くまちゃん

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くまちゃん

 その子はいつの間にか現れた。気がついたらいた。目の大きなくちびるの色のはっきりした顔で、ふわふわの髪をしていた。  毎日ここへ来ると泣いていたけれど、ここの女の人たちに抱っこされてミルクを飲んだり眠ったりをくりかえしているうち、いつの間にか泣かなくなった。  僕はといえば始めのうち、見慣れないその子に近づきすぎて、頭を足で蹴ってしまって泣かせたことがあった。そのとき足の裏に柔らかな髪がまとわりついた。  全力で背をそらして泣くその子を女の人がだきあげる。 「あー、痛かったねえ。幸彦くん、ごめんねだよ」  そんなことより、僕は発見をしていた。  この子はくまちゃんだと思った。くまちゃんの手ざわりに似ている。おうちにいる僕のくまちゃん。  同じベビーベッドの中で寄り添って眠ったり、おむつを替えられたり、おかあさんではない女の人におたがい抱かれてミルクを飲んだり。僕たちは同じようにすごしていた。  僕より多く寝てばかりだったその子が、僕と同じようにお座りできるようになると、互いに声を上げ、手を伸ばしあった。顔を触り指をからませ、時にはバランスをくずしてどちらかが相手を押し倒すこともあった。 「あーうー」 「うーうー」  そこにその子がいるのが当たり前になった。叩いたり、叩かれたり。ぶつかって泣いたり、体を揺らして笑いあったり。  その子のくるりんとした髪は指が絡まりやすく、本当におうちにあるくまちゃんのように柔らかく心地よかった。ときどき絡まりすぎてひっぱって泣かせちゃったりしたけど、眠くなったときはその髪に触っていると安心できた。  僕はその子より先にベッドの柵に捕まってよろよろ立ち上がれるようになった。その子は僕を丸い目でみあげていた。  日がたつにつれてしっかり立てるようになった僕はベッドの外に下ろされて、柵に捕まって立ち、興奮して「やうやう」と声を上げて体をゆらし、その子に呼びかけた。僕をまねしたように柵をつかんで「やうやう」とその子は言ったが、お尻を上げかけてはぽてんとベッドにおとしていた。  やがて僕は柵や机の脚や書類棚を伝わって横に歩けるようになった。その子はまだベッドの中で立てそうで立てない。僕が見えなくなると「うーうー」とその子は言った。僕はベビーベッドに戻りながら「あー」と答えた。  大丈夫。  いつも遊びつかれてふたりでお昼寝するよね。遠くに行かないよ。くまちゃんのような髪の毛の子。  でも、別れは突然だった。  ある日僕はベビーベッドから抱き上げられて、ちがう場所へ連れて行かれた。知らない子がいっぱいいて、怖かった。大きな女の人も知らない人だ。  何よりあの子がいない。  あのくまちゃんのような子が。  座っていた僕は寝転がって全力で泣いて抗議した。  抱き上げられてゆらゆらされても、あの子に会いたくて、あのふわふわの髪に触れて眠りたくて泣き続けた。  泣きながら眠った僕が目を覚ましたとき、柔らかいものが指に絡んでいるのに気がついた。  あの子が目の前で眠っていた。  僕はうれしくなった。
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