一縷の望みと蛍の光

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「あ、あれ?」 しまった、見失っちゃった。キョロキョロしていたら、むんずと襟首を掴まれた。顔をあげると、不機嫌そうな黒田くんがこちらを見下ろしている。 「なんでいるんだよ、おまえ」 「え? えっと……偶然通りかかって?」 「あるかよ、そんな偶然。おまえ徒歩通学だろ」 呆れる黒田くん。 「こんなの完全にストーカーだぞ。警察に通報されたくなかったらさっさと帰れ」 物騒な冗談だなあ。のんきに考えていたら、黒田くんがスマホを取り出したので慌てた。 「ちょっ、同級生でしょ!?」 「同級生だろうがストーカーはストーカーだから。アメリカじゃストーカーは死刑なんだぜ」 「えっ、うそ」 「嘘だよバーカ」 黒田くんは馬鹿にしたように笑って、非常階段を登っていく。やな感じ! 私はぐぬぬ、と歯噛みして、黒田くんのあとについて非常階段を登った。非常階段がくっついているのは箱みたいな建物だ。こういうの、テレビで見たことある。 「ねえ、黒田くんの家ここ? なんかライブハウスみたい」 「みたいじゃなく、ライブハウスだよ」 私はパッと顔を明るくした。 「ライブハウスに来るの初めて! 中見たい!」 「断る」 黒田くんは素早くドアを開けて、中にはいって閉めようとする。私は必死にドアをこじ開けようとした。攻防していると、黒田くんの後ろからひょこりと誰かが顔を出した。 「何騒いでんの?」 黒田くんの背後から顔を出したのは、キャップを被った30代くらいの男性だった。彼は帽子の影からチラッとこちらを見る。 「その子誰? 知り合い?」 「違う、他人」 黒田くんはそう言って、そのひとの脇をすり抜け中に入った。キャップを被った男性は、私に顎をしゃくる。 「ジュースあるから来なよ」 私は「おじゃまします」と言って、男性のあとについて中に入った。建物は2階建てになっていて、2階が住居、一階がスタジオになっているようだった。一階に降りた私は、スタジオの片隅で冷えたジュースを出される。ジュースを飲む私に、男性が話しかけてくる。 「きみ、いくつ? 小学生?」 「高校生です! 黒田くんの同級生です」 ムキになって答えると、男性が「ああ」と相槌を打った。 「やっぱ知り合いなんじゃん。ごめんね、レイって愛想悪いから」 「いえ、慣れましたし」 そう言うと、男性が「はは」と笑った。なんとなく黒田くんに面差しが似ている。 「あの、黒田くんのお兄さんですか?」 「いや、叔父。黒田ジロー。まあ、あいつの親代わりっていうかね」 「親代わり?」 もしかして、黒田くんのご両親って……私が言いよどんでいると、彼が頭を振った。 「いや、レイの親はちゃんと生きてる。色々事情があるんだよ」 「事情……それって、黒田くんが「K」ってことと関係あります?」 ジローさんは驚いたように目を瞬いた。 「君、それレイから聞いたの?」 「え? あ、一応」 「驚いたな……あいつが誰かにバラすなんて」 「知られたくはなかったみたいですけど」 「そうだろうね。あいつはアメリカでのことをリセットするために、日本に戻ってきたから」 どうして? 誰もが羨む成功をしたのに、突然やめて、日本に帰ってきて、普通の学生として暮らしている。 いったい、黒田くんに何があったのだろう。 私はジュースを飲みながら、ステージに現れた黒田くんに目をやる。黒い上下の服に着替えた彼は、黙々と掃除をしたり音響機器の点検をしたりしていた。その様子を眺めながら、ジローさんは言う。 「あいつ、ここでバイトしてるんだよ。それで生活費を払ってる」 「バイト?」 「掃除したり、給仕したり、歌ったり」 歌うんだ、黒田くん。このステージで……。きっと素敵だろうな。私は歌っている黒田くんを想像してうっとりした。ステージの整備を終えた黒田くんは、スタンドからマイクをとった。 「おい、そこのチビ。まだいるのかよ。さっさと帰れ」 「ヤダ。黒田くんの歌を聴くまで帰らない」 私は椅子の上で膝を抱えた。ジローさんがあはは、と笑う。黒田くんは舌打ちし、マイクをスタンドに戻してステージの奥に引っ込んだ。 「ステージは19時だから。宿題でもして待ってなよ」 ジローさんはそう言って、私の頭を撫でた。黒田くんと違って優しいなあ。でも、なんか子供扱いされてる気がする。ジローさんはステージの奥に向かい、黒田くんと何かを話している。並んでいると、二人は親子みたいにそっくりだった。黒田くんが成長したらあんな感じなのかなあ。なぜだかわからないけど、おとなになった黒田くんと一緒にいる図がほわほわと浮かんできた。 