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「えー。黒田は今日から一週間停学になった」
HRで担任がそう言うと、クラスのみんなが「ええっ」と声を漏らした。次いで、なんでですかーという声が飛んでくる。
「バイト先で飲酒したそうだ」
「うっそー。そういうのしないタイプかと思ってた」
「客に勧められて断れなかったんじゃね?」
「意志薄弱ってヤツ?」
教室は一気にざわつく。私はぎゅっと拳を握りしめた。勢いよく立ち上がって、バンと机を叩く。すると、教室がしんとした。後ろの席の女の子が、おそるおそる声をかけてきた。
「あ、あの、千秋……?」
「黒田くんはそんなことしません!」
担任はびっくりした顔で私を見て、愛想笑いを浮かべた。
「お、おう。とりあえず座れ。な?」
私が席につくと、また教室がざわつき出す。担任はみんなを静かにさせたあと、話題を文化祭に変えた。昼休み、友達と一緒に御飯を食べていると、委員長が声をかけてきた。
「紅木さん、ちょっといい?」
「あ、うん」
私と委員長は一緒に廊下に出た。彼女は私にファイルを差し出してくる。
「これ、今日のぶんのノート。コピーしたから、黒田くんに渡してくれる?」
「あ、ありがとう」
私はコピー用紙をしげしげと見た。きれいでわかりやすい。私のノートとは全然違う。
「すごいね、さすが委員長。黒田くん喜ぶよ」
委員長は廊下の窓に肘をかけ、外を眺めた。
「紅木さんって、小学校の時なんて呼ばれてた?」
「え? えーと、ちーちゃんとか、チビあほとか。委員長は?」
「今と一緒。小学校からずっと、呼び名は委員長。または松野さん」
昔から委員長なんだ。きっと、小さいときからしっかりしてたんだろうなあ。
「あだ名って、特徴がないとつけられないわよね」
「うん、そうだね」
「紅木さんは見たままのひとよね。裏表がない。「ちーちゃん」って呼ばれるのがぴったり。だけど黒田くんがどんなひとなのか、みんな知らない。個性がないわけじゃなくて、自分がどんな人間なのかを隠してる感じがする」
委員長はこちらを見た。
「だけどあなたが彼を信じてるなら、私も信じようかなって気になるわ」
「委員長……」
彼女はぽん、と私の肩を叩いて、教室に入っていった。委員長が触れた肩にそっと手を置いた。あったかい。好き勝手なことを言う人もいるけど、黒田くんを信じてくれるひともいるんだ。
なんだかみんなで歌いたい気分だな。あ、そうだ。
私はスマホを取り出し、ラインでアカペラ部のみんなを呼び出した。しばらくして、先輩とユイちゃん、青井くんが集まってくる。
「どうしたん、千秋」
「もう授業始まっちゃうよー」
「今日、みんなで黒田くんの家に行かない?」
私の言葉に、先輩たちが顔を見合わせた。
「黒田んち?」
「うん。黒田くんの家ってライブハウスだから、歌の練習もできるだろうし」
「あー、千秋、そのことなんやけど……」
気まずそうに言った先輩に「どうかしました?」と尋ねる。
「黒田とは、会わへんほうがええんやない?」
「え」
「ユイとも話してたんや。黒田はいま停学中なんやし、俺ら四人で頑張るしかないやん」
「そうだよ~。また会長に目をつけられちゃうよ」
「ユイちゃんまで、そんなこと言わないでよ」
私は黙り込んでいる青井くんに視線を向けた。
「ねえ、青井くんはどう思う?」
「俺は……」
青井くんは言葉をと切らせ、そのまま沈黙した。私はぎゅっと拳を握りしめる。
「わかった。じゃあ、私も文化祭に出ない」
その言葉に、先輩がぎょっとした。
「何言ってんねん、千秋」
「そうだよ~千秋ちゃんがいなかったらアカペラできないよ」
ユイちゃんがオロオロする。
「私だけじゃない。黒田くんも、青井くんも、ユイちゃんも、先輩も、誰一人欠けてもだめなんだよ! だってアカペラは、5人でひとつの歌を作りあげるものなんだもん」
私が叫ぶと、その場がしんとした。キーンコーンカーンコーン……。チャイムの音がむなしく響き渡る。
「……もういいよ、黒田くんの家には、私ひとりでいく」
私は教室に向かってあるき始めた。窓の外には、取り壊しの始まった練習棟が見えた。私たちの絆も、あんなふうに壊されてしまうんだろうか……。
夕暮れの公園に、ブランコを漕ぐ音が響いている。私は公園のブランコに座って「上を向いて歩こう」を歌っていた。歌い終わると、砂場で遊んでいた子供がじーっと見てくる。私はブランコをこぐのをやめて「歌、どうだった?」と尋ねた。子供は「へったくそー」と言って、けらけら笑いながら走っていく。ため息をついていたら、「千秋ちゃん?」と声をかけられた。
顔をあげると、黒田くんのおじさんが立っていた。買い物帰りだろうか、年季のはいったブーツを履いて、片手にビニール袋を下げている。
