーして、黒田くんの方を見た。黒田くんの隣は委員長だ。二人は何かを話している。何話してるんだろう……。その日は一日中後ろが気になって仕方なかった。放課後、黒田くんが「今日駅前集合だってな。一緒に行くか?」と話しかけてくる。私が無言でいると、黒田くんが顔を覗き込んできた。
「な、なに」
「おまえ、なんか変じゃない?」
「な、なにが?」
「いきなり席替えは嫌だとか言い出すし。まだ熱あんの?」
黒田くんが伸ばしてきた手を、私は慌てて避けた。
「ないよ!」
「ならいいけど。誤解されるから過剰反応すんなよ」
「……誤解って?」
「クラスのやつらって、何かっていうとすぐ恋愛に結びつけんじゃん」
「わ、私は、誤解されても、いいけど」
そう言ったら、黒田くんが笑った。
「なに言ってんの? 変なドラマでも見たのかよ」
その反応に、胸がずきりと痛む。外国で音楽活動してた黒田くんから見たら、私は子供みたいなものなのかもしれない。その時、黒田くんのスマホが着信を告げた。彼はスマホを取り出して応答する。
「ああ、ルカさん? いま? 学校に決まってんじゃん。遊ぼって、無理だし」
きっと昨日の女の人だ。私はくるっと踵を返し、ズカズカ歩き出した。
「おい、千秋。え? いや、なんでも……」
黒田くんはスマホで話しながら私のあとをついてくる。追いつかれまいと足を早めていたら、前からやってきたひととぶつかった。
「うぐっ」
「前を見て歩け、紅木千秋」
「あっ。会長」
会長は私の背後にいる黒田くんを見て、「ちょうどよかった。君たち二人に話がある。生徒会室に来い」と言った。黒田くんと一緒に生徒会室に入ると、会長は長机を示し、座るよう促した。黒田くんは立ったまま「用件は?」と尋ねる。二人の間に流れる緊迫した雰囲気におののいていると、会長がスマホをこちらに向けてきた。
「今朝、生徒会のメールアドレスにこんなものが送られてきた」
スマホには、ジローさんのお店で働く黒田くんの姿が写っていた。写真は何枚かあって、お客さんに勧められて何かを飲んでいる様子が写し出されている。そしてどう見ても、グラスの中に入っているのはビールだった。会長は淡々と言う。
「未成年の飲酒は法律で禁じられている。我が校の規範に照らし合わせると、おまえは3日間の停学だ」
黒田くんはじっと会長を見つめた。
「酒を飲んだ覚えはない」
「じゃあこれはなんだ? 覚えてなくても罪は罪だ」
私は慌てて黒田くんの前に立ちふさがった。
「待ってください、黒田くんが飲んでないって言ってるじゃないですか」
「論より証拠という言葉を知らないのか。ここにれっきとした証拠がある」
会長はスマホを軽く振ってみせる。
「そもそも、それは誰から送られてきたものなんですか?」
私の問いに、会長はすげなく答える。
「さあな。生徒からの通報は基本的に匿名だ」
「でも、アドレスはわかるだろ」
「俺がなんの罪もない生徒の個人情報を漏らすと思うか?」
黒田くんはふっと息を吐いた。
「――わかったよ。停学すれば良いんだろ?」
「黒田くん!」
「大したことじゃない。一週間休めると思えばいい」
踵を返した黒田くんの背に、会長が声をかけた。
「それともう一つ、とある記事が送られてきた」
「記事って、なんのですか」
嫌な予感がして尋ねると、会長はファイルから用紙を取り出した。どうやら記事を印刷したもののようだ。全文英語なので、なんて書いてあるのかはわからない。
「blackの「K」――要するにおまえが、マネージャーに対し暴行事件を起こしたというものだ」
黒田くんがきつく目を閉じた。私は一歩前に進み出る。
「黒田くんがそんなこと、するわけないでしょ!」
「本当かどうか、本人に聞けばわかる」
会長の視線を受けて、黒田くんが口を開いた。
「事実だ」
その答えに、私は絶句した。会長は伏目がちの黒田くんを睨みつける。
「自分のやったことから逃げるからこういうことになるんだ」
「あんたはいい気味だと思ってるんだろうな」
黒田くんはそう言ったあと、「俺にどうしろっていうんだ」と尋ねた。
