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私と黒田くんが体育館に向かうと、すでに結構なお客さんが入っていた。舞台袖にあがると、緊張した面持ちの生徒たちが集まっている。その中にいたユイちゃんが私達に気づいて手を振った。ふりふりのエプロンではなく制服姿に着替えている。
「あっ、千秋、黒田くん! こっちこっち」
ユイちゃんは私たちにリストバンドを差し出した。
「これ、100均で見つけたんだ~ちょうどみんなの色があったから買っちゃった」
「わあ、ありがとう」
喜ぶ私たちに比べ、青井くんは真っ青な顔をしている。
「あ、青井くん、大丈夫?」
「だ、だだだいじょうぶ」
とてもじゃないが大丈夫なようには見えない。先輩も珍しく表情が硬かった。
いま、舞台では落語研究会が発表している。パチパチと拍手が響いて、着物姿の少年が戻ってくる。私は拍手して、「よかったよ!」と声をかけた。
「あ、どーもどーも」
「ひとを励ましてる場合なのかよ」
黒田くんがつぶやく。
司会の女生徒が舞台袖に置かれた「めくり」をめくって「次の発表は合唱部です」という。ユイちゃんがそわそわしながらお腹をおさえる。
「やばいよ~。あと4組だよ。なんかお腹痛くなってきた」
「たかが文化祭の発表で緊張してバカみたい」
合唱部の生徒たちは、バカにしたような顔でユイちゃんを見てステージへと向かった。先輩がそれを見て歯噛みする。
「感じの悪い奴らやのー」
私は小山内さんが客席にいるのではないかと視線を動かしたが、見つけることはできなかった。合唱部がステージに並ぶと、舞台袖に会長が現れた。
「あれっ、会長だ」
彼はステージの端にあるピアノの前に座る。どうやら伴奏をするみたいだ。
「あんなんありかい。生徒会長が一つの部活に加担して良いんか」
先輩は実行委員に掴みかかっている。実行委員は「許可されてるからやってるんでしょ」と言って、迷惑そうに先輩の手を振り払った。司会進行役の女の子がステージ上に出ていって「指揮は織田先生、伴奏は黒田コウ、曲は流浪の民です」と言う。
織田先生が指揮棒を振ると、会長は鍵盤の上に指を置いて曲を弾き始める。
「わ、うまーい」
ユイちゃんが小声でいった。顧問を務める織田先生の指揮に合わせ、合唱部が歌い始める。さすが全国レベル、一糸乱れぬハーモニーだ。それになにより、会長のピアノはとても上手だった。黒田くんは目を閉じてその音に聞き入っている。歌が終わると、わっと拍手が起こった。私達も思わず拍手する。先輩が「敵をたたえてどうすんねん」と突っ込んだ。だって、すごくよかったもん。
ステージに戻ってきた合唱部員が、ユイちゃんに囁きかけた。
「せいぜい恥をかかないように頑張ってね」
くすくす笑われても、ユイちゃんは負けなかった。
「うん、頑張るね~」
笑顔で言うユイちゃんを見て、合唱部員たちは意外そうな顔をしている。
いっぽう、なぜか青井くんが震え出し、「お、俺ちょっとトイレ!」と言って走り出した。先輩は呆れた口調でつぶやく。
「あいつ大丈夫か、ほんま」
その時、私のスマホが着信音を鳴らした。
「はい、千秋です」
「あ、千秋? 母さんだけど」
「え? どうしたの」
「父さんが守衛さんに止められちゃって。アヤシイものじゃないって言ってるのに失礼しちゃうわよね」
なんでそうなるのだ? しかも、こんな大事なときに。私はため息をついて、黒田くんたちに言う。
「ごめん、父さんたちが中に入れないみたいだから行ってくる」
舞台を降りようとする私の腕を、黒田くんが掴んだ。
「おい、あと三組だぞ」
「大丈夫、すぐ戻るから」
私は黒田くんに笑顔を向け、小走りで校門へ向かった。校門にたどり着くと、母が手を振る。
「あっ、千秋~」
私は母に駆け寄って顔をしかめた。
「もう、何してるの?」
「このひとに言ってやってよ。私達は間違いなく両親ですって」
母が「このひと」呼ばわりしたのは守衛さんだった。私は守衛さんに、この人達はたしかにハデでうさんくさいが、一応芸能プロダクションの経営者だと説明した。
「ほんとですかあ?」
「もちろんだとも。ほら、レッドウッドっていう芸能事務所、聞いたことないかね?」
父が名刺を見せても、守衛さんは渋い顔をしている。
「いやあ、知らないわ」
無理もない。うちは弱小なのだ。
「最近物騒だからね。変な人を通すわけにはいかないんだよ」
「変な人だと? 黙って聞いてれば好き勝手言ってくれるね。もう我慢の限界だ」
父はそう言って懐に手を入れる。まさか銃を……!? 守衛さんは青ざめて、無線を手にする。そこに、邪気のない声が響いた。
「どうかしました?」
顔をあげると、ミナトが立っていた。守衛さんはぽかんとした表情でミナトを見ている。
「き、キミ、六条ミナトくん?」
「はい。この人達がなにか?」
「いや、生徒たちにやたらと声をかけてるもんだからちょっとね」
「ああ、このひと、俺の芸能事務所の社長なんです。職業病で、良いと思った子にはつい声をかけてしまうんですよ」
ミナトはそう言って白い歯を見せた。さすが芸能人、爽やかである。守衛さんはちらっと両親を見た。
