ミサンガと告白

7/9
前へ
/28ページ
次へ
○ 初めて千秋を見たとき、なんだこいつ、小学生か? と思った。 4月、ニューヨークから戻ってきた俺は、黒田家ではなくおじさんの家に住むことにした。そして、その家から一番近い明日葉高校に進学することを選んだ。兄貴がそこの生徒会長をしてることは知ってたが、そんなこと憂慮する余裕はなかった。それくらい、俺は疲れていたのだ。 戻ってきてしばらくは、歌う気にはなれなかった。おじさんは無理強いすることなく、俺にステージに立つことを勧めた。あんなことがあっても、歌うのは楽しかった。それでももう、アカペラをやる気はなかった。普通に生活していたら、誰も俺に気づかなかった。だからこのまま、卒業まで目立たつ生活できたら良いと思っていた。 ヘッドホンをして読書をしていれば、誰も声をかけてこなかった。 新学期が始まって隣の席になった女は、ヘッドホンの音量をしのぐ音声で俺に挨拶してきた。 「黒田くん、今日から隣だね! よろしくね!」 「……よろしく」 それが紅木千秋だった。 千秋は声だけではなく、言動もやかましかった。よく笑い、よく動き、よく食べる。ヘッドホンをしてても、千秋の声は聞こえてきた。 一学期の終業式、俺は千秋のハンカチを拾った。あいつはああいう落ち着きのないやつなので、ハンカチを落としたことにも気づかないようだった。 俺が声をかけようとしたら、違うクラスのやつが千秋に声をかけた。彼女たちは渡り廊下の途中で立ち止まって、会話をし始めた。俺はハンカチを渡すタイミングを見失って、彼女たちの会話が一段落つくまで聞くはめになった。 千秋と一緒にいる女の子は、合唱部らしかった。うちの学校で一番有名で、最も厳しいだろう部活だ。 千秋は泣きだした女の子をなぐさめて、「アカペラ部に入ればいいよ!」と言った。 どうやら千秋は部員集めに苦労しているようだった。正体がバレたら面倒なことになりそうだ。俺はそのとき、千秋に関わらないようにしようと誓った。 パラ、パラと本をめくる音が部屋に響いている。俺はページから視線を外し、壁掛け時計を見た。16時か。停学っていうのは案外暇なものだ。小学校のときは学校なんて行かなくても平気だったのに。あいつ、今なにしてるんだろう。アカペラの練習かな。小柄な少女の姿を思い浮かべて、俺はふっと表情を緩めた。扉が開閉する音がして、叔父が入ってきた。 「おかえり」と声をかけると、「ああ」と返してくる。このひとは俺に似ている。甘いものが好きで、無愛想。だけど意外と執着心が強い。現に、叔父の履いているブーツはオークションで粘りに粘って競り落としたものだ。好きなものばかり追い求めていたら、一人になっていたらしい。叔父を見ていると、将来こうなるのだろうかとちょっと怖くなる。いまは結婚のイメージなんて全然沸かないけど。 俺は部屋の隅に備え付けられているキッチンへ目をやった。ぼんやり見ていたら、そこに立つ千秋の姿が思い浮かんだ。あいつ、料理できなさそう。なんせ幼馴染に弁当作ってもらってるくらいだからな。……って、なんで結婚ってワードで千秋が出てくるんだ。 かぶりを振る俺の前に、サイダーの缶が置かれる。頭を冷やすために缶のプルトップを引いていると、叔父が口を開いた。 「さっき千秋ちゃんに会ったよ」 「千秋? なんで」 「公園で一人練習してたぞ。捨て猫みたいな目して」 「表現が気持ち悪い」 そう言ったら頬を引っ張られた。あいつ、なんで一人でいたんだ? 他のやつらは都合が悪いんだろうか。痛む頬を撫でながら考え込んでいたら、叔父がこういった。 「なあ、一回コウと話したらどうだ」 「話すって何を」 「色々だよ」 あっちが話したがらないのだからどうしようもない。俺は本に目を落として言う。 「停学はたった3日だ。その間我慢すればすむ」 「おまえらしくないな。校則なんて守るタイプか?」 「そうだよ。学校じゃ読書好きの根暗男子で通ってんだ」 「卒業までそのキャラで通す気か」 「ああ」 「つまんないやつだな」 「いいだろ、この店にはちゃんと貢献してるんだから」 俺は本を閉じて、自分の部屋に向かった。叔父の声が追いかけてくる。 「なんでもいいけど、千秋ちゃんに心配かけるなよ」 わかってるよ。部屋に入った俺は、ベッドに寝転がった。本の続きを読む気にはなれない。スマホが音を立てたので、千秋かと思って手をのばす。しかし、聞こえてきたのは違う声だった。 「あっ、黒田か?」 「桃瀬先輩?」 「ちょっと聞きたいことがあんねん。会長の好きなもんってなに?」 なんでそんなことを聞くのだろう。 「そんなことより、今日練習はしてないのか」 「え? してへんよ。なんで」 「……いや、別に。コウは辛いものが好きだけど」 「辛いもんか~よっしゃ、わかった。ほじゃな!」 ぶつっと通話が切れる。俺はため息をついて、スマホを放った。それきりスマホは着信を告げなかった。 その日俺は、夢を見た。 マネージャーを殴ったという記事が、掲示板に貼られている夢。クラスの奴らやアカペラ部のみんながひそひそとささやく。 ――最悪やん。 ――見損なったよ。 ――偉そうなくせに、最低なやつなんだな。 待ってくれ。話を聞いてくれ。離れていくみんなの中に、千秋の姿もあった。 ――ミナトのほうがいい。だって、ミナトはひとを傷つけたりしないもん。 千秋は六条ミナトと寄り添って去っていく。 俺は勢いよく起き上がり、息を吐いた。首筋や額に汗が滲んでいる。 「……っ」 震える手で顔を覆って、声を押し殺して叫ぶ。もう嫌なんだ。信じて裏切られるのは、もう嫌だ……。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加