えっ、何この妄想? 私は慌てて妄想を追い払い、宿題をするためにかばんの中からノート類を取り出した。数学の問題で悩んでいると、黒田くんがやってきて呆れた声を出した。 「ほんとに居座る気なのかよ」 「ジローさんはいいって言ってくれたもん」 「っていうか、ノート真っ白だな」 私は慌ててノートを隠そうとするが、黒田くんが素早くそれを阻んだ。 「これは4を代入するんだよ。一学期でやった内容だろ。大丈夫かおまえ」 「うるさいなあ、私に構ってないで働きなよ」 「もう準備は終わったんだよ」 黒田くんは私のそばに座って、ノートを覗き込んでくる。その際肘が触れ合って、私は身動ぎした。男の子とこんなにくっついたのは初めてだ(ミナトは別) 黒田くんは距離が近いことなんて全然気にせずにシャーペンを動かしている。私だけどぎまぎしているのが悔しかったので、なんとかごまかそうと話題を振る。 「髪……うっとおしくない?」 「別に。ジロジロ見られる方がうっとおしい」 「ジロジロ?」 「俺の目、灰色っぽいだろ」 黒田くんってハーフなのかな。 「でも、もっと明るくしたほうが良いよ。クラスのみんな、黒田くんのこと暗くて怖いって思ってるよ」 「知ってるよ。っていうか、普通本人に言うかそんなこと」 「だって、学校の黒田くんはほんとの黒田くんじゃないし」 そう言ったら、青灰色の目がこっちを向いた。この目、なんだか見ているとドキドキしてくる。その瞳がかすかに歪む。 「本当の俺なんて知らないくせに」 「「K」だったころが本来の黒田くんでしょ?」 黒田くんは計算式を完成させて、シャーペンを放った。 「ほら、解けた。もう帰れ」 私は唇を尖らせて、次の問題に取り掛かった。 18時になると、ジローさんが鍵を開けて「open」って札をドアに掛けた。ドアをくぐってぞくぞくとお客さんがやってくる。大学生とか社会人とか、とにかく大人ばっかりだ。制服を着ている私はどう見たって場違いで、周囲から好奇の視線が飛んできた。給仕をしていた黒田くんがこっちにやってきて、私の首根っこを掴んだ。 「おい、邪魔だ。二階に行ってろ」 「わ、わ」 運ばれていく私を見て、お客さんがくすくす笑う。みんなおしゃれでかっこいいけど、なんかちょっとやな感じ。黒田くんは二階に置かれているソファに私を放って、再び階下に向かった。私は二階からこっそりライブの様子を見ることにした。 19時になると、バンドと一緒に黒田くんがステージに上がった。客席から拍手と指笛の音が飛んでくる。 黒田くんが歌い出したその瞬間、ぱっと場の雰囲気が明るくなった気がした。こういうヒトっているんだ。地味に装っていても、歌い出すとその場の空気を一変させる。ステージの上の黒田くんは、学校にいる黒田くんとはまるで別人だ。そこにいるのは、確かに「black」の「k」だった。すごい、かっこいい……!  ステージが終わると、お客さんが拍手喝采した。私も夢中で拍手する。ポケットのスマホが鳴り響いているけど、余韻に浸ってそれどころではない。黒田くんはステージが終わるとさっさと奥に引っ込んだ。叩きすぎてじんじんと痛む手をふうふうと吹いていると、ジローさんが声をかけてくる。 「どうだった?」 「最高でした!」 私はそう言ったあと、首をかしげる。 「でも……」 「でも?」 「なんだか、黒田くんはまだ本当の自分を隠してるみたい。黒田くんなら、もっと歌えると思いました」 ジローさんはふうん、と相槌を打って、私の顔を覗き込んできた。黒田くんとそっくりな顔が迫ってくる。 「きみ、なかなか鋭いね。きみならあいつを変えられるかもしれない」 「へ?」 きょとんとしていると、ジローさんの身体がぐいっと後ろに傾いた。背後に立った黒田くんが、不機嫌な顔でジローさんを見下ろしている。 「独身だからってガキに手出すなよ」 ジローさんはからかうような声で言う。 「お、ヤキモチか?」 黒田くんはそれには答えず、私に向かって顎をしゃくる。 「もう8時だぞ。送ってやるからさっさと来い」 「あ、う、うん」 慌てて荷物をまとめ、黒田くんの後について歩きだすと、ジローさんが口を開いた。 「また来なよ。君が来ると、レイが面白い反応するから」 「余計なこと言うなよ」 黒田くんに睨まれて、ジローさんが肩をすくめた。私は黒田くんと一緒に店を出て、近くのバス停まで向かった。バス停にたどり着いたので、ぺこりと頭を下げる。 「送ってくれてありがとう。また来てもいい?」 「もう来るな。学校でも話しかけるな」 意地悪だなあ。私は唇を尖らせる。 「さっきはあんなにかっこよかったのに……」 黒田くんは身をかがめ、私の顔を覗き込んだ。