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◯
文化祭が終わった翌日。階下に降りていくと両親の姿はなく、テーブルの上にメモが乗っていた。嫌な予感がして手にすると、こんなことが書かれていた。
「とっても有望なシンガーを発見したのでフィリピンに行ってきます★」
「また……?」
っていうかなんでフィリピン? もう「K」のことはいいんだろうか。まあ、忘れていてくれたほうが平和でいいかもしれないけど。朝食を食べ終えて外に出ると、ちょうどミナトが外に出てくるところだった。
「あ、おはよう」
ミナトは挨拶を返して、車庫に視線を向けた。
「車ないけど、おばさんたちまたどっか行ったのか?」
「今度はフィリピンだって」
「フィリピン……?」
首をかしげるミナトに、「とりあえず世界中行きたいだけなんじゃないかな」と答える。ミナトは同情的な視線をこっちに向けた。
「おまえも苦労するよな」
「もう慣れたし」
「ま、これからは料理とか自分でしろよな。俺もおまえのお守りばっかしてらんないから」
「わかってるよ」
ミナトは笑って「じゃあな」と歩いていった。女の子が駆け寄ってきて、真っ赤な顔でミナトに声をかける。
「お、おはよう、六条くん!」
「あ、おはよ」
二人は並んで歩いていく。ミナトがその気になったら、すぐ彼女できちゃうんだろうなあ。一方私は……黒田くんに好きって言った返事はまだない。これってやっぱり振られたってことなのかな。それともスルーされてる?
「はあ……」
ため息を付きつつ、昇降口を抜けて校舎を歩いていく。すると、掲示板の前に生徒たちが集まっているのが見えた。どうかしたのかと思って近づいていく。どうやら張り紙がされているようだ。何が書いてあるんだろ?
よく見えないので背伸びしていると、ぽんっと肩を叩かれた。振り向くと、笑顔のユイちゃんが立っている。
「やっほー千秋」
「おはよ、ユイちゃん。ねえ、この人混み何?」
「文化祭の結果が書かれてるんだよ~ステージ発表の優勝は合唱部だってー」
やっぱりそうか。すごく上手だったもんね。でもやっぱり悔しいなあ。掲示板の前に集まっている生徒たちが口を開く。
「クラス発表は2年2組か~すごかったもんな、巨大もぐらたたき」
「ステージ発表、合唱部よりアカペラ部のほうがよくなかった?」
「ああ、あれ組織票だから。合唱部は人数多いだろ。顧問がまとめて入れさせてんの」
「でもさー」
「っていうか、アカペラ部廃部にならなかったんだ。よかったじゃん」
その言葉に、私は「えっ!?」と声をあげる。
私は人混みをかきわけて、掲示物のほうへ寄っていった。掲示板には文化祭の結果発表とともに、「廃部について」という用紙がはられている。そこには「廃部撤回の条件を満たしたため、以下の部活については存続を認める」と書かれていた。私はそこに書かれた文章を目で追う。
「えーと、落語研究会、かるた部、アカペラ部……」
アカペラ部、存続! これ、結果を残せたってことだよね。よかったあ。会長にお礼を言いに行こうと踵を返すと、女の子たちが目の前に立ちふさがる。
「あ、ミナトのファンの人たち」
「あなたね、ミナトくんに歌わせたのは」
「うん……一応ミナトも部員だし……」
おずおずと言うと、彼女がガシッと手を握りしめてきた。
「よくやったわっ!」
「へ?」
「歌うミナトくんはセクシーでキュートでまさに国宝級美少年だったわ! あなたのおかげで令和最高のミナトくんを見ることができた。感謝します」
「は、はあ」
「さあみんな! 今日も朝から美しいミナトくんを拝みに行きましょう」
「イエッサー!」
彼女たちは連れ立って去っていく。ぽかんとする私に、ユイちゃんが声をかけてきた。
「なんか面白い人達だよね~」
「うん」
とりあえずあの人達は、ミナトのことが大好きなんだな……。末永くミナトを応援してください。私は手を合わせて彼女たちを拝んだ。
職員室の前を通りかかったら、「待ってください、校長」という声が聞こえてきた。
あれ? この声って織田先生だよね。そっと室内を覗き込むと、校長先生の後ろ姿が見えた。
「私は結果を残してきました。それを体罰だなどと批判されては困ります」
「いや、生徒の保護者から苦情が来ているんですよ。部員を「クビにするぞ」と脅しているらしいですね」
「いや、それはいわゆる愛のムチというやつで」
「困りますよ織田先生。昨今世間の目が厳しいんですから。今後は指導体制を見直してください」
校長はそう言って、ぽんぽんと肩を叩く。織田先生はぎりっと歯噛みして、こちらを睨みつけた。私は慌てて扉を閉め、その場を後にした。
2年A組に向かうと、会長の姿はなかった。出し物の片付けをしているクラスメートを捕まえて、どこにいったのかと尋ねてみる。
「黒田なら図書室だよ。教室にいると廃部になった連中がうるさいから」
