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「ああ、第一発見者の方ね」 牛若警部は、玲子を見ながら思い出したように口を開いた。 全然記憶に残らない存在だったことに玲子は少し落胆したが、まあ相手も事件で忙しい身だし、一回見かけたぐらいの人間のことを、そうイチイチ明確に覚えてるわけないか、と思い直した。 ただ玲子は、これまで、その愛らしい美貌というか可愛らしい顔立ち故に、男性にはだいたい強い印象を与えてきたことを実感として知っていたので、本当はそれで自分は落胆しているのかもしれないと思った。 牛若警部はキャリア組ではないようだが、30そこそこで警部になっているから優秀な刑事さんなのだろうなと玲子は思った。 それに真面目そうで端正な顔立ちが美しく、濃紺のスリーピースがよく似合っていた。 「まあイチイチ覚えてないよね、フフフ」 また余計な一言を! 玲子は、さすがに今口を開いた沢村にイラっときたが、あくまで怒りを顔に出さずに、そうですよね、と心にも無い相槌を打った。 「すいません。第一発見者の方にお話を伺うのはうちの部下の役目でして、私は色々野暮用が多くてバタついてたものですから」 私の方をあの時見てたくせに… と玲子はムッとしたが、これにも、お疲れ様です、と笑顔で返した。 そんな私を見て、沢村が妙にニヤついている。 「何よ?」 「別に。大人の対応、乙。フフフ」 「フフフはやめて」 「フフフフフ」 「フを増やせなんて言ってねーだろ!」 「あの、それですいません。石川啄木クズ伝説の見立て殺人ってのは…一体何すか?」 牛若警部が少し困惑しながら口を挟んだ。 「ああ、その話で今日は来たんでした。すいません。実は殺された被害者の日立氏と死体の傍らに置かれていた啄木の句が書かれた色紙や「ローマ字日記」とが、あまりにもリンクしすぎてるんですよ」 沢村は軽い調子で牛若警部にそう告げた。 「ほう。詳しく伺えますか?」 何この違い?私が死体発見時に見立て殺人の話をした時は完璧にスルーしたくせに! この人、あの時ちょっと笑ってたじゃないの! なのに沢村が話すと、何この違い?? 何が「ほお」だよ! 玲子は口には出さなかったが、そう思いながら、凄ざまじい眼付きで牛若警部を睨みつけていた。 しかし、今日この警察署を訪れて、牛若が忙しい中わざわざ面会してくれたのは、確実に沢村のおかげなのだ。 何でも前に、何件も事件解決に沢村は協力しているらしいのだ。 どうやら牛若警部とも、かねてから懇意なようだ。 まあ、そりゃ対応が違ってもしょーがないか、と玲子は諦めたが、しかしムカついた気持ちは消えなかったからか、牛若警部を睨みつけたままだったので、相手は露骨に目を逸らしてきた。 沢村は、日立の現実生活と、啄木の「ローマ字日記」に書かれた内容が似通っていることや、「一度でも我に頭を下げさせし 人みな死ねといのりてしこと」という啄木の句が、日立の生前の口癖だったことなどを簡潔に牛若警部に説明した。 「なるほど。そこまで意味深にリンクするものが、死体のそばにわざわざ置いてあったとなると、見立て殺人の線は濃厚かもしれないですね」 牛若は頷きながらそう言った。 「そこでお願いしたいのは、被害者の部屋に、日記のようなものはなかったかどうか調べて戴きたいのです」 「日記ですか?」 「はい。被害者が啄木の句を口癖にしていたということは、多少なりとも啄木に興味があった人物です。その上、死体の傍らに「ローマ字日記」まであったとなると、ひょっとしたら被害者も「ローマ字日記」を真似た日記を付けていたのではないかと思いましてね」 「なるほど。いや、有り得ない話ではないと思います。わかりました。至急ガイシャの部屋を隈なく家宅捜索して、日記の存在の有無を明らかにします」 「ありがとうございます」 * 「結局、あんたの話はちゃんと聞くのね、警察は」 警察署からの帰り道で、玲子はいきなり毒づいた。 あまりの対応の相違に、また腹が立っていたからだ。 「あの警部とは付き合いがあるんでね。それだけの話だよ。見立て殺人を最初に言い出したのは君なんだから、そこはわかってるよ、向こうも」 「わかってないわよ。でもまあ、私は思いつきでそう言っただけだから、偉そうなことは別に言えないけどね。あーあ、なんか腹立ったからか、お腹空いてきちゃったわ」 「じゃあ、そこ行ったとこにある食堂で飯食おう」 「私の奢りで、とか言わないでよ」 「会社の経費で落ちるだろ」 「落ちません!」 そう言い合いながら、しばらく歩いて、二人は目指す大衆食堂に入った。 大衆食堂はそれなりに年季の入った建物だったが、内装は小綺麗で、メニューもわりと豊富でリーズナブルだった。 二人はそれぞれ、ミルフィーユトンカツにズッキーニのチーズ焼きが付いた日替わり定食を注文して、さっそく遅いランチを食べた。 「そう言えば、この近所よね、日立さんのマンション」 「そうだな。ここにも立ち寄ったことがあったりして」 「うーん、一人暮らしの男が食べに来るにはピッタリっぽいもんね」 しばらくして、玲子がデザートにジェラートを追加注文すると、お運びをしていたバイトの若い女性が休憩時間に入ったのか、店主自らジェラートを玲子のところに持ってきた。 「あの、すいません。変なこと聞いちゃっていいですか?」 玲子は恐縮しながら店主に話しかけた。 「はい、何ですか?」 「あの、この近所に住んでる日立さんって方、ひょっとしてご存知です?」 「ああ、ニュースで見たけど殺された人ですよね。びっくりしましたよ。ええ、うちに来たことある人ですよ」 「あ、やっぱり。この近所に住んでるなら、立ち寄りそうだなと思ったので」 「最近はあんまり見たことないけど、昔はよく来てましたよ」 「そうですか。あの…たとえば女性連れてきたりとか、してました?」 「いや、一人で来てただけですけど」 「そうですか」 「こういう店に女性連れでは来ないだろ」 沢村が口を挟んだ。 「ちょっと!失礼よ」 「ははは、いやいや、その通りですよ。建物も古臭いし、デートコースで来るような店じゃありませんからな」 店主は温和な表情で笑った。 「すいません。この人、口悪いんで」 玲子が謝罪している間、沢村は何食わぬ顔をして食べ残したご飯を頬張っていたので、また玲子はカチンと来ていた。 大衆食堂を出てから、玲子はそのまま出版社に戻ったが、沢村はプイと何処かへ消えてしまった。 気まぐれな沢村の、いつものことだから、玲子は別に気にしていなかったが、夕刻になって、玲子が退社しようとしていた頃、急に沢村からスマホに電話が入った。 「お疲れ。何?」 「警察がさっそく見つけたそうだよ。被害者の日記。さっき牛若警部が連絡をくれた。あの警部仕事が早いんだよ。で特別にその日記を協力者である我々にこれから見せてくれるそうだが、見立て殺人の言い出しっぺとしては、どうする?」 「言い出しっぺったって、あんたに向こうは見せたいだけで、どうせ私はバーターでしょ。でも見たいわ。この際あんたのバーターでも何でもいいわ」 「じゃあ警察署の前で待ってるからな」 沢村はそう言ってすぐ電話を切った。 バーターなのは嫌だったが、玲子は好奇心を抑えられなかった。 日立の日記の中身がやはり気になり、すぐに退社した。
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