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大衆食堂の店主が、沢村と玲子が注文したミルフィーユトンカツにズッキーニのチーズ焼きとカツ丼を運んできた。 「ありがとうございます」 玲子が店主に声をかけた。 「いえいえ。再度ご来訪戴き、こちらこそありがとうございます」 「大将がお運びさんやってるってことは、バイトさんは休憩中ですか?」 「はい、あんまりこき使ったりすると、すぐ辞められるんで、ちゃんと休憩時間を取ってもらってます」 「そうですか」 「このお店って古いんですか?」 不意に沢村がそう聞いた。 「いえ。開店して2年くらいですね」 「へえ。その割には建物がレトロですね」 「はあ」 「居抜きで貸店舗に入られて、古民家を改装されたわけでもなさそうだし。二階がお住まいですよね?あ、すいません、さっきお店に入る前に、二階へ行く階段のところに、間宮正義と書かれた表札が見えたものだから」 「ええ。二階が住まいですよ。通勤しなくていいから便利ですよ」 「そうですよね。それで随分前からこちらにはお住まいなんですよね」 「ええ」 「じゃあお店も昔からやってらっしゃったんじゃないですか?いやね、建物がレトロなのに、店の中はそれなりに小綺麗じゃないですか。でもメニューは新しいわりに、カツ丼だとか魚定食とか古い定番メニューもわりとありますよね。それで看板にも大衆食堂って書いてある。だから昔からやってらっしゃるお店なのかなと思い、ご近所の人に聞いたら、昔は古いタイプの大衆食堂だったって聞きまして。すいません、変なことばっか気になっちゃって」 「ええ。今の店を新装オープンしたのは2年前ですけど、昔は古いタイプの大衆食堂をやってましたよ。今のメニューに古い定番なメニューのものが混じっているのは、昔よく来てくださっていたご近所のご老人のお客様のためなんです。それで今もご贔屓にして戴いてます。それプラス今風の料理もやらないと若いお客様が来てくれないんで、それで新旧のメニューが混在してるんですよ」 「このミルフィーユトンカツとズッキーニのチーズ焼、すごく美味しいです!若いお客さんもたくさんいらっしゃるの、よくわかります!」 玲子が口を挟んで店主の料理を絶賛した。 「ありがとうございます。今日はまだお客様、お二人だけなんですけどね。でも最初は手探りでしたよ。徐々に若いお客様も来てくださるようになって本当嬉しいです」 店主はそう言って、照れ臭そうに微笑んだ。 「今日だって、もうすぐ若いお客さんが一杯押し寄せてきますよ。ところで新装開店されたということは、前の大衆食堂は一回閉店されたということですか?」 沢村がまた口を開いた。 「ええ。やはり昔ながらのメニューだけじゃ世の中の流れについていけなくて。お客様も減る一方でやむなく閉店しました」 「それから少しインターバルを置いて、このお店を新装オープンされたわけですね」 「そうです」 「大変でしたね」 「ええまあ。最初はかなり不安だったんですけどね。でも近所の昔のお客様も戻ってきてくださったし、新しいお客様も増えて、何とか軌道に乗ってくれました。ありがたいことです」 「よかったですね。日立了氏に会われたのは、その昔の大衆食堂の時代ですよね。あ、いえ、前に日立さんのことをお聞きした時、昔お店によく来ていたと言われてましたので」 「え?ああ、確かそうですね」 「その頃、日立さんは金融会社の借金の取り立てをやっていたみたいなんです」 「はあ」 「日立氏がこのお店に来ていたのも、失礼ながら、経営状態が良くなくて、そのための資金繰りにお金を借りていたあなたへの取り立てに来ていたんじゃないんですか?」 「え?いや…」 「その金融会社はもう倒産寸前ですがね、昔あなたにお金を貸していて、それを日立氏が取り立てていたことを、当時の日立さんの同僚の方と知り合ったので教えてもらいました」 「そうですか。ええ。そうです。昔のお恥ずかしい話なんで、あんまり言いたくなかったんですが、日立さんはうちに借金の取り立てに来てましたよ。でも私は借金を何とか完済しました。今過払金請求なんて流行ってますが、まだその手続きはしてませんけど、もし請求したらかなりお金が戻ってくる可能性もあると思います」 「前の店を閉店されてから今のお店をオープンされるまでの間に、借金を返されたんですね。大変でしたね」 「ええまあ。途轍もなく大変でしたね。もう思い出したくもないほど辛かったですし」 「辛いことを思い出させたりして申し訳ありません。ただその、お店をやっていない時期にも、日立さんは取り立てに来てましたよね」 「ええ。まあ向こうも仕事ですしね。取り立て屋のくせに同情もしてくれましたし。世話になったと思っています」 「そうですか。