「どうしたの? こんなとこでたそがれちゃって」
「あ、えっと……練習する場所がなくって」
おじさんは私の隣のブランコに腰掛けて、袋からサイダーを出した。
「はい、どうぞ」
私は「ありがとうございます」と言って缶を受け取った。おじさんは自分もサイダーを飲みながら話しかけてくる。
「レイのやつ、停学食らったんだってね。酒飲んでる写真が出たとか」
「はい」
「担任が家に来たよ。普段から酒飲ませてんじゃないかって疑われたから、俺が飲まないのにレイが飲むわけないでしょうって言っといた」
静かながらも、ジローさんは怒っているように見えた。
「ジローさん、お酒飲まないんですか」
「うん。俺甘党だから」
「黒田くんもですよ。やっぱりふたり、似てますね」
ジローさんはふっと笑い、「俺は父方の親戚なんだよね」と言った。
「レイんちは再婚同士で……聞いた? この話」
「はい、聞きました」
「そう。小さいときから愛想のないこどもだったけど、今も変わんないね。誤解されるから、少しは笑えって言ってるんだけど」
そういうジローさんも笑顔の少ないタイプだ。
「あの、黒田くんどうしてますか」
「いつもと変わんないように見えるよ。本読んだり、勉強したり。元々あいつ、学校嫌いだから」
ジローさんはサイダーを一口のんだ。彼の視線は、公園を走り回る子どもたちに向いている。
「あいつ、基本的に俺を頼んないからね。たとえ苦しくても、何も言わないんだ」
「でも、ジローさんがいるから黒田くんは普通でいられるんだと思います」
そう言ったら、ジローさんが瞳を緩めた。
「そう?」
「はい。ジローさんは、黒田くんのこと信じてくれてるから」
「ま、あいつは酒なんかよりも、やっかいなものに夢中だって知ってるからね」
それって、アカペラのことだろうか。
「黒田くんに何があったのか、ジローさんは知ってるんですか?」
「blackは最初、ただのアカペラグループだった」
blackはもともと、コミュニティに馴染めない少年たちの集まりのようなものだった。最初は路上ライブ。それがいつの間にか大きな箱でライブをするようになって、プロに声をかけられ、メジャーデビューし、音楽の賞にノミネートされるまでになった。
「blackに入って一年くらいたった頃、レイはマネージャーに単独デビューの話を持ちかけられた。他のメンバーは切り捨てて、レイ一人で再デビューしろと彼は言ったんだ」
茜色の空を見上げながら、ジローさんは言った。
「レイがやりたいのはただ歌うことじゃない。ハモることなんだ。あいつは一人で歌う気はなかった。だけど、マネージャーは聞く耳を持たなかった。レイの移籍込みで、他のレコード会社に転職を決めてたんだよ」
しかし、思惑通りにはいかなかった。
「焦ったマネージャーは、レイを孤立させるため、メンバーにあいつの悪評を言いふらした」
大した話をしたわけじゃない。それでもマネージャーの言葉は多大な影響力をもたらした。
「それ以来、レイはグループ内で無視されるようになった」
些細な誤解なのだから、いずれ解けるだろうと思っていた。しかし、メンバーの溝は埋まらなかった。
「blackのやつらはレイを許さなかった。彼らはあるコンサートで、レイが全く知らない曲を歌いだした」
私は息を呑んだ。
「彼らはただレイを裏切るためだけにその曲を練習し、実行に移した」
ざわつく観客を置いて、レイはステージを降りた。そして、舞台袖でニヤニヤしていたマネージャーを殴り飛ばした。
「よりにもよってそれがチャリティーコンサートだったから、レイは盛大なバッシングを浴びた」
レイはblackを脱退し、日本に戻ってきた。
「ひとを殴るのはよくないことだ。俺もそう思う。だけど、俺にはあいつを責めることはできなかった。戻ってきたレイは、魂が抜けたような顔をしてたから」
話を聞いたジローさんは、私を見て困った顔をした。
「千秋ちゃんが泣くことないよ」
「す、すいません」
私は滲んだ涙を必死にぬぐった。ジローさんは腕時計に視線を落として立ち上がった。
「最近夜は気温下がるからね。身体を冷やさないように気をつけて」
「ありがとうございます」
ジローさんはサイダーを飲み干し、ゴミ箱に空き缶を捨てて去っていく。
知らなかった。黒田くんがどんな思いで日本に帰ってきたのか。あんな目にあったら、アカペラ部に入るのだって勇気がいったはずだ。私はスマホを取り出して、メッセージを送ろうとした。でも、なんて書いていいのかわからなかった。
大丈夫。3日経てば、きっと黒田くんは今までと変わりなく登校してくるはず。そしたらまた、今まで通りみんなで練習できるはずだ。私は日が落ちるまで、キイキイとブランコを揺らしていた。
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