そっか、廃部になっちゃった部活もあるんだ……。しみじみしながら図書室に向かうと、本棚の間に会長の姿が見えた。近づいていって横に立つと、こちらを見ずに尋ねてくる。
「なにか用か」
「あの、廃部を撤回してくださってありがとうございます」
頭を下げる私を見て、会長は目を細める。
「君たちは5人部員を集め、ステージ発表2位という結果を残した。私は当然のことをしただけだ」
「でも、会長は明らかにアカペラ同好会を嫌ってましたもん。絶対廃部にされると思ってました」
彼は鼻を鳴らし、懐から出した退部届を差し出した。
「まだ受理していなくて命拾いしたな。二度目はないとレイに言っておけ」
「はい」
会長が本棚から取ろうとした本を見て、私は「あっ」と声をあげる。会長は手を止めて「なんだ」と尋ねてきた。
「黒田くんもその本読んでました」
「なんだって?」
会長は眉を寄せて手を引く。私はニコニコ笑いながら言う。
「やっぱり兄弟ですね!」
「うるさい」
会長は顔をそむけ、メガネを押しあげた。その目尻はかすかに赤くなっているような気がした。その時、がらりと戸が開き、生徒たちが入ってくる。
「会長! どうして我がけんだま部が廃部なんですか!」
「そうです、べーゴマ同好会は残してなぜ我々が廃部に!?」
会長は「静かにしろ」と言って本棚の間を歩く。
「ベーゴマ同好会を存続させたのは、きちんとした活動成果を残したからだ。肩車しながらの技の披露は見事だった」
「そんなあ! 我々もきちんと成果を発表しました」
「どこがだ。ひどいものだったぞ」
「横暴だ! 撤回を要求する!」
会長はため息をついて、しっし、と私を追い払った。私は身をかがめ、そそくさとその場を後にする。
「母がまた来いと言っていた。……レイを連れて」
会長がぼそっとつぶやいた言葉を、私は聞き逃さなかった。いい気分で廊下を歩いていくと、どこの教室も出し物の片付けをしていた。なんとなく寂しい気がするのは、楽しかったからだろう。すれ違った生徒の会話が聞こえる。
「文化祭、楽しかったよね」
「アカペラ部の発表見た? ね」
「特にメインのボーカルやってた子。誰なんだろう。すごく上手だったね」
そうだよね! 黒田くん最高だったよね。
にやにや笑う私を、彼女たちは怪訝な眼差しで見る。私は足を早めて、廊下の角を曲がろうとした。すると、逆方向からやってきた誰かにぶつかった。
「うおっ」
「おい、廊下を走るな」
顔をあげると、黒田くんがこっちを見下ろしていた。
「あっ、黒田くん。おはよ!」
「おはよ、じゃないだろ。なにしてんだおまえ。委員長が探してたぞ」
彼はゴミ袋を2つ提げている。私はそれを一つをもらって、一緒に焼却炉へ向かった。ゴミを出し終えた私は、退部届を黒田くんに返した。
「はいっ、これ退部届。会長が返しとけって」
「ああ……」
それを受け取ろうとした黒田くんの手が、私の手に触れた。そのままぎゅっと手を握りしめられて、私はびくっと震えた。じわっと赤くなった顔を隠すようにうつむく。
「そ、それと、会長が廃部を取り消してくれたんだよ」
「ふーん」
「ふーんって、もっとなんかないの? やったーとかうれしい! とか」
「別に」
黒田くんは私の顔を覗き込んで、「もっと俺が喜ぶこと言って」と囁いた。私は動揺して目を泳がせる。
「それに、黒田くんと一緒に家に来いって……」
「そういうことじゃない。俺のこと、好きなんだろ?」
青灰色の目に見つめられるとドキドキして変になりそう。
「ずるいよ」
「ん?」
「私、もう好きって言ったもん」
なんか拗ねてるみたい。また子供って言われるかな。でも、知りたい。黒田くんが私のこと、どう思ってるのか。黒田くんは、青灰色の瞳でじっと私を見た。
「俺は千秋が好きだよ」
からかいも皮肉もない。これが黒田くんのほんとの気持ち。
「……私も、好き。意地悪だけど、歌がうまくて、やさしくて、かっこいいところ」
「じゃあ、俺の彼女になる?」
「な、なる」
黒田くんは笑顔を浮かべて、私をギュッと抱きしめた。私も彼にしがみついた。胸がこれ以上ないくらいどくどくと音を立てている。身体を離した黒田くんが、顔を寄せてきた。その肩越しにあるものが見えて、私は叫ぶ。
「あーっ!」
黒田くんはびくっと動きを止める。私は目を輝かせ、黒田くんの肩越しに見えたものを指指す。
「ねえっ、あれ新しい部活棟だよね! すごい! ピカピカ! かっこいい!」
「いや、どうみてもプレハブだししょぼいだろ」
私に比べて、黒田くんのテンションはだいぶ低い。
「ちょっと見に行こうよ」
私は黒田くんの手を引いた。黒田くんはため息をついて、「空気の読めないやつだな」とつぶやく。私はぐいぐい黒田くんの手を引いた。振り向いて、笑顔を向ける。
「あそこで練習するの、楽しみだね!」
黒田くんが瞳を緩める。
「ああ、そうだな」
私と黒田くんは手をつないで、新しい部活棟に向かって歩き出した。
おしまい。
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