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「おっはよー!」
翌日登校したら、クラス委員の松野さんが声をかけてきた。おかっぱ頭ですっごく賢そう。
「ねえ紅木さん、黒田くんにこれ渡してくれない? 隣の席でしょう」
渡されたのはクラス親睦会のお知らせだ。
「え? いいけど、そこにいるよ?」
黒田くんはヘッドホンをして、自分の席で本を読んでいる。いつもの朝の光景だ。委員長は声を潜めて言う。
「こう言っちゃ悪いけど、あの人話しかけづらいのよ」
そうかなあ。そんなに悪い人には見えないけど。私はお知らせを手に黒田くんに近づいて行った。
「黒田くん、おはよう!」
黒田くんはちらっと私を見て「ああ」と返した。席について、「何読んでるの?」と尋ねてみる。黒田くんは一瞬めんどくさそうな顔をしたあと、表紙をこちらに向ける。知らない作家だなあ。っていうか、私が知ってる作家って教科書に乗ってるひとくらいだし。なんてリアクションしようか考えているうちに、黒田くんは本を引っ込めていた。
私は彼に「親睦会のお知らせ」を渡す。
「これ読んでね」
彼は何も言わずにそれを受け取って、読もうともせずに机の中に突っ込む。黒田くんのヘッドホンからは、シャカシャカという音が漏れ聞こえる。今日はサイモン&ガーファンクルの「the sound of silence」かあ。有名な映画のエンディングにもなった曲だ。私が鼻歌を歌っていたら、黒田くんが口を開いた。
「なんでわかるんだ?」
「え?」
「このヘッドホン、ボーカルは漏れないようにしてあるんだ。聞こえてるのはベースだけだぞ」
私は胸を張って自慢げに答えた。
「ベースがわかれば曲はわかるよ。いつもアカペラ部でパート分けしてるんだもん」
「……なるほどな」
黒田くんは納得したようにうなずいている。その時、私の脳内でぴん、とひらめく音がした。私は指を伸ばして、黒田くんの前髪に触れた。びくっと肩を揺らして、黒田くんがこっちを見る。髪の毛に隠れてる彼の瞳。髪を持ち上げてみると、狼みたいな青灰色の目と、整った顔があらわれた。
黒田くんはなんだよ、と言って私の手を押しのける。やっぱりそうだ。この顔、どっかで見たんだ……。
私は頭に浮かんだ言葉を発した。
「K?」
その瞬間、黒田くんの顔色が変わった。普通の色から真っ白へ。そして彼は、私の腕を掴んで立ち上がった。
「え?」
「ちょっと来い」
「え、授業始まるよ? 黒田くん!」
クラスメートたちがあっけにとられてこちらを見ている。黒田くんはその視線には構わず教室を出て、ずかずかと階段を駆け上がり、踊り場で私の腕を離した。ばんっと音を立てて、私の顔の横に手をつく。これ、ミナトが出てたドラマで見たことある。男の子が女の子にやる、「壁ドン」ってやつだ。現実にやるヒトがいるなんて。
目の前には、黒田くんの顔がドアップで迫っていた。やっぱりキレイな顔してるなあ。狼みたいな青灰色の目と、すっと通った鼻筋。形の良い唇が動いて、押し殺した声が漏れる。
「なんで知ってるんだ」
「へ?」
「俺がKだって」
「え、勘?」
そう言ったら、黒田くんが絶句した。彼はショックを受けた表情で額に手を当て、前髪をくしゃりと乱す。
「勘……? 今まで誰にもバレたことないのに。こんなチビに……」
私はむっとして黒田くんを睨んだ。いま、チビって言ったな?
「かくしてたの? なんで?」
「お前には関係ないだろ」
黒田くんは不機嫌な声で言って、階段を降り始めた。私は急いで彼を追いかけていき、その手を掴んだ。あ、黒田くんの手って冷たい。心があったかいひとは手が冷たいとか聞いたことがあるような。
「離せよ」
手を振り払われたのでシャツを掴む。
「伸びるからやめろ」
「ねえ、アカペラ部入らない?」
「その話は断っただろ?」
「だって歌うの好きなんだよね」
「嫌いだよ」
黒田くんは私の手を押しのけて、青灰色の目でこっちを睨んだ。
「いいか、こんど俺のこと「K」って呼んだら身長縮めるからな」
そのまま振り返らずに、ずかずかと去っていく。
「身長縮めるって……どうやって?」
ぽかんとしていたらチャイムが鳴ったので、慌てて階段を駆け下りた。
「えー、二次関数のグラフはこうしてUの字を描くのが特徴で……」
おじいちゃん先生が、ぷるぷる震えながら板書している。波打つUの字を眺めながら、私は考え事をしていた。
なんで正体を隠してるんだろ?
ちらっと隣に視線を向ける。黒田くんは授業を聞いているのかいないのか、伏目がちにシャーペンを回している。くるっ、くるっ、くるっ。黒田くんが回すシャーペンの先は、先生が書く二次関数のグラフよりもきれいな弧を描いている。
私はぼんやりとその動きに見とれた。黒田くんって、指が長いなあ……。いつもうつむいているのは引っ込み思案だからじゃなくて、正体を隠してるからだったんだな。よく見たらまつげも長くてイケメンなのに。あの動画を見せたらみんなすごいってなると思うのに。少なくとも、親睦会なんかには引っ張りだこなんじゃないのかな。ミナトもそうだけど、芸能人って意外とシャイな人が多いのかな。
色々考えていたら、黒田くんがぬっと腕を伸ばし、私の頭を掴んだ。視線を下に向けたまま、力を込めてぐいぐいと圧迫する。これは、本当に身長縮むかも……!
