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翌日の昼休み、私は屋上で曲を聞きながらアレンジしていた。曲名は「見上げてごらん夜空の星を」。文化祭で歌う候補曲だ。
「ふふん♬あっ、こここうした方がいいかも」
五線譜に書き込みながらメロディを口ずさんでいたら、なにかが頭に落ちてきた。
「いてっ」
視線を下げると紙くずが落ちていた。見上げたら、給水塔の上に誰かが寝転んでいる。誰だろ? ゴミのポイ捨てなんて、注意しなくちゃ。私は備え付けの階段を上がって、給水塔のてっぺんをひょいと覗き込んだ。そこにいたのは黒田くんだった。
「あっ、黒田くん。何してるの?」
「昼寝中。静かにしろよ」
私は貯水塔によじ登って、黒田くんの隣に寝転んだ。黒田くんは目を細めてこちらを見る。
「おい、なんでそこに来るんだ」
「黒田くんも屋上が好きなんだ。いいよね、学校で一番高い場所って」
「バカはなんとかって言うけど、ほんとなんだな」
「なんとかって?」
きょとんとする私を見て、黒田くんはため息をつき、くるっと背を向ける。
「どうでもいいからどっか行けチビ」
「チビじゃなくて千秋!」
「はいはい」
なんかムカつく。私は身を起こし、彼の顔に楽譜をかぶせた。
「うっ」
「歌ってくれたらどっか行くよ!」
黒田くんは舌打ちして、私の手から楽譜を奪いとった。リズムも取らず、私がアレンジしたとおりに歌い出す。すごい。うまい。感動のあまり拍手をすると、黒田くんは楽譜を押し返してきた。私は楽譜を握りしめて尋ねる。
「ね、ねえ、このアレンジどう思う?」
「背伸びしすぎ。こういうのが好きなのはわかるけど、自分が歌えるアレンジにしろよ」
「だって、このほうがかっこいいもん」
黒田くんは面倒そうな口調で「歌ってみろ」と言う。私がリードボーカルを歌い終えると、速攻でダメ出しをした。
「おまえ、高音が出てないんだよ。ファルセットでごまかしてるだろ。それからブレスが多い。歌詞の途中で息継ぎするとみっともないぞ。それから……」
すごい、こんなにたくさんのことがわかるなんて。黒田くんのダメ出しを聞き終えた私は、ふう、とため息を付いた。
「私、あんまり歌がうまくないんだよね」
「聞けばわかるよ」
「でも部を作ったのは私なんだ。だから責任持ってやってるの」
「にしたって、なんでアカペラなんだよ。うちの学校、合唱部とかあるだろ」
「ハモるのが楽しいから! だから黒田くんもアカペラやってたんでしょ?」
ニコニコ笑う私を見て、黒田くんが沈黙した。
「だからお願い! うちに入部して」
私はぱんっと手を合わせる。
「なにしれっと勧誘してんだ。歌ったらどっか行くって約束は?」
「そんな約束してないよ~だ」
口笛をふく私を見て、黒田くんが鼻を鳴らした。
「ガキ」
「同い年じゃん」
「精神年齢がガキなんだよ。恋愛経験ゼロって感じ」
「自分はあんの?」
「あるに決まってんだろ」
なんか嘘っぽい。だって黒田くんって本当の自分を隠してる感じがするもん。自分の気持ちを隠して、恋なんてできるのかな。それとも好きな子にはもっと違う感じなのかな?
そんなことを考えていたら黒田くんが顔を近づけてきたので、私はびくっと震えて身を引いた。
「な、なに?」
「いいから動くな」
黒田くんの顔が今までになく迫ってくる。後ずさるたびにじゃりじゃりした砂が手にくっついて、嫌な感じがした。背中についた給水塔は冷たいのに、なぜか頬がひどく暑かった。青灰色の瞳を縁取る長いまつげがまぶたに触れそうになって、私はギュッと目を閉じた。黒田くんの手が肩に触れて、胸の奥がふるえる。その手は、すぐに離れていった。おそるおそる目を開いてみると、目の前で糸くずが揺れている。私は思わず「へっ?」と声を漏らした。
「こういうの気になるんだよな」
つまんでいた糸くずをポイッと放る黒田くん。ぽかんとする私を見て口元を緩める。
「あ、キスされると思った?」
私は真っ赤になって叫んだ。
「思わないよ!」
「やらしー」
「やらしくないよ!」
「じゃあなんで目つむったんだよ」
「う、そ、それは」
しどろもどろになった私を見て、黒田くんは笑いながら貯水タンクににもたれた。私はぎゅっと眉を寄せて膝を抱えた。流れてきた雲の影が落ちて、私と黒田くんを覆った。隣からはまだクスクス笑いが聞こえてくる。いつまで笑ってるんだろ、嫌な感じ。私がむっとしていたら、黒田くんが口を開いた。
「俺もしたことないよ」
「え」
「だから、恋愛」
「……そ、うなの?」
なぜかそのとき、私はホッとした。
「ああ。恋愛の歌とかよくわかんないしな」
「実はわたしも!」
身を乗り出したら、黒田くんが身を引いた。
「おい、近いよ」
「あ、ごめん」
私は黒田くんから身体を離してはにかんだ。
「でも、憧れてる人はいるんだ」
「へえ、誰」
スマホを取り出して、黒田くんに金髪の男の子の動画を見せた。黒田くんは黙って動画を見ている。
「ね、すごいでしょ? こんなにちっちゃいのに」
「……憧れてんの? こいつに」
「うん、大好き。きっと今すっごい美少年になってるだろうなあ」
私は微笑んで、そっと画面を撫でた。黒田くんは黙り込んでいる。不思議に思って覗き込むと、彼は目をそらした。
「趣味ワル」
「悪くないよ!」
「悪いっつーの。あー嫌なもの見た」
黒田くんはそう言って、さっさと階段を降りていく。私は怒りのあまり真っ赤になって叫ぶ。
「悪くないもん! 世界一素敵なんだから!」
黒田くんは何にも言わずに、さっさと屋上を出て行ってしまった。私はがっかりしながらスマホを見下ろす。黒田くんならこの子のかっこよさ、わかってくれると思ってたのに。
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