9人が本棚に入れています
本棚に追加
放課後、私と黒田くんは廊下で話していた。ミナトを練習に誘ったが、返事は来なかった。
「他のやつら、なんて言ってる?」
「ラインで連絡したんだけど、既読スルーなんだ」
私はスマホ片手に俯いた。3日前から、先輩ともユイちゃんとも青井くんとも連絡をとっていないのだ。このままだめになっちゃうのかな……。黒田くんはそうか、と相づちを打ってこちらを見下ろす。
「ってことは、二人っきりだな」
「え? っ」
黒田くんは私の手をぎゅっと握りしめた。私は真っ赤になってあたりを見回す。
「ちょ、なんで手」
「好きって言ったじゃん」
「う、歌がだよ」
「歌だけ?」
黒田くんの青灰色の目が覗き込んでくる。視線をうろつかせていると、生徒会室から聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「いやー、しかし会長ってのはえらいもんやな、全校生徒の代表なんて大変でっしゃろ。肩もみましょうか」
このコテコテの関西弁は……。私と黒田くんは生徒会室の中を覗き込んだ。桃瀬先輩が会長のまわりをウロウロしている。
「これ、明太子入のたこ焼きなんです。おひとつどないです?」
会長はうっとおしそうに先輩を見て、「さっきからなんなんだ、桃瀬」と言う。
「ほら、黒田の件。クレーム言ってきたやつのメルアド教えてもらえんかなあって」
「無理だ。守秘義務がある」
「そこをなんとか~」
「無理なものは無理だ」
下手に出ていた先輩がキレた。
「あんたそれでも兄さんかいな! 黒田のこと守ったろうとは思わんのか!」
「うるさい。邪魔だからさっさと出ていけ」
会長に追い出された先輩が吠える。
「かーっ、なんやねんこのボケ! どケチメガネ!」
先輩はぶつぶつ言いながらこちらを見て、「あっ」と声を漏らした。気まずそうに視線をうろつかせ、たこ焼きを背中に隠す。
「な、なんや自分ら。いたんか」
「先輩、何してるんですか」
「何って、このままやられっぱなしは悔しいやん」
会長はそう言って唇を尖らせる。
「あの会長ほんまいけずやわ」
「でも、黒田くんと距離をとろうって……」
「だって、停学中にはしゃいどったらあかんやろ」
私と黒田くんは顔を見合わせて笑った。部活棟は立入禁止になってしまったため、先輩は空き教室にたこ焼き器を持ち込んで、私達にたこ焼きを振る舞った。ちなみに黒田くんはタコが嫌いらしく、明石焼きを食べている。くるくるとたこ焼きをひっくり返しながら、先輩が尋ねた。
「なあ、青井とユイはどないしてん」
「返信がないんです。もう帰っちゃったのかも」
たこ焼きをたべながらスマホを眺めていたら、バタバタと足音が聞こえてきた。がらっと扉が開いて、ユイちゃんが入ってくる。その後に続いて、青井くんがやってきた。私と先輩は驚く。
「ユイちゃん? 青井くんも」
「どないしたん、そんなに慌てて」
ユイちゃんはぜいはあと息をついて、勢いよく顔をあげた。
「わかったよ!」
「は?」
「だからあ、あの写真が偽物だってわかったの。ねっ、青井くん」
「う、うん」
青井くんはパソコンを開いて、私達のほうへ向けた。画面には、黒田くんの飲酒写真が写っている。
「この写真、どうしたんや」
「会長に貸してもらった。これ、フォトショで加工してるんだ」
「フォトショ?」
「画像加工用のアプリだよ。画像検索で適当に選んできた写真を、黒田くんの写真と合成したんだと思う」
そんなことができるんだと、私はびっくりする。
「便利な世の中だよね~」
しみじみと言ったユイちゃんに、先輩が突っ込む。
「いや、感心してたらあかんやん」
「でも、誰がそんなこと……」
私は黒田くんに視線を向けた。
「誰がやったかは、なんとなくわかってる」