「いだだだだだ」
先生がゆっくり振り向くと、黒田くんはぱっと手を離した。先生は涙目になっている私を指名する。
「紅木しゃん、問2答えてみんしゃい」
「へっ!? あ、えーと、ワカリマセン」
クスクス笑いが教室に響く。先生は、震える指先で私を指差した。
「大事なとこなんだから、遊んどらんでちゃんと聞きなしゃい~」
「は、ハイ、すいません」
真っ赤になった私を、黒田くんが馬鹿にしたような顔で見ていた。授業が終わってすぐ、私は黒田くんに抗議した。
「ひどいよ! Kって呼んでないじゃん」
「でも見てただろうが」
「見てただけで呼んでないもん」
「おまえうるさいよ。注目されてるだろうが」
はっとして周りを見ると、私と黒田くんの言い合いをクラスメイトたちがぽかんとした顔で見ていた。
「えっ、黒田が騒いでる? めずらしー」
「いや、紅木だろ、騒いでんの。ちっさいくせに声はでかいんだよなあ」
よっぽど注目されるのが嫌なようで、黒田くんは青灰色の目で私を睨みつけている。こわい。
「な、なんでもないよ。あはは……」
私が愛想笑いをしていたその時、教室にソプラノが響いた。
「大変だよ千秋~!」
血相を替えたユイちゃんが教室に駆け込んでくる。ユイちゃんはぜいはあ言いながら膝に手を当てた。めったに無い慌てぶりに、私は驚く。
「どうしたのユイちゃん」
「いいから来て!」
ユイちゃんは私の手を引いて駆け出した。今日は変な日だな。ひとに引っ張られてばっかりなんだけど。ユイちゃんが私を引っ張っていったのは、掲示板の前だった。何かお知らせでも出たのだろうか、掲示板には生徒たちが群がっている。ユイちゃんはヒトの間をくぐり抜け、掲示板にはられた紙を指差す。
「アレ!」
「生徒会からのお知らせ……?」
私は書かれている文章を読み上げた。
「部活棟取り壊しのお知らせ。部活棟の老朽化により、取り壊しを行う。それにともなって、部活動及び同好会の整理を行うこととする。原則として部員が5人以下、あるいは活動実績のない部活・同好会は活動を認めない。よって以下の部活は生徒会の調査により廃部となる」
私は嫌な予感を覚えながら、更に文章を目で追った。
「けんだま部、ベーゴマ同好会、うどん部、鉄道研究会、「アカペラ部」……!」
「どうしよう千秋~、アカペラ部廃部になっちゃうよ~私、入ったばっかりなのにい」
ユイちゃんは泣きそうになりながら私を揺さぶる。私はぎゅっと唇を噛んで踵を返す。
階段を駆け上がって、二年生のクラスへ向かう。会長のクラスは……確かA組! 私は二年A組の教室に飛び込んで「会長っ!」と叫んだ。すると、一斉に視線が集まってくる。
他の先輩たちの視線を浴びながらずかずかと歩いていき、会長の机にバンと手をついた。本をめくっていた会長は、顔をあげずに口を開く。
「廊下を走るなと言ってるだろうが。学習能力がないのか?」
私は会長の読んでいる本を奪い取った。会長が怪訝な顔でこっちを見る。
「どういうことですかっ、廃部なんてひどいです!」
「いきなり来てわめくな」
周りの視線が気になったのか、会長は私の襟首を掴んで廊下に連れて行った。私を解放して小声で言う。
「厳密にはまだ廃部と決まったわけじゃない。おまえの部は現部員が3人だろう」
「はい、ユイちゃんが入ってくれたので」
「文化祭までにあと二人集めればいいだけだ。簡単だろう」
簡単って、文化祭まであとひと月半しかないのに! それに、この時期に新しく部活に入る人は少ない。私はぐぐぐ、と唇を噛んで、ぽつりとつぶやいた。
「……会長はアカペラが嫌いなんですよね」
「ああ、もちろん」
会長はメガネを押し上げる。
「ただ言っておくが、今回のことは俺の個人的な感情ではなく学校側の判断だ。あまりに部活が多いと、名前だけで活動しないメンバーが増えてしまう」
「うちはちゃんと活動してます!」
「それを具体的に証明できるのか?」
再びぐっと詰まった私を見て、会長は鼻を鳴らした。
「わかったらさっさと教室に帰れ」
そんな。せっかく歌う場所ができて、みんなで楽しくやってきたのに。
「……やだ」
「は?」
「廃部なんてやだ! 絶対部員を集めます!」
会長は目を瞬いていたが、すっと瞳を細めて指を組んだ。
「そうだな。それも権利だ。できるならやってみろ」
「やります! それで、文化祭のステージ発表で優勝します!」
「優勝? 笑わせるな。絶対無理だ」
「無理じゃないもん。優勝したらアカペラをバカにしたこと謝ってください」
会長はメガネを押し上げ、鼻で笑った。
「ああ、いいとも。付け焼き刃のメンバーで出場して、ステージで恥をかくがいい」
授業が始まるからさっさと帰れ。会長はそう言って私を追い払った。
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