しかしあなたは、借金を見事に完済して新たにこのお店を新装オープンさせた。そしてお店は軌道に乗った。ネットの食べログランキングでもかなり高評価みたいですね。そりゃこれだけの美味の料理がリーズナブルな料金で食べられるんだから、繁盛するのも当然です」 「ありがとうございます」 「しかし、日立さんの方は逆の立場になっていた。つまり取り立てる側から取り立てられる側の借金まみれになっていった。あなたと真逆です」 「そうなんですか」 「ええ。そして、日立氏が死んだ後、実は奥さんの敦子さんも亡くなりました。首を吊って亡くなっていたようです」 「え?それはお気の毒に…。一体何が…。ご冥福をお祈り致します」 「敦子さんは遺書を残していました。[ひたすら恥じ入っております。 かようなことは許されぬと重々承知の上 反省しております。 誠に申し訳ございませんでした。 この度は大変なご迷惑をおかけしましたこと 心からお詫び申し上げます。 日立敦子] と書かれていました」 沢村はそう言ってから、牛若警部に特別にコピーさせて貰った、敦子の遺書のコピーを店主に見せた。 「日立さんは殺されていたんですよね…それで、反省しております…ご迷惑おかけしました、って…ひょっとして、奥さんが旦那さんの了さんを殺した罪を遺書で自白されているってことですか?」 「ええ、まあそういうことでしょうね」 「死んでお詫びをということですか?」 「そうなりますな」 「なんと不幸な…」 「ええ。それであの、これは、私ごとで恥ずかしいんですがね、私、前にこの横にいる女性と同じ出版社に勤めていたんですがね、その時、ある問題を起こしましてね」 「はあ」 「私は今でも自分が間違っていたとは思ってません。ですが会社組織というのは難しくてですね、つまり、私は会社の不正を暴いて公表したわけなんですが、会社組織の一員が良かれと思って行動を取ったとしても、それが組織のマイナスになる行為なら、やはり処分されるわけです」 「はあ。まあ確かに、理不尽ですが、そういう現実もありますね」 「ええ。それで処分されて、実質的にはクビにされる前にですね、会社の上層部から再三に渡って詫び状を書けとせっつかれましてね」 「会社の不正を正したのに、ですか?」 「そうです。しかし会社組織にマイナスなことをしたのは事実です。最初は一切そんなものを書く気はなかったんですが、書かないと、私を可愛がってくれていた直属の上司や同僚にも迷惑がかかるようだったので一応数枚詫び状を書いて提出したのです」 「そんな。何と理不尽な…」 「しかし、それを書くことで上司や同僚には問題が飛び火しなかったのは不幸中の幸いでした」 「ねえ!その同僚って私のこと?!」 玲子は初めて聞かされた沢村の話に驚いて叫んでいた。 「いや、もう済んだ話だから。君が気にすることはないんだよ」 「そんな酷い目にまで遭っていたの!?全然知らなかった!ごめんなさい、私のために!」 「こっちこそ、あの時は君や先輩には迷惑かけたよ。勝手な行いをしたせいで何の問題もない君らにまで迷惑かけたことは今でも申し訳なく思っているよ」 「ごめんなさいね」 玲子がそう言うと、沢村は玲子に頭を下げた。 「さて、それで私は詫び状を書いたわけですが、しかしはっきり言って、不正を行った相手を告発したのに、その不正をしている相手側に詫び状を書いてるわけですから、気持ちを込めて詫びることなど到底出来ませんでした」 沢村は話を続けた。 「そうでしょうね」 店主は頷いた。 「そこで私は、詫び状の定型文が載っている本を参考にして、極めて形式的な詫び状を書きました。その時の文面は、 [急啓 この度は様々なご迷惑をおかけしたこと、誠に申し訳なく思っております。 私の勝手な振る舞いにより、会社組織全体に不利益が生じたことにつきましては、ただただ恥じ入っております。 かようなことは許されぬと重々承知の上 反省しております。 誠に申し訳ございませんでした。 この度は大変なご迷惑をおかけしましたこと 心からお詫び申し上げます。]というものでした」 「そうですか」 「これは詫び状の定型文です。誰でも書ける定型文なのです。しかしこの文章、何かにそっくりなんですよね」 「あ!」 急に玲子が唸った。 「そう」 「敦子さんの遺書の文章そっくり…」 「そう。敦子さんは日立了氏が借金した相手に詫び状を送っていました。浮気を繰り返し、迷惑ばかりかける上に自分を裏切っているような夫の日立氏の借金のために、彼女も苦労して尻拭いをしていたようです。しかし彼女とて、そんな自分の借金でもない、浮気三昧の亭主の尻拭いに、それほどオリジナルな文章を書いていたわけではないようです。詫び状を嫌々書かされていた、あの時の私と、それほど大差ないと思います」 「では、奥さんは自分が昔書いた借金の詫び状の定型文をそのまま遺書の文章にも流用したということですか?」 