黒田くんがそう言った直後、扉がかたんと鳴った。扉を空けると、真っ青になった小山内さんが立っていた。
「小山内さん?」
小山内さんはふらふらと部室に入ってきた。
「ねえ、なんでこのひと受け入れてるの? マネージャーに暴力振るったのよ? チャリティーフェスを台無しにしたのよ」
どうして小山内さんがそんなことを知ってるんだろう。黒田くんはじっと彼女を見ている。もしかして、黒田くんが疑っているのは……。
「なんでって、黒田はそんなやつちゃうからやん」
「そうだよー。黒田くんは偉そうだけど理由なくそんなことするひとじゃないよ」
「く、口は悪いけど、悪いひとじゃない」
先輩とユイちゃん、それから青井くんの言葉が続けて言う。小山内さんはわなわなと唇を震わせた。
「なんなの……?」
「おまえ、合唱部クビになったんだってな」
黒田くんの言葉に、小山内さんがはっと振り向いた。
「な、なんでそれを」
「今朝、おまえのクラスのやつから聞いた」
黒田くんは小山内さんに何かを差し出した。それは手紙みたいだった。
「これ、下駄箱に入れたのおまえだろ」
手紙には、「あなたはアカペラ部にふさわしくない。今すぐやめないと、昔のことを暴露する」と書かれていた。
小山内さんはへなへなとしゃがみこんだ。私はそっと小山内さんの肩に触れる。
「小山内さん……」
「触んないで!」
彼女は私の手を振り払った。ぐしゃぐしゃと髪をかき回す。
「なんでよ……私は努力したの……精一杯やったのに」
肩を震わせ泣きじゃくる小山内さんに、黒田くんがハンカチを差し出した。
「合唱部なんて、俺達が潰してやるよ」
「つ、潰すって言い方はどうかな」
「そや、また変な噂流れるで」
青井くんと先輩が言葉を挟む。
私は泣き止んだ小山内さんを校門まで送っていき、「元気だしてね」と言う。小山内さんは何も言わずに頭を下げ、そのまま歩いていった。空き教室に戻ると、先輩の声が聞こえてくる。私は扉を開けて中の様子を伺った。
「なあ、あの小山内ってやつ帰してよかったんか? きっつい罰とか与えたほうがよかったんやない?」
「まあ、黒田くんがいいって言ってるし」
「私、ちょっとだけ小山内さんの気持ちわかるなあ」
青井くんに続いて、ユイちゃんがポツリとつぶやいた。
「クビって言われると、いらないって言われたきがするんだよ」
「いらないやつなんていない」
黒田くんの声に、みんなが頷いた。
「せやな、現にうちは一人でも欠けたらできへんし」
「そうそう、だれもクビにできないよね~」
ユイちゃんも、小山内さんも、いらないひとなんかじゃない。会長をぎゃふんと言わせるとか、廃部がどうこうとか、どうでもいい。合唱部に勝ちたい。初めてそう思った。私は教室に足を踏み入れて、「練習しよう」と言った。
帰り道、お腹がへったので、みんなで学校の近くにあるコンビニへ向かった。
「なんかさあー、アカペラ部の証みたいなのほしいよね~」
そう言ったユイちゃんに黒田くんが尋ねる。
「証ってなんだよ」
「Tシャツとか?」
と青山くん。
「そんなの作る金あらへんよ」
先輩がかぶりを振る。私は思いついて言った。
「あっ、自分のカラーのものを身につけるとかどう? 例えば黒田くんなら黒とか」
「六条はどうするんだ?」
黒田くんの言葉に、私は小声で返した。
「ミナトは……文化祭には出ないと思う」
入部したのはいいけれど、結局忙しくて練習に参加してないのだ。それに、告白されて以来ちょっと気まずいし。コンビニに入ろうとすると、すれ違いで会長が出てきた。
「会長も買い食いですかー?」
ユイちゃんの言葉に、会長が冷たく返した。
「おまえらと一緒にするな。ノートがなくなったから買いに来ただけだ」
そのまま立ち去ろうとした会長に、黒田くんが声をかける。
