一縷の望みと蛍の光

4/6
前へ
/28ページ
次へ
◯ その日の放課後、HRを聞き流し、いつものように部活に向かおうとしたら、委員長が声をかけてきた。 「紅木さん、どこいくの?」 「え? どこって部活だけど」 「行く前に、仕事して」 仕事ってなんのことだろ。 「先生の話を聞いてなかったの? 今日から文化祭の準備期間よ」 委員長はそう言って、茶色いペンキと刷毛を手渡してきた。あ、そっか。だから今日HRが短かったんだ。 「あなたにはおばけ屋敷の井戸を担当してもらう。一人じゃ大変だろうから……黒田くん!」 名前を呼ばれた黒田くんがやってくる。えっ、いま黒田くんと作業するのはやりにくいんだけど。委員長は黒田くんに新聞紙と軍手を押し付け、その場を去ろうとする。私は慌てて彼女を引き止めた。 「ま、待って。なんで私と黒田くん?」 「あなた、黒田くんと仲がいいでしょう。こないだ騒いでいたし」 「あ、あれは……たまたま?」 「とにかくよろしくね。詳しくは梅田くんに聞いて」 委員長はそう行ってさっさと歩いていった。黒田くんがちらりとこっちを見る。私はプイッとそっぽを向いた。 「なあ、まだ怒ってんの?」 「怒ってないよ、別に」 黒田くんは肩をすくめ、梅田くんに声をかける。 「なあ、井戸作れって言われたんだけど」 梅田くんは黒田くんに話しかけられたことに驚いているようだったが、さすが人気者。明るく返事をする。 「あ、ハイハイ井戸ね。まずは……」 説明を聞いた黒田くんは、こっちに戻ってくる。 「ダンボール切れってさ。焼却炉のそばに置いてあるらしいぞ」 意外にもやる気じゃん。そう思っていたら、「早く終わらせて帰りたいんだよ」と言った。せっかくみんなと打ち解けるチャンスなのに、黒田くんはそんな気ないみたい。 焼却炉にたどり着き、ダンボールを手に教室へ戻ろうとしたら、黒田くんがぴたりと足を止めた。 「どうしたの? ひゃっ」 いきなり肩を掴まれ抱き寄せられたので、私は身をすくませた。 バシャッ。 水音が響いて、足もとにからんからん、とバケツが転がった。私はおそるおそる顔をあげてぎょっとする。 「く、黒田くん!」 黒田くんの頭からは、水がポタポタ流れ落ちていた。黒田くんはぶるぶると頭を振って、視線を上に向けた。私もその目線を追ってはっとする。ベランダからこちらを見ているのは、ミナトのファンの子達だった。視線があうと、彼女たちは慌てて校舎の中に引っ込んだ。黒田くんは濡れた髪をかきあげて尋ねる。 「……おまえ、あいつらに何かしたの?」 「あの子たち、ミナトのファンなの」 「ファンって、おまえの幼馴染何してるわけ」 「芸能人だよ。ドラマとか出てる。「君恋」ってドラマ知らない?」 「知らねーよ、ドラマとか見ないし」 黒田くんはずぶ濡れの制服を見下ろして顔をしかめる。 「あーあ、サイアク。カバンとってきてくんないか。ジャージが入ってるから」 「わ、わかった」 私は教室に走っていき、黒田くんのかばんを掴んだ。そのまま教室を出ようとしたら、委員長が不思議そうに尋ねてくる。 「どうしたの、紅木さん。そんなに慌てて」 「あ、えっと、黒田くんがずぶ濡れになって」 「はあ?」 「でも大丈夫、すぐ戻るから!」 私はかばんを抱えて黒田くんのところに戻った。 黒田くんは空き教室に入って、タオルでわしわしと頭を拭いていた。彼はシャツのボタンに手をかけて、ちらっと私の方を見る。 「見るなよ、すけべ」 私は慌てて顔をそらし、黒田くんのほうを見ないようにしながら言う。 「あ、あの、ごめんね」 「おまえが謝ることじゃないだろ」 黒田くんが着替え終えたようなので振り向くと、彼は濡れたシャツをかばんに放り込んでいた。私がしゅんとしていると、ぼそっとつぶやく。 「こんなの慣れてる」 「え?」 「日本人だからな」 「え、日本人だとなに?」 