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広域緊急配備の要請を行った牛若警部は、夫を殺害した最有力容疑者である日立敦子を探し出して、逮捕することに全力を上げる所存であった。 すでに多くの捜査員が、敦子を追って捜索を開始していた。 椿刑事や吉武刑事も、地域を分担して敦子の行方を追っていた。 数日後、昼食を済まし、警察署に戻った牛若がコーヒーを飲んでいると、椿刑事が息急き切って刑事部屋に入り込んできた。 「警部!」 椿は汗だくになり、荒い息を吐きながら、牛若に声をかけた。 「ああ、お疲れ。どうした?」 「日立敦子の遺体が発見されました」 椿は厳しい表情でそう告げた。 「何?!」 牛若は愕然としながら、椿の方に身を乗り出した。 「現場の様子から見て、自殺ではないかと見られています。遺体を発見したのは、所轄のF署の刑事です」 「F署の管轄地域で見つかったのか?」 「はい」 「それじゃあ、ここからそう遠くないな」 F署は、牛若が勤務する警察署の隣の地域を管轄としていた。 「ええ。F署管轄内に、小さな山があるんですが、そこの雑木林で首を吊っていました。遺書も発見されました」 「遺書があったのか?」 「はい。もうすぐ遺体を発見したF署の橘刑事が、ここに遺書を持ってやって来ます」 「ふむ。遺書の内容は?どんなだ?」 「はあ。伝え聞いたところによりますと、自らの行いを恥じた謝罪の言葉が書かれているとのことです。まあ最後に犯行を認めて謝罪をしている遺書でしょうね」 「ふーむ。だろうな。そうか、わかった」 牛若は溜息をついてから、自分の椅子に座り直し、橘刑事の到着を待つことにした。 * しばらくして、F署の刑事、橘がやって来た。 橘は、年齢は牛若警部より上の、いかにも叩き上げ風の刑事だが、階級は牛若より下なので、丁寧な挨拶をしてから本題に入った。 「こちらが被疑者が残した遺書です」 そう言うと、橘は手袋をした手で、牛若に遺書を渡した。 牛若が受け取ったそれは、封筒に入れられた二枚のメモ書きのようなもので、文面には、 [ひたすら恥じ入っております。 かようなことは許されぬと重々承知の上 反省しております。 誠に申し訳ございませんでした。 この度は大変なご迷惑をおかけしましたこと 心からお詫び申し上げます。 日立敦子] と書かれていた。 「おそらく被疑者は、最後に自らの行なった犯行を謝罪して死にたかったものと思われます」 橘は抑揚のない声でそう口にした。 「なるほど。そうでしょうね」 牛若は遺書を読みながら、橘に同意した。 「被疑者の中には、逃げ切れないと思って自殺に至る者がたまにいますが、そういうタイプの被疑者が最後に残す遺書のようなものは、だいたいこうした感じのものです。前にも、こういう手合いの被疑者の遺書を見たことがあります」 「ええ。私も見たことがあります。まさにこれと似たものでしたよ」 牛若は橘に再度同意し、被疑者死亡で事件はこれで収束に向かうだろうと確信した。 「私見ですが、夫殺しは衝動的なものだったんじゃないでしょうかね」 橘は牛若に勧められたコーヒーを、礼を言って飲みながら、自身のベテラン刑事としての経験上の実感を語った。 「ええ。私もその可能性がかなり高いと思いますよ。被疑者は被害者の夫の浮気のことで喧嘩が絶えなかったという近隣住民からの証言もあります。計画殺人じゃないからアリバイもない。その線が濃いと思いますよ」 おまけに犯行時刻に、殺害現場から慌てて逃げ出したという、近松京一の確かな目撃証言まである。 牛若警部はコーヒー入りのマグカップを再び手にしながら、これは被疑者死亡のまま書類送検となる事案だろうと思った。 結局、警察には最終的に事件を処理する権限はない。 被疑者起訴の判断をするのは、検察の仕事であり、刑事訴訟法で、警察が犯罪捜査を終了した場合は、容疑者の身柄や事件書類を検察に送ると決まっている。 だから、被疑者死亡だからと言って、警察には最終的な判断をする権限はない。 ここからは、事件捜査の適正を検察に最終チェックされるのを黙って見守るしかないのだろうなと思いながら、牛若は少し冷たくなったコーヒーを啜った。
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