ミサンガと告白

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◯ 駅前でドーナツを買い、電車で二駅のところにある会長の自宅へ向かう。先生が描いてくれた地図に従っていったその先には、まさしく絵に描いたような豪邸があった。大きな門には「黒田」という表札がかけられている。私は豪邸を見上げてポカンとした。 「こ、ここが会長の家?」 赤い屋根に白い壁。広々とした庭には真っ白な大型犬が駆け回っている。庭の奥には、花壇に水をやっている女性が見えた。豪邸からはピアノの音が聞こえてくる。会長が弾いているのだろうか。私は背伸びして柵に手をかけ、中の様子を伺った。ふと、犬がこちらへやってきて、柵に体当たりしてきた。 「うおっ」 驚いた拍子に柵から手を離してしまい、地面に尻餅をつく。帽子を被った人が水やりの手を止め、門を開けて駆け寄ってくる。 「あらあら大丈夫?」 「す、すいません」 私は赤くなって、女性の真っ白な手に掴まった。彼女はとても綺麗な人だった。女性は私の格好を見て「あら」と言う。 「その制服、明日葉高校のよね。もしかして、コウのお友達?」 「コウ? あ、会長の名前……」 この人、会長と黒田くんのお姉さんだったりして。でも、お姉さんの話は聞いたことがない。名前を尋ねられて「千秋です」と言う。 「千秋さんね。私、黒田サユリといいます。よかったら中にお入りになる?」 私は女性に続いて門をくぐった。こちらにだーっと駆けてきた犬が、制服のスカートを引っ張る。 「わあっ」 「こら、ジョン。だめでしょう」 サユリさんがたしなめると、ジョンがきゃん、と鳴いてしっぽを振った。 「か、可愛い犬ですね」 「ええ、かわいいわ。この子は三番目の子供だから」 女性はそう言って優しくジョンを撫でる。三番目ってどういう意味だろう。 不思議に思っていたら、千秋のスマホの着信音が鳴った。その音を聞いて、ジョンが吠え始めた。 「なになになに!?」 「dont worry be happyね。ジョンはその曲が大好きなの」 これが原因かと、私は慌ててスマホの電源を切る。ジョンがきゅんきゅん鳴いた。よっぽどこの曲が好きみたいだ。頭を撫でたらぶんぶんしっぽを振った。人懐っこい犬だなあ。ジョンとたわむれていたら、玄関のドアが開いた。 「母さん、ジョンが騒いでるけど何かあっ……」 「あっ、会長」 会長は私を目にして眉をひそめた。 「なんでここにいるんだ、紅木」 「あ、こんにちは」 「さっさと帰れ」 私を追い出そうとする会長に、サユリさんが声を尖らせた。 「コウ! お友達になんてことを言うの」 「いや、母さん、こいつは友達とかじゃなく」 母さん!? サユリさんって、会長のお母さんなの? 「女の子にこいつなんて言わないの!」 口をあんぐり開けている私に、サユリさんは優しく声をかける。 「千秋さん、いらっしゃい」 サユリさんに促され、私は家に入った。さすがの会長も母親には頭が上がらないようで、しぶしぶ私達についてくる。サユリさんは私をリビングに迎え入れた。私は持っていたドーナツをサユリさんに手渡す。 「あっ、これお土産です」 「まあ、ありがとう」 サユリさんはドーナツの箱を受け取って、お茶を淹れにキッチンへ向かった。広々としたリビングには立派な棚があって、トロフィーや写真立てが並べられている。写真立てには幼いころの黒田くんと会長、それからジョン。あとサユリさんとお父さんらしき人が写っていた。黒田くんのお父さんは、とてもかっこいい人だ。黒田くんと会長はジョンを挟んで笑顔を浮かべている。この頃は、兄妹仲がよかったんだろうな。リビングの中央にはグランドピアノが置かれていた。会長はピアノのそばにあるソファに座って私を見上げる。 「で? なにしに来たんだ」 私は会長のとなりにすわった。会長は嫌そうに表情を歪める。 「ふつう向かいに座るだろう」 「黒田くんと仲直りしてください」 「はあ?」 「黒田くん、会長に嫌われてるって言ってました。悲しそうでした」 「あいつは俺に嫌われようが気にしない」 会長はそう言って立ち上がり、ピアノの方へ向かう。蓋を開けて弾きだしたのは「dont worry be happy」だ。曲に反応しているのか、ジョンが庭で吠えている声が聞こえてきた。 「ジョンってほんとにこの曲が好きなんですね」 私の言葉に、会長がピアノを弾く手を止めた。 「母さんがユウジさん──いまの父さんと再婚したのは十年前だ。レイは6歳、俺は7歳。レイは当時英語しか話せなかった」 黒田くんはだんだん日本語が話せるようになったが、言葉のせいなのか気質のせいなのか、日本での生活に馴染んでいなかった。父親はアメリカ住まい。会長と仲良くなることもなく、黒田くんは孤立した。 「コウは学校にはあまり行かず、おじさんのライブハウスにばっかり顔を出してた。