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◯
次の日、私は小山内さんに定期を届けるため、1年2組に向かった。
「すいません、小山内さんっていますか?」
入り口近くに座っていた女の子に声をかけると、その子はくるっと振り向き「小山内さーん」と声をあげる。昨日の女の子がこちらにやってきて、「何か用?」と尋ねる。私は定期を差し出した。
「これ、落としたよ」
「……どうも」
定期を受け取る小山内さんの目は腫れていた。
「あの、合唱部やめたんならアカペラ部に入らない?」
思わず声をかけたら、小山内さんがキッとこちらを睨みつけた。
「まだ辞めてないわ」
「あ、そっか」
彼女はさっさと踵を返し、席に戻って教科書を開く。小山内さんを呼んでくれた女の子が囁いてくる。
「あの子感じ悪いよねー。お礼もなしだもん」
「合唱部が大変みたいだよ」
「にしたってさ、文化祭の準備も手伝わないし。何かって言うと合唱部が全国いってるとか自慢してさ~」
どうやらだいぶ鬱憤がたまってるみたいで、それから5分くらい小山内さんの愚痴を聞かされた。やっと解放され教室に戻った私は、ユイちゃんにラインを送る。
「ねえユイちゃん、小山内さんって知ってる?」
すぐに返信が来た。
「知ってるよ~。でもあんまり喋ったことないや。なんで?」
「昨日定期拾ったの。合唱部、大変そうだから勧誘したけどだめだった」
「そっかー。でもあの子はうちには入らないと思うよー。合唱部がステータスだもん」
ステータス? 私は本を呼んでいる黒田くんに尋ねてみる。
「ねえ、黒田くん。ステータスってなに? 合唱部はステータスだってユイちゃんが」
「社会的地位」
黒田くんは本から目を離さずに答えた。
「シャカイテキチイ……」
なんか難しそう。私が理解できていないことを察したのだろう、黒田くんがこう続けた。
「他人に自慢するためだけに合唱部に入ってるってこと」
「そんな人いるかなあ」
「さあ。中にはいるんじゃないの、そういうやつも」
確かに結果を残すのは大事だけど……部活って、楽しいからやるんじゃないのかな?
キーンコーンカーンコーン。
昼休みのチャイムが鳴り響くと、黒田くんが席を立った。私も立ち上がって黒田くんを追いかける。
「黒田くん! どこいくの?」
「図書室」
「私も行く!」
「来るな、うるさいから」
ぴしゃっ。眼の前で閉められた扉に激突しかけた。危ないなあ、もう。唇を尖らせる私に、クラスメートが話しかけてくる。
「ちょっと千秋、なんで最近黒田くんにまとわりついてんの?」
「そうだよ、エイの子供みたいだよ」
エイの子供ってどんなだっけ?
「アカペラ部に入って欲しいんだ」
「アカペラあ? 無理だよあんな暗いやつ」
「暗いっていうかツンツンだけど大丈夫。誰もがメロメロになる秘策があるのだ」
「秘策う?」
私はかばんをあさって、お弁当を取り出した。
「じゃーん! ミナト作の激ウマ弁当! 入部したら毎日これが食べられます!」
クラスメートのひとり、ユウナちゃんはがくりと脱力した。
「いや、弁当で懐柔されないでしょ。あんたじゃないんだから」
一方、もうひとりの子は目を血走らせている。
「それいくら!? 私買う!」
「ミホ……」
呆れるユウナちゃん。しかし、反応したのはミホちゃんだけではなかった。
「ミナトくんの作った弁当!?」
目を輝かせる女子たち。
「紅木さん、一緒に食べようよ」
「そうだよ。おかず交換しよう。私達友達だもんね、紅木さん」
狼のような目でじりじりと近づいてくるみんなから、私は後ずさる。
「い、いや、これは黒田くんと一緒に食べるもので」
「黒田なんてどーでもいいし!」
その時、クラスの女子の心は一つになっていた。会話を聞いていたらしいクラスメイトの男子が、暗い声でつぶやく。
「おい、聞いたか。どうでもいいってよ」
「きっと俺たちもああ思われてるんだろうな」
悲しい会話を背に、私は教室を飛び出した。そのあとを女子たちが追いかけてくる。
「待てーっ!」
「ひーっ」