「まあ、ならいいけどね。不審な行動はやめたほうがいいよ」
彼は懐からペンと手帳を取り出し、ミナトに差し出した。
「ところで、娘がキミのファンでねえ、サインもらえる?」
「はい、喜んで」
サインをもらった守衛さんは喜んで、あっさり両親を解放した。父が懐から出したのはクシだった。
「今日は風が強いねえ。髪が乱れてしまった」
すっと髪をなでつける。ま、紛らわしい。母はぷんぷんと腹を立てながら言う。
「もう、失礼しちゃうわよね。PTAの議題にあげちゃおうかしら」
「PTAなんて参加したことないでしょ。それより、これにこりたら無闇に声をかけるのはやめてよ」
「だって原石を見つけるのが私達の仕事だもの。ねえダーリン」
「そうだとも。しかしなかなかミナトくんレベルの子はいないなあ」
「そりゃあそうよ~うちの稼ぎ頭だもの」
両親にぽんぽん肩を叩かれて、ミナトは苦笑している。私は彼に尋ねた。
「それにしても、なんでミナトがここに?」
「いや、守衛にハデな二人が捕まってるって噂を聞いたから」
「それだけで我々だとわかるとは、さすがミナトくん」
「そうね。顔だけじゃなく頭もいいわ」
私は両親の会話にため息をついて、「いこう」とミナトを促した。横を歩くミナトに言う。
「ごめんね、迷惑かけて」
「いや。でもおまえ、良いのか? もう発表の時間じゃ」
「うん、急がないと」
私が足を早めようとしたら、スマホが鳴り響いた。私はスマホを耳に当てる。
「先輩? 今から戻ります」
先輩は焦った様子で言う。
「青井が戻ってこーへんのや。どこ行ったか知らんか」
「ええ?」
とにかく早く戻ると話して通話を終えたら、ミナトが「どうした」と尋ねてくる。
「部員がひとり戻ってこないらしいの。どうしたんだろう」
「緊張で逃げたとか?」
「青井くんはそんなことしな……」
いや、するかも。いい子だけどちょっと気が弱いから。
「とにかく、行こう」
ミナトと一緒に体育館に戻ると、合唱部の発表は終わり、けん玉部の発表に変わっていた。彼らは簡単な技を失敗しては笑われていた。先輩は「見てられへん」と言って顔を覆っている。私は電話している黒田くんに尋ねた。
「青井くんは?」
「さっきからかけてるけどつながらない」
苦い顔で言う黒田くんに続いて、先輩がぼやいた。
「なあ、あいつ逃げたんちゃうか」
「先輩まで縁起でもないこと言わないでください」
「せやかて帰りがおそすぎるやん」
その時、スマホが鳴り響いた。画面には「青井」という名前が表示されている。
「青井くんだ」
私は急いでスマホを耳に当てて「もしもし?」と応じた。気弱げな青井くんの声が聞こえてくる。
「あ、紅木さん。ごめん、急にお腹が……トイレから出れそうにない」
「ええっ!?」
思わず声を大きくすると、運営委員が「しーっ」と指を立てた。私は慌てて口を塞いで、小声で尋ねる。
「あと三組だよ。なんとかならない?」
「無理だよ」
青井くんは泣きそうな声で言う。黒田くんが私の電話をひったくった。
「おい青井、なんでもいいからさっさと来い。っていうかなんで俺の電話には出ないんだよ」
先輩がぼそっとつぶやいた。
「そりゃあ、おっかないからやろ」
「私もそう思う~」
とユイちゃん。黒田くんに睨まれて二人は黙った。
「けん玉部の発表でした」
司会者の声がしたあとパチパチとまばらな拍手が響いて、私はハッとそちらを見た。けん玉同好会の部員たちがげっそりした表情で舞台袖にはけて行く。ぱらりとめくりが動いて、「影絵同好会」という字があらわれた。
「あと二組……」
手のひらにじわっと汗が滲んだ。
「俺、青井を探してくる」
黒田くんが舞台を降りて走っていく。先輩は「えらいこっちゃ」と髪をかきむしり、ユイちゃんはどうしようーと言いながらウロウロあるきまわっている。私はぎゅっと唇を噛み締めて、傍らに立つミナトを見上げた。
「ミナト、黒田くんに渡された楽譜見たよね?」
「ああ、ざっとだけど」
ミナトはそう言って、はっと私を見た。
「いざというときには、ミナトに出てもらう」
「はあ? 何言ってんねん」
「そうだよ~。いくらミナトくんでもいきなり歌うなんて無理だよ~」
先輩とユイちゃんが焦った声で言う。ミナトは困惑した様子で頭を振った。
「そうだ。無理だよ。俺はもう、ボイパもできないし……」
「できる! ミナトは「金髪のキミ」なんだから!」
私は髪を結んでいた金ラメ入りの輪ゴムをとって、ミナトの腕に通した。
「ミナトもアカペラーズの一員だよ!」
「千秋……」
影絵研究会の発表が終わって、「マジック同好会」の番になる。いよいよ次がアカペラ同好会の出番だ。マジックをする際の定番曲、「オリーブの首飾り」が流れて、会場が盛り上がっていたその時、黒田くんが青井くんを連れて戻ってきた。先輩が心底ほっとした表情で言う。
「遅いわ青井! ハラハラさせんといて」
「ご、ごめん」
「大丈夫? 青井くん」
尋ねると、青井くんは弱々しく頷いた。
「よしっ、みんなで円陣になろう!」
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