「俺は校内の規律を第一に考えている。おまえもこの事実が知れ渡るのは望まないだろう。できるだけ目立つのは避けたほうがいい」
会長は文化祭のステージには立つな、と言った。
「そんな。黒田くんがいなきゃアカペラができません」
「四人でできるコーラスに編成し直せばいいだけだろう」
私は唇を噛んだ。
その時、生徒会室の扉がガラッと開いた。そこに立っていたのは、桃瀬先輩とユイちゃんだ。
先輩は腕組をし、目を細めて会長を見る。
「話は聞かせてもらったで。どーせ合唱部とかの妨害ちゃうんか」
「憶測で話すのはやめろ、桃瀬」
会長に冷たく言われ、先輩は舌打ちした。
「とにかく、変な噂を立てられたくなかったらおとなしくしてろ」
会長はそう言って生徒会室を出て行った。私は急いで彼を追いかける。
「待ってください、会長!」
全く止まろうとしないので、リズムを付けて呼んで見る。「会長、かいちょー! か、い、ちょ、うっ!」
会長はぴたりと足を止め、嫌そうな顔で振り向いた。私は会長に近寄っていく。
「どうして黒田くんにあんなに冷たいんですか。お兄さんなんでしょ?」
「血はつながってない。うちの両親は連れ子同士で再婚したんだ」
「でも……」
「どうしてもレイに歌わせたければ、駅前で歌えばいい」
会長の言葉に、私はふっと顔をあげた。
「会長、なんで私たちが駅前で歌ってるって……」
「苦情を言ってきた人物は、駅前でおまえたちの歌を聞いたそうだ。それでレイの正体に気づいたらしい」
「それだけで……?」
「隠しても過去は消せないということだ」
会長はそう言って去って行った。私は肩を落として踵を返す。廊下の角を曲がると、黒田くんが立っていた。
「あ、黒田くん」
「あいつ、なんて言ってた?」
「……黒田くんとは血がつながってないって」
黒田くんはふっと視線を下げて「そうか」とつぶやいた。
私は黒田くんを見上げて尋ねた。
「ねえ、なんで黒田くんだけジローさんと住んでるの?」
「……会長──コウは母親の連れ子なんだ。コウの母親はピアニストで、音楽プロデューサーの俺の父親と出会った」
黒田くんは壁にもたれてつぶやくように言う。
「音楽一家なんだね」
「ああ。初めて会ったときから、あいつは賢くて優等生だった。俺は半分アメリカの血が入ってるせいか、学校に馴染んでなかった」
黒田くんはぽつりぽつりと続ける。
「コウは何かというと俺に学校に行くよう説教した。中学に上がって、俺がアメリカに行ってせいせいしてたと思うけど、逃げ帰ってきたから余計腹立たしいんだろ」
「そんな……」
「あいつがアカペラ部を毛嫌いするのは俺のせいだ。俺がアカペラやってたから、その分野自体がにくいんだ」
そんなの絶対良くない。兄弟なのに仲違いしてるなんて。
「私、会長と話してくる。家教えて!」
私の言葉に、黒田くんはかぶりを振った。
「やめた方がいい。余計なことを言うとアカペラ部まで潰されるぞ」
黒田くんは練習するぞと言って私を促した。生徒会室の前では、先輩たちが会話していた。青井くんが気弱そうな口調でつぶやく。
「暴行事件って、本当なのかな」
「あほやな、あの黒田やで? 手よりも口が先に出るに決まっとるやろ」
先輩があはは、と笑う。
「そうだよね~黒田くんに限ってそんなこと……」
ユイちゃんの言葉を遮るように、黒田くんが口を開いた。
「本当だ」
みんなが一斉に黒田くんを見た。
「俺はマネージャーを殴って、blackを脱退した」
「でも、うちの親そんなこと一言も……」
困惑する私に、黒田くんがこう返した。
「小さな記事だから、知ってる人間は少ないんだ」
「殴ったって、おまえなんでそんなことしたんや」
「言いたくない」
「はあ!?」
先輩が青筋を立てた。黒田くんはこちらに背を向ける。
「俺は文化祭には出ない。それでいいだろ」
「おい、ちょい待て黒田!」
先輩が黒田くんを追いかける。ユイちゃんが不安そうに私を見上げてきた。
「千秋ちゃん……」
「私、会長に会ってくる」
私は職員室で会長の住所を聞いて、学校を出た。
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