十三

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窓の外。はるか向こうには早くも青空の層が広がっている。 「朝が来ちまった。」 忙しない1日を終えたばかりなのに、早くも新たな1日が幕を開けてしまった。 肩にドッと疲労感がのしかかる。思い出したかのように眠気も一挙に襲ってきた。異世界の住人を前にしながら、俺はやっぱり忙しない現代に生きるひとりの人間なのだと痛感した。でもそうやって切り替えないと、俺にはこの別れはつらすぎる。もっとたくさんアラタのことを知りたかったけど、これでおしまい。あまりにも虚しい。 「感動の別れはもう済んでいるな?アラタ、そろそろ行くぞ。」 「……はい。あ、その前に、門の男は……」 アラタが問うと、八雲さんは何てことない顔をして「ああ、あれはもう消した。」と言った。だがそのときの目が一瞬だけアラタよりも鋭くとがったのを、俺は見逃さなかった。 「お前の力のせいで奴にも近づけなかったが、屋敷ごと力が弱まったからな。」 「彼はどこに?」 「お前は知らなくていい。会うことはないから案ずるな。ああいうのに来られると、他の亡者も迷惑するからな。」 淡々とした口調に、キツネの冷たさを垣間見る。 「染谷、お前の中のモノ、もらっていいんだな?俺は遠慮はしないぞ。」 「どうぞ。俺が持ってても、使い道とかよくわかんないし。」 「そうだろう。そもそも人間に適したモノじゃない。お前の魂が弱れば、喰われる危険もある。……俺ならうまく使える。」 そう言うと八雲さんは、何のことわりもなく俺の腹に手を突っ込んだ。アラタも俺も目を見開くが、バッグの中身を漁るように内部でグチャグチャと手を動かされるその苦しさは、まさしくあの海の神様に触手を突っ込まれたときと同じものだった。なんで化け物ってのは、どいつもこいつも無許可で突然こんなに手荒く人の腹の中を掻き回すのだ。俺は膝をつきながらえずき、アラタが俺の慌てて俺の背をさすった。 「……あれ、アラタ、さわれる……?」 ふと気づいた瞬間、八雲さんに何かを抜き取られた。 「交換成立だ。アラタ、これでお前の死後の幸福を保証してやろう。」 八雲さんが満足げな笑みを浮かべ、右手でうごめく血まみれの生き物のような何かを、大口を開けて飲み込んだ。 「モトキさん、大丈夫ですか?」 「うん……」 アラタに肩を抱かれ、俺もその身体に抱きついた。 「ああ、幸せ。」 胸の中でつぶやき、貴正さんには悪いと思いながら最後にキスをして、戸惑って少しだけ顔を赤くするアラタをもう一度力強く抱きしめた。 「最後に1発くらいヤッてくか?」 八雲さんがニヤニヤと聞いてくる。 「したいけどやめとくよ。本気で離れられなくなっちゃう。」 「情ってのは面倒だな。」 「ホントにな。……その力、大事にしてくださいね。」 「おう。」 「……アラタ、そろそろ行かなくちゃ。」 耳元でささやき腕をゆるめても、アラタは俺に抱きついたまま。 「また、どっかで会おうな。」 ゆるめた腕に、再び力を込める。 「たくさん助けてくれてありがとう。」 いつかまた、こんな人に巡り合えたらいい。 「愛してる。」 アラタがそっと顔を上げる。この世の何よりも美しいその微笑みが、返事の代わりだ。 「……アラタ、行くぞ。」 八雲さんの言葉と同時に、俺の腕からアラタが消えた。窓の外、空の青さがより鮮明に俺の目に映る。古い写真のようなセピアが、この屋敷から完全に取り払われた瞬間。 なんにもいなくなった屋敷。たぶんここは今、世界でいちばん静かな場所だ。 けど屋敷の記憶は、また俺の頭に勝手に入り込む。今度はあの陰惨な場面じゃない。俺の目にはもう映像など映されない。 その代わり、別れの曲が流されている。貴正さんがここで何度も弾いていた、アラタの大好きな曲。この部屋だけが持つ記憶だ。その中で俺がシンクロしてるのは、遠い日のアラタの気持ちだろう。誰にも秘密のひそやかな幸せの中に、生きる喜びを全身で味わっている。 生まれてきてよかった。 俺は、生きるぞ。
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