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椿刑事は、牛若警部の命を受け、容疑者宅に急遽直行していた。
スラリと背が高く、実直そうな顔立ちの椿は、中身も硬派で、まだ20代半ばと若く、沢村や玲子と同い年だが、無駄口を叩かず、捜査に集中して牛若の手足となり、よく動き回る有能な刑事である。
今、椿が向かっているのは、日立了殺害の最有力容疑者である、日立の別居中の妻、敦子が住んでいる実家である。
郊外の田舎町にある敦子の実家まで行くのに1時間ほどかかったが、椿は古びた家屋の前に覆面車を停車し、相棒の吉武刑事と共に、車を降りるとすぐに家屋の玄関に向かった。
椿が玄関で呼び鈴のブザーを押すと、中から初老の女性が不思議そうな顔をして出てきた。
「ハイ?」
「失礼します。警察の者ですが、敦子さんはご在宅でしょうか?」
椿は、警察手帳を見せながらそう告げた。
「警察??あの、警察の方が何か?あ、ひょっとして日立さんの件ですか?」
「はい。失礼ですが、敦子さんのお母さんでいらっしゃいますか?」
「は、はい。あの、敦子は今家におりませんが…」
「何処かへ出かけられたのですか?」
「はあ、私たちが外に出ている間に、何処かに行ったみたいです。何処へ出かけたのかは聞いていません」
「そうですか。いつもお出かけの時は、娘さん、何時頃お戻りですか?」
「今はあの子がウチの朝夕の食事を作ってくれてますので、夕方の5時か6時までには戻ってくることが多いですが…」
「そうですか。わかりました。それではまた改めてお邪魔させていただきます」
「はあ…」
今はまだ午後の3時。
椿と吉武は、敦子の実家付近に車を停車して、このまま敦子の帰りを車の中で待つことにした。
しかし、5時を過ぎても、6時を過ぎても、敦子は実家に帰ってこなかった。
6時半になった頃、痺れを切らした椿は、再度敦子の実家の玄関まで行き、応対した母親に家宅捜索令状を見せた。
母親が、椿と吉武が家の中に入ることを承諾した後、すぐに二人の刑事は、敦子の部屋に直行した。
敦子が寝泊まりしている部屋は、元々結婚前からの敦子の部屋だったが、家具類は大したものがなく、押入れにも布団類しか入っていなかった。
敦子はボストンバッグに入れた最低限の生活用品しか持ってきていないようで、それ以外の所持品はなかった。
「おかしいですね。いつもこのぐらいの時間には帰ってくるんですが…」
不安気な表情をしながら、敦子の母はそう言った。
「お母さん、要件は言わないで、ちょっと敦子さんの携帯に電話して戴けませんか?」
吉武は、母にそう頼んだ。
「わかりました」
母はすぐに実家の固定電話から敦子の携帯に電話したが、しかし何度かけても、携帯の電源を切っているようで、通話出来なかった。
「携帯の電源を切ってるってのがおかしいな」
椿は、吉武だけに聞こえるぐらいの小声で呟いた。
「そうだな。まずは警部に連絡するよ」
「ああ」
*
吉武刑事からの報告を受けて、牛若警部は不穏な気持ちになった。
事件の最有力容疑者が、いつも通りに家に帰って来ない。
それだけではなく、携帯すら電源を切っていて繋がらない。
そうなると…
牛若は悪い予感をつのらせた。
「もしかすると…」
牛若は、殺人の最有力容疑者が逃亡をはかった可能性が高いと考えていた。
ひょっとすると、近松京一が自分を監視していたことを敦子はすでに知っていて、自分が日立を殺して部屋から出てきたところを近松に見られていたことすら、実は危惧していたのかもしれない。
近松が警察に厳しい尋問を受け続ければ、いつかはその事実を供述するだろうリスクを見越して、敦子は早々と雲隠れし高飛びしてしまった可能性が高い。
「広域緊急配備だな」
牛若警部は、他の都道府県警察に依頼し、緊急配備を要請する必要があると思った。
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