学校よりもあそこの方が、あいつにとって落ち着いたんだろう」 会長は黒田くんを連れ戻すためにたびたびライブハウスに行ったが、彼は言うことを聞かなかった。優等生の会長は塾やピアノのレッスンで忙しく、変わり者の弟にばかり構っていられなくなった。時がたつにつれて、兄弟の溝は深くなった。そして、黒田くんは小学校を卒業すると同時に、父親のいるアメリカへ渡った。 「レイは向こうに行って、まだアマチュアだったblackってグループに入った。日本人ってだけで目立つからな。騒がれるのが嫌だってんだろう。素性を隠してKって名前で活動を始めて……瞬く間に評価された」 会長は再びメロディーを奏で始める。 「あいつには音楽の才能がある。学校をさぼってライブハウスに入り浸ってる時からそれはわかってた。俺には音楽の才能なんてないことも」 「でも、あんなにトロフィーがあるのに」 「あれは努力賞みたいなものだ」 会長は並んでいるトロフィーを見て、自嘲気味に言った。 「だから、レイの歌を聴くたびに劣等感を味わったよ。それでも弟だから、向こうでレイがうまくやれればいいと思ってた。だけど……」 会長が勢いよく鍵盤を叩いたので、私はびくりと身体を震わせた。会長は押し殺した声で言う。 「なのに、あいつは逃げ出した。いきなりblackをやめて日本に帰ってきた。しかもマネージャーを殴って、裁判沙汰にもなった。相手方が引いたから不起訴になったけどな」 「それには理由があるんです」 「理由なんてどうだっていい。散々好き勝手なことをやって、やめて戻ってきて、今度は素人に混じって文化祭に参加する? 母さんにさんざん心配をかけておいて……ふざけてる」 「確かに暴力はよくないけど、黒田くんの言い分も聞いてあげて下さい」 「あっちが話さないんだ。俺が聞いてやる義務はない」 「そんな……」 その時、ノックの音が聞こえて、会長は言葉をとぎらせた。扉を開けると、サユリさんが満面の笑みを浮かべていた。 「おまたせ」 テーブルに茶器を並べながら、サユリさんが尋ねる。 「何話してたの?」 「なんでもないよ」 会長はそう言って、ソファに腰をおろした。サユリさんはお盆を置いて、会長に尋ねた。 「そういえば、レイは文化祭、何か出るのかしら」 「さあ。わからないな。あんまり話さないから」 サユリさんはそう、と眉を下げて、私の方に視線を向けた。 「千秋さん、同じ学年よね? 黒田レイ」 「あ、はい。隣の席……でした。最近まで」 「まあ、そうなの。あの子学校ではどう?」 無愛想で意地悪です、とは言わないほうがいいんだろうな。 「えっと、黒田くんとはアカペラ部で一緒なんです。すっごく上手で、リーダー的な存在で」 「本当?」 サユリさんは嬉しそうな顔で身を乗り出す。 「じゃあ、文化祭で歌ったりするのかしら」 「それは……」 私はちらりと会長を見る。 「レイは出ないよ」 会長の答えに、サユリさんはがっかりした。 「まあ、そうなの? どうして?」 「色々あるんだよ。それに歌ってるところなら、ライブハウスに行けば見られるだろ?」 「そうね……」 サユリさんはため息をついて、残念そうに視線を下げた。私は壁掛け時計を見て立ち上がる。 「あの、私そろそろ失礼します」 「あら、そう? コウ、送っていってあげて」 「なぜ俺が……」 「女の子が遅くに出歩くのは危ないでしょ?」 サユリさんの笑顔の圧力に負けて、会長は黙って立ち上がった。私はサユリさんに別れを告げてリビングから出る。千秋さん、と声をかけられて振り向くと、サユリさんがこっちを見ていた。彼女はぎゅっと私の手を握りしめる。 「レイのこと、よろしくね」 「……はい」 玄関を出て庭に降りると、ジョンが寄ってきた。私は身を屈め、ジョンの頭を撫でる。 「またね、ジョン」 ジョンはわんと吠えてくるくると回った。黒田家を出た私は、先を歩く会長をちらりと見る。血のつながりはないのに、なぜかその後ろ姿は黒田くんにそっくりだった。 「あの、会長……」 私が言葉を続ける前に、会長が吐き捨てるように言った。 「レイは母に心配をかけてばかりいる。だから俺はあいつが嫌いなんだ」 「でもさっきの曲、黒田くんとの思い出の曲ですよね」 「レイとは関係ない。俺があの曲を気に入ってるだけだ」 会長は私を駅まで送り届けて、「じゃあ、気をつけて」と言って踵を返した。私はその背に声をかける。 「あのっ、会長!」 振り向いた会長に、「会長もアカペラをやりませんか!?」と声をかけた。 「何を馬鹿なことをいってるんだ」 「楽しいですよ、すっごく!」 「いいからさっさと帰れ。暗くなるぞ」 会長は私に背を向けて歩いていく。 「明日、部室で待ってますね!」 声をかけたが、会長は振り向かなかった。私は会長の姿が見えなくなるまで手を振って、改札を抜けた。
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