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お母さんの言葉に、私の声ではない柔らかな落ち着いた声が答えた。私とお母さんがソファの方を向くと、先ほどまで寝ていた少女が上半身を起こしてこちらを見ていた。ぱっちりとした目元は力強く、睨んでいるようにも見える。
「助けていただいたこと、深く感謝する。だが警察は困る。私は家出したわけではないし、すぐに出ていく。気にしないでくれ」
少女は落ち着いた様子でしかしきっぱりとそう続けた。なんだか偉そうにも感じられる。
「帰る家はあるのね?」
安心したようにお母さんが聞く。けれどその問いに彼女は俯いただけで答えなかった。お母さんと顔を見合わせる。ソファで俯いているその様子は、家出娘そのものにしか見えない。お母さんが立ちあがって少女に近づいていったので、私も一緒に近づく。
「名前を教えてくれる?」
お母さんが優しく尋ねた。少女は顔をあげて、私とお母さんの顔を見る。
「……たま」
少女が発した言葉に、私とお母さんは顔を見合わせて首を傾げた。うまく伝わっていないことが分かったのか、お母さんの手のひらをとって私にも見えるように向けると王と朱を書いた。
「珠、だ」
彼女が繰りかえす。思い浮かんだのは、真珠の珠。白くて内から光るような艶のある輝き。
「綺麗な名前」
思わず呟くと、お母さんも微笑んで頷いた。彼女の表情が少し緩む。
「珠ちゃん、行くところはあるの?」
お母さんが聞き方を変えて尋ねる。珠ちゃんは強く頷いて言った。
「どこかは分からない。けれど、行かなければならないところがある」
なんだか変な答え方だ。
「分からないところに行くの?」
「……約束したから」
「誰と?」
最後の問いに珠ちゃんは黙ってしまう。話すかどうかを迷っている様子だ。何か込みいった事情があるのかもしれない。珠ちゃんはそのまま口を真一文字に結んで、黙りこんでしまった。そのうち日も翳ってきて部屋の中が暗くなり始める。
「今日は泊っていきなさい」
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