「いや、それはないと思います」 「しかし、今の話からするとそう推察するのが普通だと思いますが」 「敦子さんは、詫び状を夫の日立了氏が借金をしていた複数の相手に送っています。つまりその時、詫び状を受け取った相手は、皆敦子さんからの詫び状を持っているわけです」 「つまり…」 「ええ。その時、敦子さんから借金の詫び状を貰った人間は、皆、この遺書を偽造出来るという話になります」 「はあ」 「そうなると、敦子さんの自殺には疑惑が生じます。私は敦子さんは自殺ではなかったと思っています」 「はあ。すると借金の詫び状を貰った人間が、奥さんを殺して詫び状を偽造して遺書に仕立てたと?」 「そうですね。しかし日立氏は相当数の人間から借金していて、奥さんもかなりの数の人間に詫び状を送っています」 「ああ。その中に犯人がいたとしても、容疑者は複数人に渡るというわけですか。しかし奥さんが自分が昔書いた借金の詫び状の定型文をそのまま遺書の文章に流用した可能性もまだ残りますよね」 「いや、敦子さんが遺書を書いた可能性は有り得ません。それに、詫び状を受け取った人間の中の、ある一名に犯人は絞り込めるんですよ」 「はあ、それはまた、どうしてですか?」 「敦子さんの遺書はですね、実は敦子さんの筆跡ではなかったからです」 「え?そうなんですか?」 「ええ。筆跡鑑定を警察に行って貰った結果、敦子さんの字ではないことが判明しました」 「では、その遺書を書いた筆跡の人間が犯人というわけですね」 「それで今、その筆跡の張本人である、日立氏の友達の近松という男が逮捕されました」 「ああ、もう書いた人間がわかったんですか。そうですか。それは良かった」 「しかし近松には敦子さんは殺せないのです」 「何故です?」 「敦子さんの死亡推定時刻には、近松は警察で取調べを受けていたからです。つまり警察が近松のアリバイを証明しているんですよ」 「そうなんですか」 「それで思い出したんです。敦子さんは日立氏の借金の詫び状を幾つか書いていますが、最初に一度だけ、近松に相談し、近松が詫び状を代筆したことをね」 「はあ」 「そこで研究室にいる近松に、煙たがられながらも話を聞いたところ、一度だけ詫び状の代筆をしたことを覚えていました。勿論、近松が肉筆でその詫び状を書いたんです。それで、その詫び状の相手の名前も覚えていました。宛名書きも近松が書いていますからね。宛名の名前は、間宮正義。あなたですよ」 「ええ?!」 沢村の横にいた玲子が驚いて沢村の顔を見返した。 「あの遺書を偽造出来るのは、間宮さん、あなただけなんですよ。あなた、この店が軌道に乗ってから、今度は逆に日立氏にお金を貸していましたね。近松氏が敦子さんの名義で代筆した借金の詫び状は、あなたのところに送ったもの、ただ一通だけなんですよ。他の人への詫び状は全て敦子さんの直筆によるものでした。この事件の担当警部は仕事が早い人でしてね。すぐに調べてくれました。敦子さんは一通だけ便箋ごと近松さんに渡して、詫び状を代筆してもらっていました。その便箋は、便箋というより、敦子さんが余った用紙を自ら裁断して作ったオリジナルの便箋サイズのメモに近いものでした。借金の詫び状の文章は代筆や定型文だったのに、便箋はオリジナルだったんですね。当然、近松氏はそんなものを持っていませんから、遺書が彼の筆跡だからって、敦子さんの遺書を偽造することは出来ません。敦子さんの遺書は、彼女が借金の詫び状に使ったオリジナルの便箋に、近松氏が代筆した詫び状を偽造したものしか有り得ないのです。つまりあの遺書は、あなたに送られた詫び状を偽造したもの以外には考えられないということですよ。敦子さんを殺したのはあなたですね、間宮さん」 「…。」 店主の間宮は黙りこくり、顔面蒼白の表情で、沢村をしばらく見ていたが、不意に大きく諦念に満ちた溜息を吐いた。 「何故会ったこともない敦子さんをあなたが殺したのか?間宮さん、あなた、日立了氏を殺す前に、日立氏の部屋に居た自分の姿を突然戻ってきた敦子さんに見られたと思ったのでは?少なくとも敦子さんが部屋に戻って来た時、玄関にはあなたの靴があったはずです。敦子さんがそのことを覚えているかもしれないので、あなたは気が気じゃなかったんじゃないですか?つまり日立了氏を殺したことが敦子さん殺しに繋がるわけです。あなたのお店はバイトの人に小まめに休憩時間を与えている。犯行があった二つの日の休憩時間についてバイトさんに聞けば、たぶんあなたしか店に居らず、あなたにアリバイがないことも判明するでしょう」 沢村は一気にそう告げてから、目の前の間宮を凝視した。                      
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