「兄貴」
会長が立ち止まった。
「俺は文化祭に出る」
「……何を言われても知らんぞ」
「別にいいよ。信じてくれるやつらがいるから」
会長は何も言わずに歩いていった。黒田くんはその背中をじっと見つめていた。
自宅に戻った私は、玄関のあかりがついていることに気づいた。しかも、鍵が空いている。そうっとドアを開けると、玄関に見覚えのある靴が並んでいた。しかも、リビングのほうから陽気な笑い声が聞こえてきた。まさか。私は急いで靴を脱いでリビングに向かう。リビングでは、テレビを見ながら笑っている両親の姿があった。私は思わず持っていたカバンを床に落とした。
「母さん、父さん!」
「あら千秋、ただいま」
母はチキンをかじりながらのんきな声で言う。
「ただいまって、いつかえってきたの」
「ついさっきよ。あ、これお土産」
差し出されたのは自由の女神の形をしたライターだった。こんなの何に使えば良いんだろう。
「っていうか、なんでふたりとも戻ってきたの?」
チキンを食べ終えた母は、ピザを口に運ぶ。
「千秋が連絡してきたんでしょ、ミナトくんが辞めるって言ってるって」
「そうそう。心配して戻ってきたんだぞ」
「遅っ……それだいぶ前だし」
「ん? じゃあもう心配ないのか。帰ってきて損したな」
父があはは、と笑ってお酒をグラスに注いだ。
「にしても、Kはどこにいるのかなあ」
母は父にお酒を注いでもらいながら言う。
「あれだけの才能だもの、姿を隠していてもきっと何らかのオーラを放ってるはずよ」
「ああ、そうだな。我々ならすぐ見つけられるだろう」
自信過剰な親である。
「Kの正体なら、知ってるよ。うちの学校にいる」
私の言葉に、両親が同時に「えっ」と声を漏らす。
「そうなの? どんなひと?」
「教えない。見ればわかるんでしょ?」
「千秋ってば! いつからそんなひねくれた返事をするようになったの」
「まあまあハニー。興奮するとせっかくの美貌が台無しだよ」
「やだダーリンってば」
もうやだ、この両親。
「ああそうだ千秋。ミナトくんにもお土産を渡してきなさい」
そう言って渡されたのは星条旗柄のジャケットだった。うわあ、ハデ。ミナトはこんなの絶対着ないって。二人が早く行ってきなさいとうるさいから、私はジャケットを手にミナトの家に向かった。ジャケットを見たミナトは、案の定顔を引きつらせていた。
「ごめんね、着なくていいから」
「はは……」
ミナトは「なあ、黒田のことで変な噂があるみたいだけど、大丈夫なのか」と尋ねた。
「うん。黒田くんのこと、みんな信じてるから」
そう答えたら、ミナトが目を伏せた。
「俺はもう、おまえには必要ないんだな」
家に帰ると、リビングにいる母が声をかけてきた。
「おかえり、千秋。ミナトくん喜んでくれた?」
「うん」
本当はビミョーな反応だったけど、私は曖昧に頷いた。母は満足そうに「よかったわー」と言っている。
「ほら、千秋も食べなさい」
父がニコニコしながらピザを勧めてくる。私は父の隣りに座って、「ねえ、もし友達に変な噂が流れたらどうする?」と尋ねた。
「そんなものは気にしなきゃ良いんだ」
「そうそう、噂なんて75日もすればなくなるんだから」
さすが、うちの両親は楽観的だ。母が不思議そうに尋ねてくる。
「なんでそんなこときくの?」
「ううん、なんでもない」
私はかぶりを振って二階へ向かう。階下から両親の声が聞こえてきた。
「千秋ったらどうしたのかしら。変な子ねえ」
「ちょっとくらい変わってるほうが面白いさ。ははは」
この二人に変って言われたくないんだけどなあ。部屋に戻って窓の外を見ると、流れ星が落ちるのが見えた。私は指を組んで願い事をする。
「文化祭、どうかうまくいきますように」
最初のコメントを投稿しよう!