青灰色の目が闇夜に光って、本当に狼みたいに見える。私は思わず後ずさった。 「え、な、なに」 「お前もかわいいよ」 「えっ!?」 動揺する私を見て、黒田くんが笑い出す。 「真に受けるなよ、ばーか」 「……!」 私はばしばしと黒田くんの背中を叩いた。バスがやってきたので乗り込むと、黒田くんはまだ笑っていた。 「いじわる。そんなんだと友達できないよ?」 そうつぶやいたら、黒田くんがふっと真顔になった。 「――俺には友達なんて必要ない」 「え……」 プシュー、と音を立ててバスの戸が閉まった。バスの振動を感じながら、私は席へと向かう。黒田くんのことがよくわからない。からかったかと思えば、真面目な顔で私を遠ざけようとする。私は窓から見える夜空に視線を向けた。空にはつま先みたいな薄い三日月が浮かんでいる。黒田くんはあの月みたい。近いようで手が届かない。 最寄りのバス停で降りて自宅へと歩いていくと、家の前に人影が見えた。えっ、ドロボー? びくびくしながら近づくにつれ、その姿が明らかになる。 「なんだ、ミナトか」 私はほっと息を吐いた。エプロンをつけたミナトは、不機嫌な顔をしている。 「なんだじゃないだろ。どこ行ってたんだよ。遅いからなんかあったのかと思って心配しただろ」 「ごめんごめん」 謝る私のお腹がぐー、と鳴った。あ、そういえばお昼を食べてからジュース飲んだだけだった。ミナトの呆れた視線を感じる。 「えーと、ご飯まだ余ってる?」 ちらっと目線を送ると、ミナトがため息をついた。 「さっさと入れ」 玄関に入ると、ハイヒールがあった。おばさんのものじゃない。 「誰か来てるの?」 「ああ、飯野さんだよ」 ミナトに続いてリビングに入ると、女性がひとりテーブルの前に座っていた。手帳に視線を落としていた彼女はこちらに視線を向けて、柔らかく微笑む。 「あら、千秋ちゃん。ひさしぶりね。今帰り?」 「はい! 飯野さんは? 打ち合わせですか」 「ええ。でもミナトくん、あなたのこと心配してばっかりで、話聞いてくれないのよ。しまいには出ていっちゃうし」 「へ?」 私はきょとんとしてミナトを見る。ミナトは慌てた様子でしーっと指を立てた。 「飯野さん!」 「はいはい、余計なこと言ったわね。邪魔者はさっさと退散するわ」 飯野さんは手帳を閉じて立ち上がった。 「じゃあね、千秋ちゃん」 「はい! さようなら」 ミナトは飯野さんを追いかけていって、ひそひそと囁いている。 「ちょっと飯野さん、千秋に余計な事言わないでください」 「あらごめんなさい。秘密にしてるのよね、一応」 「飯野さんっ!!」 「わかったわかった」 その会話を聞きながら、私は不思議に思う。ミナトってば、なに怒ってるんだろう。戻ってきたミナトは、私を見てじわっと顔を赤くした。 「た、炊き込みご飯だけどいいか」 「うん、大好き」 私はご飯をよそうミナトに声をかける。 「飯野さん、相変わらず美人でかっこいいね」 「ああ、そりゃ元アイドルだしな」 飯野さんは10年前にアイドルとして活躍していたが、活動に見切りをつけてマネージャーに転身した。 「大変なんだね、芸能人として活躍し続けるって」 「そりゃあそうだろ。俺だって、ずっとこの道で食ってく自信ないし」 「そういえばミナトって、なんで芸能人になったの?」 「おまえが……ハデなやつが好きなのかと思ったんだよ」 ミナトは何やらボソボソとつぶやく。 「えっ、なに?」 「なんでもないって。早く手を洗ってこいよ」 私は手を洗って食卓についた。食事する私を眺めながら、ミナトが尋ねる。 「で、どこ行ってたんだ」 「黒田くんのとこ」 ミナトは怪訝な顔で「黒田って、昼間のやつか」と言う。 「そう。文化祭までに部員を5人集めてなくちゃなんないの。でなきゃ廃部だって」 ミナトはじっと私を見る。 「それだけか」 「それだけって?」 「あいつにこだわる理由だよ。おまえがあんな熱心になるって、フツーじゃないだろ」 「うん。私、黒田くんが欲しいんだ」 真剣な顔で答えると、ミナトがぎょっとした。 「な、誤解を招く言い方すんなよ!」 「何赤くなってんの?」 私がきょとんとすると、ミナトがしどろもどろになる。 「いや、だから、無理強いは迷惑だろ。そいつだって、色々都合があるんだろうし」 黒田くんが乗り気じゃないのは知ってる。なにか事情があるっていうのもわかる。でも私、絶対黒田くんがほしい! あの人がいれば、文化祭優勝も夢じゃないもん。黒田くんをゲットして、会長をぎゃふんと言わせたい!
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