「向こうの学校で、色々あったんだよ」 私はハッとした。 「ご、ごめん」 「なにが?」 「さっきの趣味悪いって、金髪の子にいじめられたとかなんだよね!?」 黒田くんは目を瞬いて噴き出した。 「え、何がおかしいの?」 「いや、斜め上の発想すぎ」 その時私は、クスクス笑う黒田くんの髪が、窓から差し込む夕日できらきら輝いていることに気づいた。 あれ? 黒田くんの髪って黒じゃない……? 黒田くんは笑うのをやめてこう言った。 「俺、母親がアメリカ人なんだ」 あ、やっぱりそうなんだ。 「日本の学校に馴染めなくてアメリカに行ったけど、アメリカでは日本人だからって除け者にされた。そんな時に、アカペラグループに入って、自分の居場所を見つけられた」 「そうなんだ」 「でもそれも、ダメになった」 黒田くんは濡れて濃い色になった自分の髪を摘んだ。 「髪の毛を黒にしても、元の色にしても、俺は何者にもなれないし、どこにも属すことができない」 「そ、そんなことないよ!」 私は黒田くんの手をぎゅっと握りしめた。黒田くんが顔を上げると、青灰色の目がこちらを向く。 「私には黒田くんが必要だよ!」 「……大げさだな」 黒田くんはふっと笑って、私の頰を撫でた。青灰色の瞳は、いつもより優しい光を宿している。意地悪な笑顔じゃなくて、こんな風にも笑えるんだ。ドキドキしていたら、むぎゅっと頰をつねられた。 「いたい!」 涙目で頰を撫でていたら、黒田くんが尋ねてきた。 「あいつら、名前知ってるか。さっき水ぶっかけてきたやつら」 「え……?」 そういえば、よく絡まれるけどあの子達の名前って知らないな。その時、私のスマホが鳴り響いたので画面を見る。 「あ、委員長からラインだ。早く戻ってこいだって」 「とりあえずダンボール取りに行こう」 「あ、うん」 私は黒田くんと一緒に廊下を歩き出した。 作業を終えたのはそれから2時間後で、すでに空が暗くなり始めていた。ラインを見ると、先輩もユイちゃんも帰ってしまったみたいだった。ああ、結局練習できなかった。廊下を歩きながらがっくりと肩を落とす私に、黒田くんが尋ねてくる。 「なあ、おまえなんでそんなに部活にこだわるんだよ」 「え?」 「別に部活じゃなくたって歌は歌えるだろ」 「それはね、部活のほうがやる気が出るから」 「よくわかんないんだけど」 「だって、勝手にやりなさいって言われても、難しいと思わない? 集まる場所があって「部活をやる」っていう目標があるから楽しめるんだよ」 黒田くんはふうん、と相づちを打った。 「部活でも、楽しくなさそうなやつらもいるけどな」 彼の視線を追うと、音楽室が目に入った。音楽室からは合唱部の歌声が聞こえてきた。やっぱり上手だなあと思っていたら、その声がぴたりと止んだ。次いで、織田先生の怒鳴り声が聞こえてくる。 「なんでこんな簡単なことができないんだよっ!」 「ご、ごめんなさい」 「もういいっ、出ていけ!」 がらっと扉が開いて、女の子が一人出てきた。彼女は泣きはらした顔で、足早にこっちへ歩いてくる。私が声をかけようとしたら、黒田くんが肩に手を置いてきた。 「余計な事言うなよ」 「え?」 「声かけられたくないかもしれないだろ」 そうなのかな。女の子とすれ違う際、その子が何かを落とした。私はそれを拾って、「あの、落ちたよ」と声をかける。聞こえなかったのか、女の子は振り返らずにそのまま歩いていった。私は拾ったものに視線を落とす。どうやら定期みたいだ。 「小山内さん……同じ学年だ」 黒田くんはちらっとこちらに視線を向けた。 「しかし、廃部の危機を迎えてるやつのほうがのんきとはな」 「のんきって、私は黒田くんを勧誘するのに必死だよ。ねえ、明日見学に来ない?」 「断る」 黒田くんはさっさと歩いていく。私は慌てて彼を追いかけた。
/28ページ

最初のコメントを投稿しよう!

9人が本棚に入れています
本棚に追加