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「その日から私は、歳を取らなくなった」  部屋の空気がぴしりと凍る。珠ちゃんは無表情で、瞳の奥に眠る深い闇に吸いこまれそうな気がして怖かった。時計の秒針の音がやけに大きく部屋に響く。 「最初は気付かなかった。しかし、世継ぎには恵まれないし、髪も爪も伸びない。私の時間だけが確かに止まってしまったのだ」  淡々とそう話す珠ちゃんは、今何を思っているんだろう。この話が本当だとしたら、遥か昔の幸せだった殿との日々? それともこの話を私たちが信じるかどうかをからかっている? じっと珠ちゃんを見つめるけれど、私には判断がつかない。 「それって……」  お母さんが恐る恐ると言った様子で口を開く。 「人魚の肉……だったの?」  お母さんの言葉に、不老不死と謳われる人魚の肉の話が浮かんだ。 「そんな……だってあれは作り話でしょ? 人魚なんてほんとにいるの?」  思わず笑って否定したけれど、誰も何も言わない。我ながら自分の乾いた笑いが悲しい。お父さんもお母さんも、珠ちゃんの話を信じているのだろうか。しばらく沈黙が続いた後、珠ちゃんがぽつりと言った。 「私が見たのは、切り身だけだ。私の様子を見た婆が人魚の肉が不老不死の妙薬となることを教えてくれ、もしかしたらと」  その口ぶりに、彼女自身人魚が実在するのか半信半疑な気がした。しかし本当に戦国時代から姿も変わらず生きているとしたなら、珠ちゃん本人が生き証人だ。そう思って、私は彼女の話を信じそうになっていることに気付く。 「殿と別れる時、殿は言った。私がこの姿でいる限り、どこにいても必ず見つけだす、と」  別れる時。戦国時代ならそれは戦かもしれない。あるいは病だったかもしれないし、案外平和な国で寿命だったのかも。幼い頃から縁があって嫁いだ殿だったのに。幸せだったのに。それは、死が二人を別つまで。別れることは避けられない。  けれど珠ちゃんはなんだか嬉しそうに見えた。その時の光景を思い出しているのだろうか、目を伏せて自分の手のひらを見つめている。大切な宝物を取りだすみたいな、嬉しそうな顔。殿の言葉を信じて、再び出会えるのを心待ちにしているような。 「私は殿と約束した。再び、また会うことを。それからずっと、殿の魂を求めて旅をしているのだ」  珠ちゃんはにっこりと笑ってそう言った。どきりと胸が鳴る。素敵な笑顔だ。この笑顔を手に入れるためになら、お殿さまだって生まれ変わって珠ちゃんを見つけだすことくらいできるかもしれない。 人魚の肉を食べたらしい珠ちゃん。こんな話、信じる方がどうかしているのかもしれないけれど、彼女の表情を見ていると冗談だと笑いとばすことなんてできなかった。
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