こんなに全速力で走ったのは、小学校の時の運動会以来かもしれない。すれ違う生徒たちが驚いたようにこっちを見ている。
廊下を走っていき、突き当たりにある図書室に逃げ込む。本棚の間を逃げていたら、誰かの背中にぶつかった。私は落としかけた弁当をキャッチして、慌てて頭を下げる。
「すいませんっ」
返事がないので恐る恐る顔をあげたら、黒田くんがこちらを見下ろしていた。
「何してんだおまえ」
「ご、ごめん。みんなにお弁当取られそうになって」
「どんだけ意地汚いんだよ、おまえのクラスメート」
黒田くんのクラスメートでもあるけどね。そう思っていたら、バタバタと足音が聞こえてきた。がらっと扉を開けて、女の子たちが図書館に入ってくる。
「わわっ、来た!」
私は慌てて黒田くんの背中に隠れた。黒田くんは背が高いので、背後に回れば私の姿は見えなくなるのだ。クラスメートたちはずんずんこちらに近づいてきて、「ちょっと、黒田。紅木さん見なかった?」と尋ねる。黒田くんは素知らぬふりで答える。
「さあ、知らないけど」
「さっきここに入ってったのよ」
「知らないって言ってるだろ。っていうか、図書館で騒ぐなよ」
背の高い黒田くんに見下されて、女の子たちは一瞬怯んだ。だけどすぐに態度を変える。
「ふん、なによ。クラス一の地味男のくせに」
「そうそう。あ、でも紅木さんに追い回されてるよね」
「ほら、アカペラ部存続のためでしょ。猫の手でもほしいんだよねきっと」
「えー、猫のほうが存在感あるし」
くすくす笑われても、黒田くんは全く反論しない。私は思わず黒田くんの背後から出た。
「黒田くんは存在感あるよ!」
ギョッとした黒田くんがこちらを向く。
「やっぱりいたんじゃん」
「っていうか、なに興奮してんの?」
バカにするように笑われて、私はむかっとした。
「黒田くんはblackの「K」……」
黒田くんは私の口をふさいで、弁当を取り上げた。
「あっ」
「これがほしいんだろ。さっさと持ってけ」
そう言って女の子たちにお弁当を押し付ける。
「やったー。サンキュー黒田」
「お弁当箱はあとで返すねー」
女の子たちは意気揚々と弁当を手に去っていく。黒田くんは私の口から手を離し、「なに出てきてんだよおまえ」と言った。私は頬をふくらませる。
「だって……黒田くんはすごい人なのに」
「自分がディスられたわけでもないのに、変なやつ」
黒田くんはおかしそうに笑い、パンをおごってやると言って私を購買へ連れて行った。私達は屋上へ向かい、並んで座ってパンを食べる。
「なあ、おまえの弁当ってそんなにうまいの?」
「あ、うん。なんせミナトの手作りだからね」
「ミナトって、こないだ俺に突っかかってきたやつだろ?」
うなずくと、黒田くんが不可解そうな顔をした。
「なんで幼なじみに弁当作ってもらってんだ?」
「うちの両親、仕事でほとんど家にいないんだ。ミナトは隣に住んでて、料理が上手いから」
「だからってフツー……ああ、なるほど、そういうこと」
合点が行った様子の黒田くんに、どういうことかと尋ねる。
「おまえのこと好きなんだろ、あいつ」
私はキョトンとしたあとあはは、と笑った。
「いや、ないよ。だって姉弟みたいなもんだから」
「鈍いな、おまえ」
黒田くんは呆れた顔で私を見て、「こないだの動画、もう一回見せろよ」と言った。私はスマホを取り出し、動画を再生する。黒田くんはじっと画面を見つめている。
「ねっ、すごいよね?」
顔を覗き込むと、黒田くんがデコピンしてきた。
「いたっ、何よ」
「あまりにアホ面だから気合を入れてやった」
アホって失礼だなあ。私がむくれていると、「ちょっと」と声をかけられた。
顔を上げると、三人の女子が私を見下ろして立っていた。その中のひとりがこちらに向かって顎をしゃくる。
「顔貸しなさいよ」
「あ、ハイ」
彼らについていこうとする私に、黒田くんが「おい」と声をかけてきた。私は笑顔で黒田くんに手を振る。
「大丈夫。先に教室戻ってて!」
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